第10章ー1
初めて挑む迷宮――
その名を聞いた時、自分の胸には期待と不安、その両方があった。
これまでに経験したことのない迷宮。
どんな魔物が潜んでいるのか。
どんな罠が仕掛けられているのか。
そして――最深部には、一体何が待ち受けているのか。
未知への好奇心が胸を躍らせる一方で、言いようのない不安も確かに存在していた。
攻略に赴いたのは、自分を含めて六人。
仲間の中には、迷宮探索の経験が豊富なソンジさんもいた。
地図を確認しながら進行ルートを決め、危険な場所では立ち止まり、魔力や周囲の状況を慎重に確認する。
彼女の的確な判断と指示のおかげで、攻略は驚くほど順調に進んでいた。
「この調子なら、案外すんなり踏破できるんじゃないか」
当時の自分は、そんなことさえ考えていた。
――だが。
迷宮という場所は、そんな甘い考えを許してくれるほど優しくはなかった。
その異変が起きたのは、攻略開始からしばらく経った頃だった。
道中、ギリスケが足を踏み外した。
「あ」
間の抜けた声。
次の瞬間には、その身体が視界から消えていた。
足元に開いていたのは、底の見えない巨大な洞穴。
暗闇へと飲み込まれていく彼の姿を見た瞬間、背筋が凍り付いた。
落ちた。
――そう理解した時には、もう身体が動いていた。
仲間を見捨てる。
そんな選択肢は、最初から存在しなかった。
問題は、その先だった。
救出のために穴へ降りた自分たちは、そこで地図にも記されていない未知の領域へと足を踏み入れることになった。
引き返すことはできない。
仲間を置いていくこともできない。
ならば――進むしかなかった。
そして。
その先で待っていたのは、想像を絶する極寒の世界だった。
息を吸い込むだけで肺の奥が痛む。
吐き出した息は白く染まり、瞬く間に凍りついていく。
壁も。
床も。
天井も。
視界に入るもの、そのすべてが分厚い氷に覆われていた。
わずかに差し込む光さえ、氷の表面で冷たく反射する。
まるで地上とは完全に切り離された、別世界だった。
進めば進むほど、地上との距離は遠ざかっていく。
帰還するための道も分からない。
自分たちが今、迷宮のどこにいるのかすら把握できない。
「このままじゃ……戻れないんじゃないか?」
そんな不安が、少しずつ仲間たちの間に広がっていった。
だが――。
事態は、それだけでは終わらなかった。
いや。
むしろ、本当の恐怖はここからだった。
凍りついた地下の奥底。
何かがいる。
そう感じた直後――。
――ドゴォォォン!!
大地そのものを揺るがす轟音が響いた。
氷が砕ける。
雪嵐が巻き起こる。
そして、その中心から――巨大な影が姿を現した。
伝説級の魔物。
銀色の鱗は鏡のように光を反射し、その巨大な翼が一度羽ばたくだけで凄まじい風圧が生まれる。
その存在が放つ威圧感は、これまで戦ってきた魔物とは明らかに次元が違っていた。
目が合った瞬間。
全身の血が凍りついたような錯覚に襲われた。
――勝てない。
脳裏に、そんな言葉が浮かんだ。
まともに戦えば、瞬く間に全滅してもおかしくない。
それほどまでに、あの龍は圧倒的だった。
だが――。
だからといって、逃げることもできなかった。
逃げ道など、どこにもなかったのだから。
ならば、戦うしかない。
自分たちは、それぞれが持てる力をすべて注ぎ込んだ。
誰が攻撃するのか。
誰が守るのか。
どうすれば、あの化け物の隙を作れるのか。
一人では到底届かない相手だからこそ、互いの力を繋ぎ合わせた。
何度も死を覚悟した。
ほんの一瞬判断を誤れば、それだけで命を奪われる。
一歩間違えれば死。
わずかな判断の遅れすら許されない、綱渡りのような戦いだった。
それでも――。
誰一人、諦めなかった。
傷を負っても立ち上がった。
魔力が尽きかけても、それでも魔法を放った。
身体が限界を迎えても、仲間のために前へ出た。
そして。
長く、苦しく、命を削り合うような死闘の果て。
ついに――。
銀鏡の翼龍は、深い空洞の底へと崩れ落ちた。
轟音。
舞い上がる粉塵。
それを見届けた瞬間、ようやく理解する。
――勝った。
自分たちは、あの伝説級の魔物を倒したのだ。
誰一人として欠けていない。
全員が生きている。
それだけで、奇跡と言ってもよかった。
だが――。
勝利の余韻に浸っている暇はなかった。
自分たちは、まだ迷宮の最深部に取り残されている。
地上へ続く道は見つかっていない。
外界の光も届かない。
ここまで深く落ちてしまった自分たちを、誰かが助けに来られる保証もない。
むしろ、こちらの位置を知っている者がいるのかすら怪しい。
――終わった。
そう思った死闘の先に、まだ別の問題が残されていた。
銀鏡の翼龍との戦いは終わった。
だが。
自分たちの戦いは――まだ終わっていない。