「ふー……ふー……」
「?」
隣から聞こえてくる、妙に荒い鼻息。
気になって横目で見てみると――。
ギリスケが、なぜか目を血走らせていた。
「……」
何だこいつ。
さっきまで大人しく外を見ていたと思ったら、今度は鼻息を荒くしている。
しかも、尋常じゃないくらい真剣な顔だ。
だが、不思議なことに後ろを向こうとする素振りはまるでない。
「……」
もしかして、こいつ。
会話だけで勝手に妄想しているのか?
……それがありえそうなのが、こいつの本当に怖いところだ。
まあ、直接覗こうとしないだけ、まだマシなのかもしれない。
そんなことを考えていた、その時だった。
「……ん?」
さらに妙なことに気づく。
よく見ると、ギリスケの視線が右下へ向けられている。
それも、限界まで。
「……?」
何を見ているんだ?
気になって、俺もつられるようにそちらへ視線を向ける。
そこにあったのは、ただの凍った地面。
銀鏡の翼龍が消えたことで少しずつ溶け始めているとはいえ、まだ薄く氷が残っている。
その氷面には、自分たちの姿がぼんやりと反射していた。
特に興奮するような光景なんて――。
「あっ」
……いや。
ある。
氷の反射に映っていたのは、自分たちの姿だけではなかった。
角度の関係で、その奥に――。
まさに今、結界の中で着替えている彼女たちの姿が映り込んでいた。
「……」
なるほど。
そういうことか。
こいつ。
氷を鏡代わりにして、彼女たちの着替えを見てやがる。
いや、言葉だけで説明すると妙に大げさに聞こえるかもしれない。
だが、こいつがここまで鼻息を荒くしている理由を考えれば、それ以外に説明がつかない。
確かに、視線を限界まで右下へ向ければ、氷面に反射した光景を「なんとか」確認できる。
とはいえ。
「……」
見えるか、見えないか。
そのギリギリのラインだ。
しかも、角度によってはほとんど何も分からない。
普通なら、そこで諦めるだろう。
だが。
「ふー……ふー……」
こいつは諦めていない。
むしろ、全神経を集中させている。
……執念が深い。
そこまでして見たいのか、こいつ。
「油断も隙もねぇな、こいつ!!」
「うおっ!? 何すんだよ!?」
直接見ているわけではない。
だが、覗きに変わりはない。
そう判断した俺は、ギリスケの視界を手で覆った。
「おい! 何しやがる!」
「覗きは駄目だろ!」
「覗いてねぇ! 俺はただ氷を見てただけだ!」
「屁理屈言うな!」
案の定、ギリスケは猛烈に抵抗し始めた。
手を振りほどこうと腕を振り回し、身体を捻る。
「やめろ! 俺の楽しみを奪うな!」
「そんなことに神経使ってる暇があったら寝てろって……うおっ!?」
想像以上だった。
ギリスケの抵抗が一気に強くなり、押さえ込もうとした俺の身体がバランスを崩す。
「うわっ!」
そのまま、二人揃って後ろへ倒れ込んだ。
「痛ってぇ……!」
こんなところで無駄に体力を使わされるとは思わなかった。
だが、まだ終わっていない。
ギリスケが再び氷面を見ようとする前に、このまま押さえ込んでしまえば――。
「……あ」
その瞬間だった。
背後から、妙な気配を感じた。
殺気。
そう表現するしかない何か。
「……?」
嫌な予感がする。
というか。
今さらだが。
自分たちがどこに倒れたのかを考えれば、当然のことだった。
ゆっくりと顔を上げる。
そして、ようやく自分の置かれている状況を理解した。
後ろへ倒れた。
つまり。
「『あ、あぁ……』」
「おろ?」
「おやおやぁ?」
「……」
視線を上へ向ける。
そこには、着替えの途中だった女子たちが立っていた。
当然、まだ服を着終えてはいない。
突然こちらが倒れ込んできたことで、全員が様々な反応を見せていた。
顔を真っ赤にして慌てて身体を隠すフィー。
晒を手にしたまま、何が起こったのか理解できず棒立ちになっているマヒロ。
そして――。
ニヤニヤと笑いながら、こちらを覗き込んでいるソンジさん。
最後に。
「……」
無言のミオ。
その表情からは、何を考えているのかまるで読み取れない。
……だが。
長く一緒にいるからこそ分かる。
あれは相当怒っている。
いつものミオなら、恥ずかしさに顔を真っ赤にして慌てて隠れるところだ。
それなのに。
今はまったく隠そうとしない。
ただ、じっとこちらを見ている。
「……」
まずい。
これは、かなりまずい。
この後どうなるのか。
もう想像できてしまった。
「……あの、ミオさん?」
とりあえず弁明を試みる。
「これは違くて、ギリスケが暴れてたから抑えようとしただけで――」
自分としては、本当にそれだけだ。
覗こうとしたわけではない。
むしろ、覗こうとしていたギリスケを止めていた側だ。
だから、どうか話を聞いてほしい。
そう思ったのだが。
「……」
ミオは何も答えない。
こちらの弁明など、まるで届いていないようだった。
しかも。
彼女はゆっくりと右手を持ち上げていた。
「……」
その手の周囲に、風の魔力が集まっていく。
渦を巻く風。
次第に強くなっていく風圧。
「あ」
やっぱり。
今回も駄目でしたか。
ですよね。
俺の言い分なんて、聞いてもらえるわけないですよね。
「死ねー! 変態!!」
「ぐほっ!?」
「ぶほおっ!?」
次の瞬間。
溜め込まれていた風魔法が、俺とギリスケの腹部へ容赦なく叩き込まれた。
「ぐおおおおっ!?」
「ぬわああああ!?」
凄まじい衝撃が身体を突き抜ける。
内臓が全部まとめて飛び出すんじゃないかと思うほどの威力だった。
そのまま男二人は揃って吹き飛び、地面を転がる。
「……」
痛い。
死ぬほど痛い。
というか、さっきまで銀鏡の翼龍と戦っていたんだぞ。
それを乗り越えて。
ようやく休めると思ったのに。
なんで俺は、こんな目に遭っているんだ。
俺、何も悪いことしてないよな?
いや。
ギリスケを止めようとはした。
ちゃんと止めようとはしたんだ。
……なのに。
「なんで毎回こんな目に遭うんだろうか……」
薄れゆく意識の中。
俺は心の底から、そう思った。