「はあっ!!」
鋭い裂帛の気合が響き渡った。
その瞬間、張り詰めていた空気が震える。
次の瞬間――。
視界を焼き尽くさんばかりの勢いで迫っていた赤い矢が、横合いから奔った蒼白の閃光によって真っ二つに断ち切られた。
「――ッ!?」
キィンッ!!
甲高い音が響く。
赤い魔力の矢が弾け、細かな光の粒となって宙へ散っていく。
そして、その正体を理解する。
水。
ただの水ではない。
極限まで圧縮された水流が刃の形を成していた。
高密度の水の刃。
それが、あの赤い魔力の矢を真正面から叩き斬ったのだ。
「……」
――助かった。
そう理解したのは、赤い光が完全に消え去ってからだった。
遅れて、全身から力が抜けそうになる。
気が付けば、俺の前には一人の少女が立っていた。
マヒロ。
いつの間に抜いたのか、彼女の手には魔剣・魔妖が握られている。
その刀身は淡い蒼白の光を纏い、今なお微かに揺らめいていた。
ほんの一瞬。
本当に、ほんの一瞬でも彼女の判断が遅れていたら――。
(……間違いなく、死んでた)
背筋を冷たい汗が伝う。
膝から力が抜けそうになるのを、必死に堪えた。
さっきの男から放たれた魔力。
あれは、まともに受けていい攻撃じゃない。
防ぐどころか、反応することすらできなかった。
「間一髪でござったな」
マヒロがこちらを振り返らないまま、静かに口を開く。
その声には焦りがない。
だが、普段の明るさも消えていた。
いつもより低く。
そして、鋼のように引き締まった声。
完全に――戦闘時の声だった。
「……わりぃ、マヒロ」
絞り出すように礼を告げる。
だが、マヒロは小さく頷いただけだった。
それ以上、何も言わない。
意識のすべてを、目の前の男へ向けている。
刀を構える姿勢には、微塵の無駄もなかった。
いつでも踏み込める。
しかし、決して不用意には近づかない。
相手との距離を正確に測りながら、最も動きやすい位置を維持している。
「……」
――強い。
改めて、そう思う。
普段のマヒロはどこか抜けているところがある。
ござる口調で妙なことを言ったり、勢いだけで突っ込んだりすることもある。
だが。
剣を握った瞬間だけは違う。
そこにいるのは、紛れもなく一人の剣士だ。
そして――。
そんな彼女が、ここまで慎重になっている。
それだけで分かる。
目の前の男が、どれほど異常な存在なのか。
「ほお?」
そんな声が聞こえた。
攻撃を放った男――先ほどの赤い矢を撃ち出した張本人だ。
男は驚いた様子こそ見せているものの、焦っているようには見えない。
むしろ。
興味深そうに、マヒロの手元へ視線を向けていた。
「その刀……魔剣か」
赤い瞳が、魔妖の刀身を舐めるように見つめる。
その目には、まるで珍しい玩具を見つけた子供のような好奇心が宿っていた。
「なるほどな。あやつが敗北を喫したのも、少しは納得がいく」
「あやつ」。
おそらく、銀鏡の翼龍のことだ。
その言葉を聞いて、改めて警戒心が強まる。
やはり、この男は銀鏡の翼龍を知っている。
しかも。
あの魔物の強さを知った上で、俺たちの前に立っている。
「……お主、何者でござるか?」
マヒロが低い声で問いかけた。
視線は一瞬たりとも逸らさない。
魔妖の切っ先も、微動だにしない。
先ほどの一撃。
あれだけで、彼女も理解したのだろう。
この男は、まともに話し合える相手なのかすら怪しい。
油断すれば死ぬ。
その事実を、身体で理解している。
だが――。
男は、向けられた敵意などまるで気にしていなかった。
むしろ。
「ふむ」
どこか愉快そうに口元を歪める。
そして顎へ手を当て、値踏みするようにマヒロを眺め始めた。
「先程の見事な剣捌き……称賛に値する」
「……」
その言葉に、マヒロは何も返さない。
当然だ。
今は相手の出方を見ている。
だが、男はそんなことなど意に介さず、さらに言葉を続ける。
「褒美として、名乗っておこう」
「……褒美?」
思わず呟いてしまう。
何を言っているんだ、こいつ。
「光栄に思うがいい」
「……」
俺は思わず絶句した。
偉そう。
そんな言葉では生ぬるい。
もっと根本的な何かが違う。
まるで――。
俺たちと対等に会話しているつもりがない。
自分が上。
俺たちは下。
その認識が、あまりにも当然のものとして存在している。
だからこそ、褒美などという言葉が自然に出てくる。
「……なんだこいつ」
思わず心の中で呟いた。
その瞬間だった。
男の背後で、魔力がゆらりと揺らめいた。
「……っ」
空気が変わる。
先ほどまでとは比べものにならない。
男の周囲から溢れ出した魔力は、血のように濃い赤色をしていた。
禍々しい。
そう感じるはずなのに。
不思議なことに、そこにはどこか気品すら漂っている。
ただの暴力的な魔力ではない。
長い年月を経て研ぎ澄まされたような、異様なまでに洗練された魔力。
「……っ」
呼吸が浅くなる。
空気そのものが重くなったように感じる。
身体が、本能的に警告を発している。
――逃げろ。
――こいつは危険だ。
――格が違う。
生物としての位階が。
明確に、上だ。
男はそんな俺たちの反応を楽しむように、ゆっくりと片手を広げた。
まるで舞台の上で観客へ挨拶する役者のような、芝居がかった仕草だった。
そして。
「我が名は――ブラム・ブラッドフィールド」
一拍。
男は、その名を味わうように間を置く。
まるで。
この世界そのものに刻み込ませるかのように。
そして、誇らしげに口元を吊り上げた。
「誇り高き吸血鬼族《ヴァンパイア》である!」