転生勇者が死ぬまで10000日   作:慶名 安

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第9章ーおまけ4

 「……」

 

 息を殺し、慎重に扉の前までたどり着いたライラックは、ゆっくりと身を屈めた。

 

 扉は完全には閉まっていない。

 

 僅かに開いた隙間から、室内を覗き込む。

 

 まずは――魔力感知。

 

 意識を集中させ、部屋の空気に漂う魔力の流れを読み取っていく。

 

 生物が発する魔力。

 

 特に、人間特有の魔力波形を探る。

 

 ――反応なし。

 

 ライラックは眉を寄せた。

 

 室内に、人間らしき魔力は一切感じられない。

 

 しかし、それだけで安全と判断するほど、彼は楽観的ではなかった。

 

 魔力を遮断する魔道具。

 

 気配を隠蔽する術式。

 

 あるいは、単純に感知範囲の外へ逃れる方法。

 

 魔術の世界には、探知を欺く手段などいくらでも存在する。

 

 「反応がない=誰もいない」とは限らない。

 

 それが、長年教員を務めてきたライラックの経験則だった。

 

 その時――。

 

 コトン。

 

 室内から、小さな音が響いた。

 

 「……」

 

 ライラックの目が鋭くなる。

 

 コトン。

 

 まただ。

 

 金属でも、木材でもない。

 

 何か軽い物体が、机の上から滑り落ちたような音。

 

 だが、その間隔が妙に不規則だった。

 

 コトン。

 

 ……コトン。

 

 まるで、誰かが室内で何かを弄っているようにも聞こえる。

 

 「……誰か、いるのか?」

 

 低く問いかける。

 

 返事はない。

 

 侵入者が研究室を物色している。

 

 そう考えるのが自然だった。

 

 だが――おかしい。

 

 人の気配が、まるでない。

 

 魔力も感じない。

 

 それなのに、物音だけが聞こえてくる。

 

 まるで――。

 

 “人の手を介さず、勝手に物が動いている”

 

 そんな印象すら受ける。

 

 ライラックは警戒を解かぬまま、さらに目を細めた。

 

 扉の隙間から、室内をくまなく確認する。

 

 机の下。

 

 棚の陰。

 

 ロッカーの隙間。

 

 部屋の奥。

 

 ……人影はない。

 

 「……?」

 

 数秒間、沈黙が続いた。

 

 やがて。

 

 「……はあ」

 

 ライラックは小さく息を吐き出した。

 

 どうやら、本当に無人らしい。

 

 僅かに張り詰めていた肩の力が抜ける。

 

 ――とはいえ。

 

 念には念を入れる。

 

 それが彼の性格だった。

 

 「念のために、よろしく頼むよ」

 

 そう呟くと、ライラックは右手を軽く開いた。

 

 すると、その掌から灰色の小さな鼠が姿を現す。

 

 彼の使い魔――【追跡鼠(チェイス)】。

 

 手のひらほどの大きさしかない小さな鼠だが、その探索能力は非常に優秀だ。

 

 床へ降り立った瞬間。

 

 使い魔は、まるで命令を理解しているかのように駆け出した。

 

 机の下へ潜り込む。

 

 棚の裏へ回り込む。

 

 ロッカーの隙間へ身体を滑り込ませる。

 

 さらには、人間なら到底入り込めないような僅かな隙間まで、次々と調べていく。

 

 まさに、“隙間という隙間”を探り尽くすような探索だった。

 

 やがて――数十秒。

 

 小さな鼠が、ライラックの足元へ戻ってくる。

 

 そして、ちょこんと首を横へ振った。

 

 ――異常なし。

 

 「ここまでやれば、流石に大丈夫だろう」

 

 ライラックは、わずかに苦笑する。

 

 どうやら侵入者の類ではないらしい。

 

 「まったく……」

 

 改めて室内へ視線を向ける。

 

 「この前、“機材の電源は必ず切るように”と注意したばかりだというのに」

 

 呆れたように呟きながら、ライラックは室内へ足を踏み入れた。

 

 そして、ようやく気づく。

 

 部屋の中には、複数の魔導機器が並んでいた。

 

 そのほとんどが稼働したままだ。

 

 小さな駆動音を立てながら装置が動き続け、いくつもの画面には淡い光が表示されている。

 

 どうやら、これが外から見えていた明かりの正体だったらしい。

 

 「……なるほど」

 

 さらに、先ほどから聞こえていた物音にも気づく。

 

 コトン。

 

 ちょうどその時、また一つ音が鳴った。

 

 視線を向ける。

 

 すると、机の上に設置された装置から、小さな部品が一つ排出されていた。

 

 一定の処理が完了するたびに、部品を自動で排出する仕組みらしい。

 

 つまり――。

 

 先ほどから聞こえていた音も、この装置の作動音だったのだ。

 

 原因が分かり、ライラックは思わず頭を掻いた。

 

 「……まったく」

 

 大きな問題ではなかった。

 

 だが、別の意味で頭が痛い。

 

 「研究熱心なのは結構だが、これでは火事の原因にもなりかねないぞ……」

 

 誰もいない室内へ向けて、ぼやく。

 

 もちろん、返事はない。

 

 ソンジ本人は今頃、迷宮の中だ。

 

 ならばせめて、自分が消しておくべきだろう。

 

 ライラックは机へ歩み寄った。

 

 「ええと……確か、ここをこうして……」

 

 以前、ソンジ本人から教えられた操作方法を思い出しながら、慎重に機器を操作していく。

 

 カチ。

 

 まず一つ。

 

 モニターが暗くなる。

 

 続いて、別の装置へ手を伸ばす。

 

 カチ。

 

 また一つ。

 

 稼働していた機器が停止し、ファンの回転音が少しずつ消えていく。

 

 部屋を満たしていた機械音が、一つ、また一つと静まっていく。

 

 やがて――。

 

 最後のモニターが、ゆっくりと暗転した。

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