「くっ!?」
衝撃に弾き飛ばされ、マヒロの身体が地面を滑る。
氷を削りながら数メートルほど後退し、ようやく足を止めた彼女の姿を見て、思わず声が漏れた。
「大丈夫か、マヒロ!?」
「うむ。拙者は問題ござらん」
返ってきたのは、驚くほど落ち着いた声だった。
息も乱れていない。
身体もふらついていない。
咄嗟に取った受け身も完璧だったようで、どうやら先ほどの一撃で致命的なダメージを負ったわけではないらしい。
それでも――
マヒロの表情から、僅かな緊張が消えていなかった。
当然だ。
あれほどの一撃を、ブラムは真正面から受け止めた。
いや。
受け止めた、という表現ですら正しくない。
たった二本の指で、止めたのだ。
「しかし……あの剣速を、避けるどころか受け止められてしまうとは」
マヒロはブラムから視線を逸らさぬまま、低く呟いた。
驚愕している。
だが、それ以上に冷静だった。
「相当な動体視力と筋力だな」
「それもあるが……」
マヒロの目が、僅かに細められる。
「ほんの刹那、やつの腕が赤く光ったように見受けられた」
「腕が赤く……?」
自分の位置からでは確認できなかった。
あまりにも一瞬の出来事だったからだ。
だが――
マヒロの観察眼を疑う理由はない。
あれほどの速度で戦いながら、彼女は敵の動きを正確に捉えている。
ならば、何かを見たのだろう。
「何かの強化か、それとも――」
「……からくりがあるかもしれぬ」
マヒロは短く答えた。
そして、僅かに刀の柄を握り直す。
焦ってはいない。
むしろ、先ほどの攻防から得られた情報を整理しているようだった。
鳴雷は、通じなかった。
速度も。
威力も。
奇襲性も。
そのすべてを込めた一撃を、ブラムは止めた。
ならば、同じ手を繰り返しても意味がない。
強敵との戦いでは、一度の攻防から得られる情報が何よりも重要になる。
そしてマヒロは、そのことをよく理解している。
「どうした? もう終いか?」
そんな彼女を見て、ブラムが退屈そうに肩をすくめた。
その顔には、相変わらず余裕がある。
いや――余裕ですらない。
こちらの攻撃を、最初から脅威として認識していないのだ。
「……」
やつの能力は、まだ分からない。
腕が赤く光った理由も。
あの異常な反応速度も。
指二本だけで鳴雷を止めた力も。
何一つとして。
分からない以上、下手に突っ込めば、先ほどと同じ結果になる。
だが――
このまま様子見を続ければ、主導権は完全に相手へ渡る。
ならば。
「拙者の攻撃を受け止められる余裕があるのであれば」
マヒロが静かに口を開く。
「受け止められぬ一撃を放てばよいだけのこと」
その言葉と同時に、彼女は再び魔妖を納刀した。
「……?」
ブラムが僅かに眉を上げる。
自分も同じだった。
また鳴雷か?
だが――
何かが違う。
先ほどとは明らかに空気が違っていた。
マヒロの周囲に集まる魔力。
その性質が、先ほどとはまるで違う。
「……?」
青い魔力が、彼女の周囲を静かに揺らめく。
なるほど。
鳴雷は初見で見切られた。
ならば次は、速度そのものではなく――
“斬撃そのもの”を変える。
そういうことか。
「抜刀!」
マヒロの声が響く。
「【水龍《すいりゅう》】!!」
瞬間。
彼女の髪が――蒼く染まった。
「ッ!?」
同時に、魔妖が大量の水を纏う。
刀身を覆った水は、ただ刃に付着しているだけではない。
生き物のように蠢き、流動し、絶えず形を変えている。
まるで――
一振りの刀そのものが、龍へと姿を変えたかのようだった。
そしてマヒロは、踏み込まなかった。
その場から、一歩も動かない。
ただ――
剣を振るう。
「はあっ!!」
ヒュンッ!!
振り抜かれた刃が、空気を切り裂く。
その直後だった。
水が――伸びた。
「……なっ!?」
刀身から放たれた水の刃が、凄まじい速度で前方へ伸長していく。
鞭のようにしなり。
蛇のように軌道を変え。
そして最後には――
巨大な龍の顎のような形となって、空間そのものを喰らいながら迫っていく。
「ッ!?」
ブラムの目が、僅かに見開かれた。
通常の魔妖では到底届かない距離。
だが、水龍は違う。
刀身の長さそのものを自在に変化させる。
数メートル。
十メートル。
それだけではない。
一瞬のうちに、その刃は何倍にも伸びていく。
ブラムの胴体へ到達するまで、僅か二秒にも満たなかった。
鳴雷ほどの初速はない。
だが――
剣筋が読めない。
距離が読めない。
どこまで伸びるのかも分からない。
ましてや、あの水の刃がどのように軌道を変えるのかなど、予測できるはずもない。
それでも。
「……」
ブラムは動かなかった。
避ける素振りすら見せない。
また、受け止めるつもりなのだろう。
やがて、その右手がゆっくりと持ち上がる。
先ほどと同じように、刃の軌道上へ差し出される。
「……ふむ」
ブラムの口元に、薄い笑みが浮かんだ。
その瞬間だった。
「ぬっ!?」
ブラムの声が、初めて僅かに上擦った。
水の刃が――
差し出された右手を、そのまま通り抜けた。
否。
通り抜けたのではない。
斬った。
ズバァッ!!
鮮血が舞う。
ブラムの右手が、手首から先を失って宙を舞った。
「……な」
自分の口から、言葉にならない声が漏れる。
ブラム自身も、何が起きたのか理解できていないようだった。
だが――
水龍は止まらない。
勢いを失うことなく、そのまま伸び続ける。
右手を斬り飛ばした刃が、次に狙うのは――胴体。
「――ッ!」
ブラムが何かに気づいたように目を見開く。
だが、もう遅い。
水の刃が、その身体へ到達する。
そして――
ズバリッ!!
刃が、ブラムの胴体を横一文字に切り裂いた。
「…………」
時間が止まったように感じた。
つい先ほどまで、絶対的な余裕を見せていた男。
鳴雷を指二本で止めた化け物。
その身体が――
真っ二つに、なっていた。