転生勇者が死ぬまで10000日   作:慶名 安

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第10章ー10

 「はあっ!!」

 

 鋭い裂帛の気合が響き渡った。

 

 その瞬間、張り詰めていた空気が震える。

 

 次の瞬間――。

 

 視界を焼き尽くさんばかりの勢いで迫っていた赤い矢が、横合いから奔った蒼白の閃光によって真っ二つに断ち切られた。

 

 「――ッ!?」

 

 キィンッ!!

 

 甲高い音が響く。

 

 赤い魔力の矢が弾け、細かな光の粒となって宙へ散っていく。

 

 そして、その正体を理解する。

 

 水。

 

 ただの水ではない。

 

 極限まで圧縮された水流が刃の形を成していた。

 

 高密度の水の刃。

 

 それが、あの赤い魔力の矢を真正面から叩き斬ったのだ。

 

 「……」

 

 ――助かった。

 

 そう理解したのは、赤い光が完全に消え去ってからだった。

 

 遅れて、全身から力が抜けそうになる。

 

 気が付けば、俺の前には一人の少女が立っていた。

 

 マヒロ。

 

 いつの間に抜いたのか、彼女の手には魔剣・魔妖が握られている。

 

 その刀身は淡い蒼白の光を纏い、今なお微かに揺らめいていた。

 

 ほんの一瞬。

 

 本当に、ほんの一瞬でも彼女の判断が遅れていたら――。

 

 (……間違いなく、死んでた)

 

 背筋を冷たい汗が伝う。

 

 膝から力が抜けそうになるのを、必死に堪えた。

 

 さっきの男から放たれた魔力。

 

 あれは、まともに受けていい攻撃じゃない。

 

 防ぐどころか、反応することすらできなかった。

 

 「間一髪でござったな」

 

 マヒロがこちらを振り返らないまま、静かに口を開く。

 

 その声には焦りがない。

 

 だが、普段の明るさも消えていた。

 

 いつもより低く。

 

 そして、鋼のように引き締まった声。

 

 完全に――戦闘時の声だった。

 

 「……わりぃ、マヒロ」

 

 絞り出すように礼を告げる。

 

 だが、マヒロは小さく頷いただけだった。

 

 それ以上、何も言わない。

 

 意識のすべてを、目の前の男へ向けている。

 

 刀を構える姿勢には、微塵の無駄もなかった。

 

 いつでも踏み込める。

 

 しかし、決して不用意には近づかない。

 

 相手との距離を正確に測りながら、最も動きやすい位置を維持している。

 

 「……」

 

 ――強い。

 

 改めて、そう思う。

 

 普段のマヒロはどこか抜けているところがある。

 

 ござる口調で妙なことを言ったり、勢いだけで突っ込んだりすることもある。

 

 だが。

 

 剣を握った瞬間だけは違う。

 

 そこにいるのは、紛れもなく一人の剣士だ。

 

 そして――。

 

 そんな彼女が、ここまで慎重になっている。

 

 それだけで分かる。

 

 目の前の男が、どれほど異常な存在なのか。

 

 「ほお?」

 

 そんな声が聞こえた。

 

 攻撃を放った男――先ほどの赤い矢を撃ち出した張本人だ。

 

 男は驚いた様子こそ見せているものの、焦っているようには見えない。

 

 むしろ。

 

 興味深そうに、マヒロの手元へ視線を向けていた。

 

 「その刀……魔剣か」

 

 赤い瞳が、魔妖の刀身を舐めるように見つめる。

 

 その目には、まるで珍しい玩具を見つけた子供のような好奇心が宿っていた。

 

 「なるほどな。あやつが敗北を喫したのも、少しは納得がいく」

 

 「あやつ」。

 

 おそらく、銀鏡の翼龍のことだ。

 

 その言葉を聞いて、改めて警戒心が強まる。

 

 やはり、この男は銀鏡の翼龍を知っている。

 

 しかも。

 

 あの魔物の強さを知った上で、俺たちの前に立っている。

 

 「……お主、何者でござるか?」

 

 マヒロが低い声で問いかけた。

 

 視線は一瞬たりとも逸らさない。

 

 魔妖の切っ先も、微動だにしない。

 

 先ほどの一撃。

 

 あれだけで、彼女も理解したのだろう。

 

 この男は、まともに話し合える相手なのかすら怪しい。

 

 油断すれば死ぬ。

 

 その事実を、身体で理解している。

 

 だが――。

 

 男は、向けられた敵意などまるで気にしていなかった。

 

 むしろ。

 

 「ふむ」

 

 どこか愉快そうに口元を歪める。

 

 そして顎へ手を当て、値踏みするようにマヒロを眺め始めた。

 

 「先程の見事な剣捌き……称賛に値する」

 

 「……」

 

 その言葉に、マヒロは何も返さない。

 

 当然だ。

 

 今は相手の出方を見ている。

 

 だが、男はそんなことなど意に介さず、さらに言葉を続ける。

 

 「褒美として、名乗っておこう」

 

 「……褒美?」

 

 思わず呟いてしまう。

 

 何を言っているんだ、こいつ。

 

 「光栄に思うがいい」

 

 「……」

 

 俺は思わず絶句した。

 

 偉そう。

 

 そんな言葉では生ぬるい。

 

 もっと根本的な何かが違う。

 

 まるで――。

 

 俺たちと対等に会話しているつもりがない。

 

 自分が上。

 

 俺たちは下。

 

 その認識が、あまりにも当然のものとして存在している。

 

 だからこそ、褒美などという言葉が自然に出てくる。

 

 「……なんだこいつ」

 

 思わず心の中で呟いた。

 

 その瞬間だった。

 

 男の背後で、魔力がゆらりと揺らめいた。

 

 「……っ」

 

 空気が変わる。

 

 先ほどまでとは比べものにならない。

 

 男の周囲から溢れ出した魔力は、血のように濃い赤色をしていた。

 

 禍々しい。

 

 そう感じるはずなのに。

 

 不思議なことに、そこにはどこか気品すら漂っている。

 

 ただの暴力的な魔力ではない。

 

 長い年月を経て研ぎ澄まされたような、異様なまでに洗練された魔力。

 

 「……っ」

 

 呼吸が浅くなる。

 

 空気そのものが重くなったように感じる。

 

 身体が、本能的に警告を発している。

 

 ――逃げろ。

 

 ――こいつは危険だ。

 

 ――格が違う。

 

 生物としての位階が。

 

 明確に、上だ。

 

 男はそんな俺たちの反応を楽しむように、ゆっくりと片手を広げた。

 

 まるで舞台の上で観客へ挨拶する役者のような、芝居がかった仕草だった。

 

 そして。

 

 「我が名は――ブラム・ブラッドフィールド」

 

 一拍。

 

 男は、その名を味わうように間を置く。

 

 まるで。

 

 この世界そのものに刻み込ませるかのように。

 

 そして、誇らしげに口元を吊り上げた。

 

 「誇り高き吸血鬼族《ヴァンパイア》である!」

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