「ヴァ、ヴァンパイア? ……冗談だろ?」
思わずそう口にしたギリスケの声は、驚きと困惑が入り混じり、情けないほどに掠れていた。
無理もない。
ついさっきまで、吸血鬼族は滅んだと聞かされていたのだ。
それが今、自分たちの目の前にいる。
しかも、ただの伝承や記録ではない。
自らを吸血鬼族だと名乗る男が、確かな存在としてそこに立っている。
『たしか……絶滅したって、先生が……』
フィーもまた、信じられないといった様子で呟いた。
その声には、困惑だけではなく、明らかな恐怖が滲んでいる。
当然だ。
もし目の前にいる男が本当に吸血鬼族なのだとしたら、これまで自分たちが知っていた常識そのものが覆される。
「……ブラム」
自分は低く、しかしはっきりと男の名を呼んだ。
自らを吸血鬼族と名乗った男。
ブラム・ブラッドフィールド。
魔物でありながら家名を持ち、そして、その名は前世の知識に照らし合わせれば――“吸血鬼の始祖”と呼ばれる存在と同じものだった。
ただの偶然なのか。
それとも……。
「……ダメ、サダメ」
不意に、マヒロの声が耳に届いた。
「ッ!?」
考えに沈みかけていた意識が、一瞬で現実へと引き戻される。
彼女の声は小さかった。
だが、そこに含まれた緊張だけは、はっきりと伝わってくる。
「戦えそうでござるか?」
短く、率直な問いだった。
『えっ!? マヒロちゃん、まさか……』
その言葉が終わるより早く、フィーが慌てて声を潜める。
ブラムに聞かれないよう、必死に抑えた声だった。
だが、そんな必要もなかったのかもしれない。
ここにいる全員が、もう理解していた。
マヒロが何を考えているのか。
そして、フィーが何を恐れているのか。
――戦うつもりなのか。
その問いが、誰の口から発せられることもなく、重苦しい空気となって場に漂っていた。
「……ああ。多分、大丈夫そうだ」
そう答えたのは、自分だった。
ゆっくりと手を開き、そして閉じる。
指先に力を込め、身体の感覚を確かめる。
銀鏡の翼龍との戦いで残っていた痺れは、幸いにもほとんど気にならなくなっていた。
「痺れも引いてきたし、魔力もだいぶ回復してきた」
身体は重い。
呼吸も完全には整っていない。
魔力だって、万全には程遠い。
それでも――“動けない”わけではない。
戦える。
少なくとも、自分自身はそう判断した。
「ちょっ!? 正気かよ?!」
今度はギリスケが食って掛かってくる。
「相手がマジで吸血鬼族なら、十死怪と同じレベルなんだろ?! 伝説の魔物を倒した直後に、今度は伝説の魔族とか……とんでもねぇボスラッシュじゃねぇか!」
「やめとけって! 本気で死ぬぞ!」
必死の説得だった。
ただ恐怖しているだけではない。
その声音からは、自分たちを本気で心配していることが伝わってくる。
だからこそ――その言葉を、簡単に否定することはできなかった。
「……」
ギリスケの言う通りだ。
状況は、どう考えても最悪だった。
銀鏡の翼龍との激戦を終えたばかり。
身体は消耗し、魔力も完全には戻っていない。
精神だって同じだ。
あれほどの死闘を終えた直後に、今度は別の強敵と戦えと言われている。
しかも相手は、つい先ほどまで“滅んだはず”だと教えられていた存在。
伝説級の魔物。
いや。
それ以上かもしれない。
勝算がある。
そう言えと言われたら――嘘になる。
正直に言えば、怖い。
目の前に立つ男から感じる異様な気配だけで、身体が本能的に警鐘を鳴らしている。
それでも。
視線を巡らせる。
周囲に広がるのは、崩れかけた氷の大地。
先ほどの戦闘によって、足場の一部は大きく崩れている。
逃げ道らしいものは――見当たらない。
上へ戻ろうとしても、ブラムが立ち塞がっている。
あいつが道を譲る保証なんて、どこにもない。
いや。
仮に背を向けて逃げたとしても、無事に逃げ切れるとは到底思えなかった。
背中を見せた瞬間、何をされるか分かったものじゃない。
「……逃げ場がねぇ」
ぽつりと、独り言のように呟く。
「ここは迷宮の底だ。退路は潰されてる」
言葉にしてみると、改めて現実が突き付けられる。
逃げられない。
戦う力は残っている。
なら――答えは一つしかない。
「戦わなきゃ、この場は抜けられない」
それは、勇敢な判断なんかじゃない。
無謀な覚悟でもない。
ただ、生きてここから出るために必要な、現実的な判断だった。
戦わなければ死ぬ。
ならば、戦うしかない。
「逃げ場がない以上――」
腰へ手を伸ばす。
次の瞬間、赤黒い炎が渦を巻きながら形を成していく。
顕現した業火剣を、強く握り締める。
掌へ伝わってくる熱が、冷え切ったこの場所で唯一、自分がまだ戦えることを教えてくれているようだった。
ゆっくりと剣を構える。
視線の先にいるのは、吸血鬼族――ブラム・ブラッドフィールド。
さっきまでの疲労も。
身体に残る痛みも。
これから何が起こるのかという恐怖も。
全部、胸の奥へ押し込める。
今は考える必要なんてない。
生き残るために、目の前の敵を倒す。
それだけだ。
「戦うしかねぇ!」