それから一週間。
銀鏡の翼龍は、さらなる力を求めて雪原を渡り続けた。
そして辿り着いたのは、生まれ育った故郷とはまるで異なる土地だった。
空気が違う。
大地を満たす魔力が違う。
漂う魔力はより澄み、より濃密で、息を吸うだけで身体の奥深くまで染み渡ってくる。
冷気の中に宿る魔力は、故郷よりも遥かに豊かだった。
――ここは、良い。
その瞬間、本能が告げる。
これほど心地よい土地はない。
これほど魔力に満ちた場所もない。
ここならば、さらに強くなれる。
「――気に入った」
言葉を持たぬ彼は、そう心に決めた。
この地を、新たな住処としよう。
そう考えるまでに、迷いは一切なかった。
だが――。
当然、この国にも人類はいた。
彼らと敵対することになるのは避けられない。
それでも銀鏡の翼龍は、何一つ不安を抱かなかった。
人類など、すでに知っている存在だったからだ。
脆弱で。
恐怖に怯え。
数だけを頼りに群れるしか能のない生き物。
――今回も同じだ。
そう確信していた。
だが。
その慢心こそが、後に己の運命を狂わせる最初の一歩だった。
戦いが始まって間もなく。
銀鏡の翼龍は、初めて異変を感じる。
――……なぜだ。
吹き荒れる冷気。
あらゆる生命を氷像へ変えるはずの吐息。
それが――巨大な結界によって受け止められていた。
冷気は結界の表面を白く凍らせるだけで、その内側へは一歩たりとも届かない。
しかも。
相手は、たった十数人。
以前相対した集団とは比較にならないほど少ない。
それにもかかわらず。
『なぜ、こいつらは死なない』
初めて、困惑という感情が芽生えた。
その答えを得る間もなく。
ブレスを吐き終えた直後を狙い澄ましたように、人類が一斉に動く。
剣閃が走る。
無数の魔法が空を裂く。
見たこともない術式が、大地を駆け抜ける。
ありとあらゆる攻撃が、巨体へ降り注いだ。
だが。
その程度では、銀鏡の翼龍は倒れない。
銀鏡と称される鱗は絶対だった。
剣は弾かれ。
槍は砕け。
魔法でさえ致命傷には程遠い。
それでも――。
攻撃は終わらない。
一人として退かない。
倒れても立ち上がり。
傷ついても前へ進み。
何度も、何度も。
執拗なまでに挑み続けてくる。
効かないと分かっているはずなのに。
それでも諦めない。
その姿が、彼には理解できなかった。
――……鬱陶しい。
その感情は、やがて苛立ちへ変わる。
そして。
苛立ちは怒りとなった。
その瞬間だった。
彼は、人類を見て学んだ。
彼らが放つ光。
魔法という未知の力。
その仕組みは理解できない。
だが、魔力の流れだけは見えた。
ならば。
己の魔力で再現すればいい。
本能のまま魔力を練り上げる。
人類の魔法を模倣し、己という器に合わせて組み替えていく。
そうして生まれたのが――
【百夜の咆哮《ホワイト・ブレス》】
冷気ではない。
純粋な破壊の奔流。
吐息とともに放たれた白き閃光は、大地を抉り、山肌を削り取り、巨大な穴を穿つほどの破壊力を秘めていた。
――これならば。
銀鏡の翼龍は確信する。
今度こそ、人類は終わる。
だが。
現実は、その確信すら打ち砕いた。
この国の人類は倒れない。
何人倒れようとも。
何度吹き飛ばされようとも。
なお立ち上がり、刃を向け続ける。
そして、その魔法には致命的な欠点があった。
絶大な威力と引き換えに。
発動までには魔力を収束させる時間が必要だった。
さらに、一度放てば膨大な魔力を消耗し、連続では使えない。
その隙を。
人類は見逃さなかった。
再び始まる猛攻。
止まることなく降り注ぐ刃と魔法。
その果てに――。
「――ッ!?」
銀鏡の翼龍は、生まれて初めて痛みを知る。
誇り高き銀色の鱗。
何者にも傷つけられなかった絶対の防壁。
そこへ、一筋の亀裂が走った。
パキリ、と。
その小さな音は、銀鏡の翼龍にとって世界が崩れる音だった。
理解する。
このままでは――殺される。
初めて胸を満たしたのは、怒りではない。
焦燥だった。
ならば。
最後の手段を使うしかない。
この国ごと。
すべてを凍らせる。
大地も。
人類も。
山も。
命あるものすべてを、永遠の氷へ閉ざしてしまえばいい。
そう考えた彼は、大きく息を吸い込む。
肺が軋むほどに。
限界まで魔力と空気を取り込み、すべてを終わらせる一撃を放とうとした――その瞬間。
視界の端で、一人の男が動いた。
その全身を覆い尽くすほど巨大な灼熱の火球。
太陽を思わせる紅蓮の塊が。
一直線に――。
己の口腔目掛けて、放たれた。