「なるほど。あの転移装置を通せば、すぐ下へ移動できるというわけか」
自分が置かれている状況を把握し、ライラックは思わず感心してしまった。
どうやら、この保管庫は研究室の真下に存在しているらしい。
通常ならば階段を使って移動しなければならないところを、転移装置を利用すれば一瞬で行き来できる。
研究材料を運ぶことを考えれば、確かに便利な仕組みだ。
「……タイムパフォーマンスだけを考えれば、悪くない発想ではあるな」
教師としては褒めるべきなのかもしれない。
だが――。
「けど、せめて誰かに一言くらい言ってくれれば、こんなことにはならなかったというのに」
途端に呆れが込み上げてくる。
もしソンジが事前にこの施設の存在を教師陣へ伝えていたのなら、自分がこんな場所へ突然転移させられることもなかった。
少なくとも、転移装置の存在と使用方法くらいは共有しておくべきだろう。
もっとも、ソンジの性格を考えれば――。
「……まあ、言っていないんだろうな」
容易に想像できる。
おそらく彼女の中では、
『便利なものを作った。使えるようになった。なら、使えばいい』
程度の認識なのだろう。
その過程で他人がどう思うか、などという部分は二の次。
天才的な頭脳を持つ一方で、そういうところが妙に大雑把なのだ。
「まったく……」
ライラックが小さくため息を吐いた、その時だった。
――コン。
――コン。
「ッ!?」
また聞こえた。
先ほどから何度も耳にしている、あの奇妙な音。
ライラックはすぐさま顔を上げた。
「そうだ。今はこっちを調べるのが先だったな」
ソンジへの説教について考えている場合ではない。
そもそも、自分は何のためにここへ来たのか。
研究室から聞こえてきた異音。
その原因を突き止めるためだ。
ライラックは気持ちを切り替えると、月光蝶を前方へ飛ばした。
淡い光が、暗闇の中をゆっくりと進んでいく。
その後を追うように、彼も慎重に歩き始めた。
――コン。
まただ。
音は確実にこの空間のどこかから聞こえている。
「……近いな」
耳を澄ませながら、壁際を歩く。
数歩。
さらに数歩。
その時――。
「ん?」
足元に、何かが引っかかった。
「……なんだ?」
ライラックは足を止める。
月光蝶を低く飛ばし、足元を照らした。
そこに落ちていたのは、一枚の布だった。
いや。
正確には、一枚という表現が正しいのかすら怪しい。
「……?」
ライラックは眉を寄せながら、それを拾い上げる。
柔らかな布地。
水玉模様。
二つの丸みを帯びた布が、細長い布地で繋がっている。
さらに、その端には小さな金具まで付いていた。
しばらく眺める。
「……これは」
そして。
ようやく、それが何なのかに気付いた。
「……もしかして、下着か?」
ライラックの表情が固まる。
どう見ても女性用の下着。
形状から考えても間違いない。
「……彼女のもの、だよな」
思わず辺りを見回す。
当然、誰もいない。
そもそも、この保管庫へ出入りできる人物など限られている。
ならば――。
十中八九、ソンジのものだろう。
「……なんで、こんなところに」
それが最大の疑問だった。
魔導素材を保管するための場所に、なぜ下着が落ちているのか。
研究材料でもなければ、魔道具でもない。
少なくとも、保管庫に保管しておく必要があるものには到底思えない。
「……」
ライラックは下着を手にしたまま、しばらく考え込む。
そして、ふと一つの可能性が浮かんだ。
「……まさか、ここを更衣室として使っているのか?」
そう考えれば、一応は説明がつく。
人目につかない。
研究室からすぐに移動できる。
しかも、転移装置まである。
ソンジなら、その程度の理由で勝手に利用していてもおかしくはない。
しかし――。
「いや……」
すぐに首を横へ振る。
「彼女の性格を考えると、それも違う気がするな」
そもそも、ソンジは研究室で白衣を着ている時ですら、服装に無頓着なところがある。
白衣の下を適当に済ませることも珍しくなく、教師陣から何度となく注意されている。
本人に悪気がないのが、また始末に負えない。
羞恥心がない――とまでは言わない。
ただ、研究に集中すると、それ以外のことが恐ろしく雑になるのだ。
そんな彼女が、わざわざ研究室から別の場所へ移動して着替えるために、この保管庫を利用するだろうか。
「……いや、ないな」
ライラックは即座に結論を出した。
むしろ――。
「着替えている最中に適当に放り投げたら、偶然ここへ落ちた……」
その可能性の方が、よほどありそうだった。
「……うん。そっちだな」
想像してみる。
ソンジが研究室で着替える。
脱いだ衣服を適当に放り投げる。
そのうちの一枚が転移装置の上へ落ちる。
そして、何らかの拍子に装置が起動。
そのまま保管庫へ転送される。
「……」
ライラックは無言になる。
否定できない。
むしろ、あのソンジならやりかねない。
天才的な頭脳を持ち、魔道具の開発では教師陣すら舌を巻くほどの才能を発揮する。
その一方で――。
日常生活では驚くほど雑。
その落差こそが、ソンジという人間なのだ。
「……まったく」
ライラックは深々とため息を吐いた。
「研究だけじゃなく、生活習慣まで私が注意しないといけないとはな」
教師として何年も生徒を見てきた。
勉強を教える。
魔法を教える。
危険な行動をすれば叱る。
それが教師の仕事だ。
だが――。
まさか生徒の落とした下着まで回収する羽目になるとは思わなかった。
「私は母親ではないんだが……」
誰に言うでもなく、ぼそりと呟く。
想像の中で、本人が何の悪びれもなく、
『あ、それそこにあったんだ』
などと言っている姿が容易に浮かんでしまう。
「……説教する理由が、また一つ増えたな」
ライラックは額を押さえた。
今日だけで何度ため息を吐いたことだろう。
それでも、いつまでも持っているわけにもいかない。
「後で本人に渡しておくか」
そう呟き、ライラックは拾った下着を畳む。
……そして、できるだけ目立たない場所へしまい込んだ。