「……」
突如として現れた来訪者を前に、誰一人として言葉を発することができなかった。
いや。
正確に言えば、言葉を選ぶ以前の問題だ。
脳が、目の前で起きている現実に追いついていない。
誰だ?
いつから、そこにいた?
一人だけなのか?
それとも、どこかに仲間が潜んでいるのか?
疑問が次から次へと浮かんでは、処理しきれずに頭の中で渋滞していく。
考えようとしても思考がまとまらない。
身体も動かない。
まるで、全身が凍りついてしまったかのようだった。
(……あ、これ、あれだ)
ふと、前世で読んでいた某少年漫画を思い出す。
作中最強クラスのキャラクターが使う、とんでもない必殺技。
それをまともに食らった敵たちは、きっと今の自分たちと似たような顔をしていたのだろう。
何が起こったのか理解できない。
目の前にいる存在を認識することすらできない。
ただただ圧倒され、立ち尽くすしかない。
……たぶん、こんな感じだ。
などと、どうでもいいことを考えている間にも。
男は俺たちの反応など気にも留めず、淡々と周囲を見渡していた。
「魔力が消失し、この空間に漂っていた魔力も徐々に薄れている……」
低い声。
それでいて、妙によく通る。
氷の壁に反響し、洞窟の奥まで染み込んでいくような声だった。
「――あやつの姿も見当たらん」
男の視線が、周囲の氷壁や崩れた地面へと向けられる。
そこに何かを探すような素振りはない。
まるで、答えがすでに決まっているかのようだった。
「となれば……死んだ、か」
淡々と。
あまりにも淡々と。
まるで今日の天気でも確認するような口調で、男はそう結論づけた。
「……」
その言葉に、俺たちは何も返せない。
あやつ。
男がそう呼んでいるのは、銀鏡の翼龍のことだろう。
つまり、この男はあの魔物を知っている。
しかも、その死を確認するためにここへ来た。
……何者なんだ?
改めて、目の前の男を観察する。
色白の肌。
月光をそのまま糸にしたかのような、淡く輝く銀髪。
整った顔立ち。
年齢は二十代前半ほどに見える。
少なくとも、外見だけなら人間の青年と言われても納得してしまいそうな容姿だった。
だが。
何より目を引くのは、その体格だ。
――でかい。
優に二メートルはある。
しかも、ただ身長が高いだけではない。
細身に見える身体には、無駄なく鍛えられた筋肉が備わっている。
鎧もない。
武器も持っていない。
それなのに、なぜか「丸腰」という印象がまるでない。
むしろ。
武器など必要ないのではないか。
そんな錯覚すら覚える。
第一印象だけなら、少し変わった美形の成人男性。
それで済ませることもできた。
少なくとも――最初の数秒までは。
だが。
「……」
よく見ると、耳が僅かに尖っている。
そして、男が何かを呟いた拍子に口元から覗いた歯。
それは、人間の歯よりも明らかに鋭かった。
牙。
そう表現する方がしっくりくる。
(……人間、なのか?)
疑問が浮かぶ。
いや。
違う。
魔物か?
そう考えた方が、まだ納得できる。
だが、そんなこちらの困惑など知ったことではないと言わんばかりに、男はゆっくりとこちらへ顔を向けた。
「……となると」
一瞬。
男の動きが止まる。
そして――。
「あやつを仕留めたのは――貴様らか?」
「ッ――!?」
視線が合った。
その瞬間だった。
ドンッ!!
見えない何かが、全身へ叩きつけられたような感覚。
空気そのものが、一瞬で変質した。
――重い。
「……っ」
肺が圧迫される。
息が、できない。
心臓が早鐘のように鼓動を刻み、背中を冷たい汗が伝っていく。
(な、なんだ……これ……!?)
魔力の圧。
最初はそう思った。
だが、違う。
そんな生易しいものじゃない。
魔力を放っているというより――。
存在そのものが、俺たちを押し潰そうとしている。
まるで。
生物としての格そのものが違う。
そう、本能が理解させてくる。
逃げろ。
戦うな。
こいつは――自分たちがどうこうできる相手じゃない。
頭ではなく、本能がそう叫んでいる。
仲間たちも同じだった。
誰一人として動けない。
フィーは顔を強張らせ、ギリスケですら冗談を口にする余裕がない。
ソンジさんも険しい表情で男を睨みつけている。
そして。
マヒロですら。
「……っ」
歯を食いしばり、必死に立っている。
その膝が、僅かに震えていた。
あのマヒロが。
これまで幾度となく強敵と向き合ってきた彼女が。
ただ立っているだけで精一杯になっている。
それが、この男の異常さを何よりも物語っていた。
「答えろ」
男の声が、冷たく響く。
そして。
「人間」
その一言を聞いた瞬間。
俺は確信した。
――やはり、この男は人ではない。
「……え?」
反射的に声が漏れた。
その瞬間だった。
視界が、赤く染まった。
「――ッ!?」
いや。
違う。
視界が赤くなったわけじゃない。
赤い何かが。
こちらへ向かってきている。
それは、弓矢のような形をしていた。
だが、矢ではない。
純粋な魔力。
赤黒い光を纏った、巨大な魔力の矢。
それが。
空間そのものを切り裂くような速度で、一直線にこちらへ迫っていた。
(――やば……)
そう思った時には、もう遅かった。
速い。
あまりにも速すぎる。
さっきまで遠くにあったはずのそれが、一瞬で距離を詰めてくる。
逃げる時間なんてない。
防ぐ暇もない。
詠唱する余裕など、当然ない。
身体が動かない。
いや。
仮に動けたとしても、間に合わない。
ただ。
死の気配だけが、異常なほど鮮明に感じられた。
脳が理解する。
身体が理解する。
本能が理解する。
――これは、当たれば死ぬ。
そう確信した瞬間。
赤い魔力の矢は、もう目の前まで迫っていた。