時は少し遡る。
これは、俺たちが迷宮へ赴くよりも少し前――学園での出来事である。
その日の授業は、生物学だった。
教壇に立っていたのは、いつものライラック先生。
先生は教室を一通り見渡すと、黒板へ視線を向けながら淡々と口を開いた。
「今日は魔物の誕生について扱う。しっかりノートを取るように」
生物学はライラック先生の担当教科だ。
一般的な動植物の生態系だけでなく、この世界特有の存在である魔物についても学ぶ。
その日のテーマは――魔物が、どのようにして生まれるのか。
俺もペンを手に取り、黒板へ視線を向けた。
「一学期に勉強した内容だね。魔物の誕生には大きく分けて二種類がある。マヒロ・トーエン、分かるかな?」
「うっ!? え、ええと……季節の変わり目に生まれるものと、そうでないもの、でござるか?」
「その通り。ちゃんと覚えていたようだね。けっこう」
「ふう……」
マヒロが胸を撫で下ろす。
突然の指名に一瞬慌てたものの、どうにか正解できたようだ。
初任務の際に一学期の授業内容を振り返っていたらしく、それが功を奏したらしい。
「魔物は、季節の変わり目に生まれる『節句種』と、それ以外の『汎用種』に分類される。ただし、その中間的な条件で生まれる種族も存在する」
ライラック先生は説明を続けながら、黒板に次々と文字を書き込んでいく。
「節句種には、春に生まれる『春生期《スプラシーズン》』、夏の『夏生期《サマラシーズン》』、秋の『秋生期《オーラシーズン》』、冬の『冬生期《ウィラシーズン》』がある。さらに、特殊な条件によって誕生する個体も存在するが……テスト範囲にすると大変だから、今回は割愛だ。興味がある者は図書館で調べるといい」
先生の言葉に合わせ、生徒たちが一斉にノートを取っていく。
カリカリ、カリカリ。
教室にペンを走らせる音が響く。
魔物の誕生条件。
こうして聞いてみると単純そうに思えるが、実際はかなり複雑だ。
大きく分ければ二種類。
しかし、その内側ではさらに細かく分類され、種族によって条件が異なり、例外まで存在する。
魔物という存在を一括りにするには、あまりにも多様だった。
「一方、汎用種は誕生時期が一定せず、唐突に生まれることが多い。ギリスケ・アンドリューズ。魔物は何から生まれるか、分かるかい?」
「えっ!? 俺っすか!?」
突然名前を呼ばれ、ギリスケが勢いよく顔を上げる。
「えーっと……一定量の魔力が溜まると、みたいな?」
「概ね正解だ。けっこう」
「はあ……」
ギリスケは心底安心したように胸を撫で下ろした。
まあ、気持ちは分かる。
ライラック先生は授業中の質問に答えられなかった場合、普通に説教を始めるタイプだ。
そのため、教室には常に微妙な緊張感が漂っている。
正直、俺だって指名されたくはない。
「魔物とは、一定量以上の魔力が集束し、具現化した存在だ。実際、不自然な魔力反応を感知した地点で、魔物が誕生する事例も確認されている」
先生は黒板へ新たな文字を書き加えながら続ける。
「もっとも、その瞬間に立ち会うことは、自ら赴かない限り滅多にないだろうね。一説には、魔物は自分たちに危害が及ばない環境で生まれるとも言われている」
そこで先生は、僅かに間を置いた。
「真偽については議論の余地がある。だが、街中で魔物が自然発生した例が確認されていない以上、完全な与太話とも言い切れない」
魔物は、魔力の塊。
この世界では、それが一つの常識として認識されている。
魔法もまた魔力によって現象を引き起こすものだ。
そう考えれば、魔力そのものが集まり、一つの生命体として形を得るという現象も、理屈の上では理解できなくもない。
使い魔も魔力によって生み出されると聞いたことがある。
さらに、研究者たちが実験によって魔力を集積させ、魔物を人工的に誕生させた事例まであるらしい。
……研究者というのは、やっぱりどこの世界でも恐ろしいことを考えるものだ。
「ただし、魔物の生態は非常に複雑だ」
ライラック先生の声が再び教室に響く。
「魔力の具現化によって生まれる存在である以上、基本的に生殖行為を必要としない。生殖器官そのものを持たない個体がほとんどだ」
「ってことは、セックスとかしないってことっすか?」
ギリスケが何の躊躇もなく口にした。
教室の空気が、一瞬だけ凍る。
(よくそんな単語を平然と口に出せるな……)
俺は思わず頭を抱えたくなった。
こういうところだけは、本当に肝が据わっている。
「うほん!」
ライラック先生がわざとらしく咳払いを一つ。
「言い方はともかく、概ねその通りだ。ただし――」
先生はそこで言葉を切った。
そして、黒板へ向き直る。
「例外も存在する。無性生殖によって増える魔物もいる」
『えっ!? 魔物も無性で繁殖するんですか!?』
今度は教室中から驚きの声が上がった。
「むせい、せいしょく、とはなんでござる?」
マヒロが首を傾げる。
「簡単に言えば、一人でも子供を増やせるってことかな」
「ほお……そんな生き物もおるのか」
マヒロが感心したように頷く。
教室内にも、ざわざわとした声が広がっていく。
当然だ。
魔物は魔力の具現化。
そう教えられてきた俺たちにとって、「繁殖する魔物」という存在は、今までの常識から少し外れたものだった。
魔力によって生まれる。
それなのに、自らの力で新たな個体を生み出す。
それはまるで――。
魔物が、ただの魔力の塊ではなく、一つの生物として独立した存在であることを示しているようにも思えた。
「そして――」
その時だった。
ライラック先生の声が、ほんの僅かに低くなる。
それまで淡々としていた授業の空気が、わずかに変化した気がした。
先生は黒板に視線を向けたまま、ゆっくりと言葉を続ける。
「その中でも、特に有名なのが――『吸血鬼族』と呼ばれる、伝説の一族だ」