「ほお? 下等種族ごときが、この私に刃《やいば》を向けるか?」
業火剣を構えた瞬間、ブラム・ブラッドフィールドは薄く笑みを浮かべ、嘲るように言い放った。
怒りもない。
警戒もない。
ましてや、こちらを脅威として見る様子など微塵もなかった。
そこにあったのは、ただの余裕。
まるで、予想外の玩具を見つけた子供でも眺めるような表情だった。
その態度に、背筋がひやりと冷える。
――こいつは、本気で自分たちを脅威だと思っていない。
そう直感した。
「……」
だが、マヒロは何も答えなかった。
煽りにも。
侮辱にも。
表情一つ変えない。
ただ静かに、魔妖を構える。
……いや。
構えたと思った次の瞬間には、一度納刀していた。
「抜刀!」
短く鋭い声が響く。
瞬間。
空気が変わった。
マヒロの足元へ魔力が一気に集束し、刃鳴りにも似た鋭い音が周囲へ響き渡る。
そして――
「【鳴雷《なるいかづち》】!!」
次の瞬間。
雷光が走った。
比喩なんかじゃない。
本当に雷そのものが地面を駆け抜けたかのような、凄まじい閃光だった。
バァンッ!!
爆ぜるような音と共に、マヒロの身体が弾ける。
一瞬。
本当に、一瞬だった。
五十メートルはあろうかという距離を、一気に詰める。
速い。
あまりにも速すぎる。
視界が、その動きに追いつかない。
金色の髪が雷光を反射し、一本の光の軌跡となって空間に焼き付く。
踏み込み。
速度。
重心移動。
そのすべてが寸分の狂いもなく噛み合っていた。
しかも、ここは迷宮の底。
足場は崩れ、地面の至る所に亀裂が走っている。
一歩でも踏み外せば、そのまま深い空洞へ落下する。
普通なら、そんな場所でこれほどの速度を出すなど自殺行為だ。
だが、マヒロは違った。
足場の僅かな凹凸すらも把握しているかのように、迷いなく駆け抜ける。
まるで、この不安定な地形さえも自分の庭であるかのように。
そして――
ドンッ!!
寸分の狂いもなく、ブラムの懐へと踏み込んだ。
距離はゼロ。
反応する時間など、存在しない。
「はあっ!!」
雷を纏った魔妖が唸りを上げる。
狙いは首。
急所中の急所。
人間ならば、まともに受ければ即死は免れない。
だが――
ブラムは動かなかった。
避ける様子もない。
防御する気配すらない。
ただ、そこに立っている。
この距離。
この速度。
この一閃。
――避けられるはずがない。
――防げるはずもない。
そう、誰もが思った。
「……っ!」
自分も息を呑む。
いける。
これなら――いける。
相手が伝説級の魔物だろうが、十死怪級の化け物だろうが関係ない。
この一撃なら、確実に届く。
そう思った。
その瞬間だった。
「なっ……!?」
目の前の光景が、理解できなかった。
マヒロの刃は、確かにブラムの首元へ到達している。
雷光も。
速度も。
殺気も。
すべてが完璧だった。
なのに――
刃が、止まっている。
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
止まっている。
何かに弾かれたわけじゃない。
防がれたわけでもない。
ましてや、受け止められたわけでもない。
ブラムの右手。
その人差し指と中指。
たった二本の指で――
マヒロの刃を、摘まんでいた。
「…………」
頭が理解を拒む。
そんなことができるはずがない。
あれほどの速度で迫った刃を。
雷を纏った一撃を。
首元へ迫る、必殺の一閃を。
まるで羽虫でも摘まむかのように、指二本で止めるなんて。
ブラムは、力んですらいなかった。
表情も変わっていない。
ただ、ほんの少しだけ目を細める。
「……ほう」
そこで初めて、僅かな興味を示した。
指先から雷が弾ける。
バチバチッ!!
耳元で雷鳴が炸裂する。
だというのに――
ブラムの指は、微動だにしなかった。
「悪くない」
その一言が、やけに大きく聞こえた。
――止められた。
違う。
“受け止められた”んじゃない。
“摘ままれた”。
マヒロの渾身の一撃が。
それも、彼女が持つ最大の速度を乗せた一撃が。
まるで子供の悪戯でもあしらうかのように、止められている。
「っ……!」
マヒロが歯を食いしばる。
それでも、刃を押し込もうとする。
全身の力を込める。
雷がさらに激しく弾ける。
空気が震える。
氷の大地が、雷鳴に合わせて震動する。
それでも――
刃は、一ミリたりとも進まなかった。
「……ッ!」
マヒロの表情に、初めて僅かな焦りが浮かぶ。
それを見て、ブラムは首を傾げた。
まるで、不思議なものでも見るように。
「その速さ、その剣技……一端の人間にしては悪くない」
淡々とした声音だった。
褒めている。
だが、その言葉には圧倒的な上から目線が滲んでいる。
まるで、採点でもしているようだった。
そして――
ブラムの指先に、ほんの僅かに力が込められる。
「キィン――」
甲高い音が響いた。
次の瞬間。
バチィッ!!
マヒロを包んでいた雷が、一瞬にして霧散した。
「な――」
言葉が漏れるより早く。
ブラムは、二本の指で刃を軽く弾いた。
「――っ!?」
ズドォン!!
凄まじい衝撃が走る。
まるで巨大な何かに殴り飛ばされたかのように、マヒロの身体が後方へ弾き飛ばされた。
地面を削りながら、彼女の身体が何度も跳ねる。
「マヒロ!」
思わず叫ぶ。
だが、そんな自分の声すら、遠くに聞こえた。
目の前にいる男から、視線を外せない。
ブラムは、何事もなかったかのように立っている。
衣服に乱れすらない。
首元には――傷一つない。
そして、こちらを見下ろしながら、静かに口を開いた。
「だが――」
その瞳に浮かんでいたのは、怒りでも殺意でもなかった。
ただ、絶対的な確信。
自分たちとは、立っている場所そのものが違う。
そんなことを理解させるには、十分すぎるほどの眼差しだった。
「私には、届かん」
その言葉が――
雷鳴よりも重く。
剣撃よりも鋭く。
凍りついた迷宮の底へ、深々と突き刺さった。