「ヴァンパイア……」
先生の口から発せられたその単語を聞いた瞬間、脳裏に一つのイメージが浮かび上がった。
漆黒の衣装に身を包み、血を啜るための鋭い牙を持つ怪物。
夜闇を好み、棺桶を寝床とする、人ならざる存在。
――吸血鬼。
前世の世界では、物語や伝承の中にしか存在しない架空の怪物だ。
映画や小説、漫画なんかではお馴染みの存在だったが、実際に遭遇したことなど当然ない。
そもそも、前世の世界では魔法すら存在しなかったのだ。
そんな吸血鬼が、この世界では――実在する。
そう考えると、なんとも不思議な気分だった。
「吸血鬼族は、少なくとも数百年前から存在が確認されている。魔物の中でも非常に珍しい種族でね。特筆すべきは、明確に性別が分かれていること。そして、顔立ちや体格が人間と非常によく似ていることだ」
ライラック先生は淡々と説明を続ける。
黒板に書かれた『吸血鬼族《ヴァンパイア》』という文字を指しながら、まるで教科書を読み上げるかのように言葉を紡いでいく。
「古い文献によれば、生殖器官を備えた個体の存在も確認されているそうだ」
「……じゃあ、単体でも、複数でも繁殖が可能だと?」
誰かがおそるおそる尋ねる。
「その認識で概ね正しい。生殖器官を持つ魔物自体が極めて稀だが、“ある個体”と“ない個体”の両方が確認されているのは、恐らく吸血鬼族のみでしょう」
ざわり。
教室内の空気が揺れた。
魔力の具現化によって生まれるはずの魔物。
その多くは生殖という行為そのものを必要としない。
なのに、吸血鬼族は違う。
性別が存在し、生殖器官まで備え、他の生物と同じように子孫を残すことができる。
しかも、見た目は人間とほとんど変わらない。
それはもはや――
「魔物」という言葉だけでは括れない存在なのではないだろうか。
「繁殖する、ということは……」
そこで、ミオが静かに手を挙げた。
ライラック先生が視線を向ける。
「なんだい、ミオ君?」
「吸血鬼族が、私たちみたいに……どこかで生活している、ということにはなりませんか?」
「ッ……?」
一瞬。
教室が静まり返った。
俺も思わずミオを見る。
言われてみれば、その通りだ。
繁殖する。
つまり、個体数を増やせる。
個体数が増えれば、集団を作ることもできる。
集団ができれば、生活圏を築くこともできる。
そして、文化や社会を形成することだって――理論上は可能だ。
ましてや、その姿が人間と酷似しているというのなら。
「……待てよ」
思わず、小さく呟いてしまう。
もし吸血鬼族が人間と見分けがつかないほどの姿をしているのなら。
人間社会に紛れ込むことだって、十分に可能なのではないか?
街を歩いていても気づかれない。
普通の服を着て、普通に店で買い物をして、普通に誰かと会話をする。
場合によっては、人間と同じ家に住んでいることだってあり得る。
前世で読んだ、某喰種漫画のように。
表向きは人間として生活しながら、裏では人間とは異なる性質を持つ存在。
あの物語では喰種側に主人公たちがいたからこそ、読者として彼らに感情移入できた。
だが――この世界の吸血鬼族が、必ずしもそうだとは限らない。
人間を襲う吸血鬼が存在する可能性だってある。
そう考えた途端、先ほどまで単なる授業の題材だった「吸血鬼」という言葉が、急に現実味を帯びてきた。
もし、今この瞬間にも――
どこかの街で。
何食わぬ顔をして。
人間に紛れて暮らしている吸血鬼がいたとしたら。
……。
いやいや。
さすがに考えすぎか。
そう自分に言い聞かせる。
しかし、一度浮かんでしまった疑念は、なかなか頭から離れてくれなかった。
「ふむ……」
そんな俺たちの反応を見て、ライラック先生は顎に手を当てる。
そして――
「いい質問ですね」
どこか某ジャーナリストを彷彿とさせる反応を見せた。
……先生、そういう言い方すると余計に怪しいんだけど。
「確かに、古い記述では、人間と見分けがつかないほど酷似しているとされています」
ライラック先生は一度言葉を切る。
「理論上は、人間社会に溶け込むことも不可能ではないでしょう」
「……理論上、ですか?」
ミオが首を傾げた。
俺も同じ疑問を抱く。
先生の返答は、どこか歯切れが悪かった。
先ほどまで淡々と説明していたのに、ここへ来て妙に言葉を選んでいる。
まるで――
何かを知っている。
そんな印象すら受けた。
「ですが――」
先生が静かに口を開く。
教室に漂っていたざわめきが、少しずつ収まっていく。
そして、先生は先ほどまでよりも低い声で続けた。
「その可能性は、あまり高くありません」
「……?」
教室中の視線が、ライラック先生へ集まった。
「なぜなら――」
先生はそこで一度だけ間を置く。
まるで、これから告げる言葉の重さを確かめるように。
そして。
「その一族は――」
一拍。
「すでに『滅んで』しまったと記録されているからです」