転生勇者が死ぬまで10000日   作:慶名 安

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第9章ーおまけ6

 「おわっ!?」

 

 さっきまで床に這いつくばり、妙な魔法陣を調べていたはずだった。

 

 それが――次の瞬間。

 

 ライラックの身体は、何の支えもない空中へと放り出されていた。

 

 「なっ――!?」

 

 足裏に感じていたはずの床が、突然消え失せる。

 

 反射的に手足をばたつかせるが、掴めるものは何もない。

 

 当然だ。

 

 そこには、床も壁もない。

 

 ただ、暗闇だけが広がっていた。

 

 「うおおおおっ!?」

 

 重力に引かれ、身体が真っ逆さまに落下していく。

 

 ほんの数秒。

 

 だが、本人にとっては随分と長く感じられた。

 

 そして――。

 

 ――ドンッ!

 

 「ぐっ……!」

 

 両手と両膝が、硬い地面へ勢いよく叩きつけられた。

 

 鈍い衝撃が全身を駆け抜ける。

 

 「いっててて……」

 

 情けない声を漏らしながら、ライラックはしばらくその場に蹲った。

 

 やがて、恐る恐る手首を動かしてみる。

 

 ……動く。

 

 次に指を握り、開く。

 

 こちらも問題ない。

 

 足も同様に動かしてみる。

 

 「……骨は大丈夫そうだな」

 

 痛みはあるものの、どうやら大きな怪我はないらしい。

 

 軽い打撲程度で済んだことに安堵しつつ、ライラックはゆっくりと立ち上がった。

 

 しかし――。

 

 「……ここは……?」

 

 立ち上がったところで、別の問題に気付く。

 

 暗い。

 

 とにかく暗い。

 

 目を凝らしてみても、何も見えない。

 

 天井がどこにあるのか。

 

 壁がどこまで続いているのか。

 

 そもそも、自分がどれほど広い空間にいるのか。

 

 何一つとして分からなかった。

 

 「……転移させられた、ということだけは間違いないな」

 

 先ほどまで自分がいたのは、ソンジの研究室。

 

 そして、床にあった妙な盛り上がりへ触れた瞬間、この場所へ飛ばされた。

 

 ならば、これは転移魔法。

 

 そこまでは疑いようがない。

 

 問題は――。

 

 「一体、どこへ飛ばされたんだ……?」

 

 周囲を警戒しながら、ライラックは魔力を練り上げる。

 

 「灯せ、【月光蝶《ムート・フライ》】」

 

 短い詠唱。

 

 次の瞬間、彼の手元から淡い白光が生まれた。

 

 光は瞬く間に一匹の蝶へと姿を変える。

 

 拳ほどの大きさをした白い蝶。

 

 その羽は月明かりを思わせる淡い光を放ちながら、ふわりと宙へ浮かび上がった。

 

 「……」

 

 ライラックの周囲を旋回する月光蝶。

 

 その光によって、ようやく周囲の様子が少しずつ明らかになっていく。

 

 無機質な床。

 

 滑らかな壁。

 

 一定間隔で並ぶ柱。

 

 そして、遠くまで続いているように見える空間。

 

 「……少なくとも、さっきの研究室ではないな」

 

 机もない。

 

 棚もない。

 

 魔導機器も工具もない。

 

 見慣れた研究室とは完全に別の場所だった。

 

 それどころか、妙に人工的だ。

 

 自然にできた洞窟のような凹凸はなく、壁も床も一定の規則性を保っている。

 

 「地下施設……か?」

 

 ライラックは呟きながら、周囲を見渡す。

 

 閉鎖された空間特有の圧迫感がある。

 

 外気も感じられない。

 

 窓もない。

 

 入口らしきものすら、今のところ見当たらない。

 

 「照明のスイッチでもあればいいんだが……」

 

 月光蝶を先行させながら、ライラックは慎重に歩き始めた。

 

 何があるか分からない以上、無闇に走り回るのは危険だ。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 靴底が床を踏みしめる音だけが、広い空間へ静かに響いていく。

 

 そして――。

 

 ――コン。

 

 「……!」

 

 ライラックの足が止まった。

 

 聞き間違いではない。

 

 確かに、何かが鳴った。

 

 金属同士が軽く触れ合ったような、小さな音。

 

 「……この音」

 

 ライラックは眉を寄せる。

 

 どこかで聞いたことがある。

 

 いや――。

 

 忘れるはずがない。

 

 先ほどまでいた研究室で、何度も聞こえていた音だ。

 

 「……やっぱりか」

 

 ライラックは周囲を見回す。

 

 「この音、ここから響いていたんだな……」

 

 研究室では、誰もいないはずなのに一定の間隔で音が鳴っていた。

 

 原因を探して床へ触れたところ、自分はこの場所へ転移した。

 

 ならば、答えはおそらく一つ。

 

 研究室の床下に、この空間へ繋がる何かが仕掛けられていたのだ。

 

 「研究室の床……」

 

 ライラックは、先ほど自分が触れた場所を思い返す。

 

 「僅かに盛り上がった床板。そして、その下から聞こえていた音」

 

 さらに――。

 

 「触れた瞬間に発動した転移魔法陣」

 

 一つ一つの情報を頭の中で整理していく。

 

 点だった情報が、少しずつ線へと繋がっていく。

 

 「つまり、あれは単なる転移魔法陣じゃない」

 

 ライラックは確信を深める。

 

 「研究室から、特定の場所へ移動するために設置された転移装置……か」

 

 そこで、ふと過去の記憶が蘇った。

 

 ソンジとの会話。

 

 研究材料。

 

 魔導素材。

 

 そして――保管場所。

 

 「……そういえば」

 

 ライラックは顎へ手を添えた。

 

 「彼女、以前に研究材料を安全に保管できる場所が欲しいと言っていたな」

 

 確か、理事長にも相談していた。

 

 研究室だけでは保管しきれない素材が増えてきたため、専用の保管場所が欲しい――そんな話だったはずだ。

 

 そして、理事長から空き教室の一部を使用する許可も得ていた。

 

 「待てよ……」

 

 ライラックは歩みを止めた。

 

 視線を周囲へ巡らせる。

 

 人目につかない場所。

 

 研究室から直接移動できる。

 

 外部から簡単には侵入できない。

 

 そして、これほど大掛かりな転移装置をわざわざ設置する理由。

 

 すべてを考え合わせれば――。

 

 「……なるほどな」

 

 ライラックは小さく息を吐いた。

 

 ようやく、この場所の正体に辿り着いた。

 

 「ここは、研究室専用の保管庫ってわけか」

 

 月光蝶の淡い光が、無機質な壁面を静かに照らす。

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