「ッ!? ミオ!!」
ブラムが一歩、前へ踏み出そうとした――その瞬間だった。
背骨を氷の刃でなぞられたような悪寒が走る。
考えるよりも早く、身体が動いていた。
自分はミオを強く見据え、短く、しかし明確に視線を送る。
――守れ。
言葉は必要なかった。
ミオは一瞬だけ目を見開くと、すぐにその意図を察したように小さく息を呑む。
「う、うん!!」
迷いはなかった。
ミオは即座に魔力を解放し、詠唱へと移る。
「吹き荒れろ、嵐の防壁よ――。【
詠唱が完成した瞬間――空間そのものが唸り声を上げた。
自分達を中心に、凄まじい乱流が発生する。
渦巻く風が螺旋を描きながら収束し、幾重にも圧縮されて巨大な壁を形作っていく。
やがてそれは、自分達をすっぽりと包み込むドーム状の防壁へと変貌した。
ゴオオオオオオオオッ!!
圧縮された風が周囲の空気を引き裂き、耳を打つ轟音を響かせる。
肌を叩く気流だけでも、並の人間なら立っていることすら難しいだろう。
――【
それは単なる防風結界ではない。
幾重にも圧縮した風の層を重ね、外部から加えられた力を削り、逸らし、分散させる高等防御魔法。
魔法攻撃だけではない。
物理的な衝撃すらも風の流れによって受け流し、その威力を大幅に減衰させる。
そして今は、ミオの魔力も十分に戻っている。
先ほどまでの結界とは、完成度がまるで違う。
並の魔法なら、触れた瞬間に霧散する。
たとえ直撃したとしても、その衝撃が内部まで届くことはない。
――これなら、初撃は防げる。
そう判断した。
恐らく、ブラムはいきなり全力では来ない。
これまでの立ち居振る舞い。
こちらを見下ろすような余裕のある表情。
そして、まるでこちらの力量を値踏みするかのような視線。
間違いない。
最初は様子見だ。
先ほど放った赤い矢のような、牽制程度の一撃。
まずはそれでこちらの反応を探ってくるはずだ。
だが――それこそが最大の好機になる。
相手が危険な存在だということは、もう十分すぎるほど理解している。
だからこそ、相手がこちらを侮っている今を逃す理由はない。
防御で初撃を受ける。
攻撃の軌道から、ブラムの位置を把握する。
そして――その瞬間に最大火力を叩き込む。
魔力感知を極限まで研ぎ澄ます。
ドームの外。
ブラムの位置を正確に捉える。
防壁が攻撃を弾いた、その一瞬。
詠唱短縮によって最大出力の火球を生成し、至近距離から叩き込む。
再生能力が異常だろうと関係ない。
肉体ごと。
魔力ごと。
何もかも焼き尽くせばいい。
炎なら、再生する暇すら与えない。
――それが、自分の算段だった。
そう。
そのはずだった。
「ふんっ!!」
低く、短い声が響く。
次の瞬間――
「なっ!?」
視界に飛び込んできた光景を、脳が理解することを拒んだ。
ブラムが――【
魔法を纏っている様子はない。
魔力の高まりもない。
特殊な技を使った気配すらない。
ただ、拳を握り。
ただ、前へ突き出した。
――それだけだった。
ドゴォォォォォンッ!!
次の瞬間、凄まじい衝撃音が洞内を揺らした。
風のドームが、大きく歪む。
圧縮された気流が悲鳴を上げ、無数の亀裂が走った。
「は……?」
思わず声が漏れる。
まだだ。
こんなものは一時的な歪みだ。
【乱気流の城壁】は、そんな簡単に破られるような魔法じゃない。
そう思った。
思いたかった。
だが――
バキィィィィィンッ!!
現実は、その希望をあまりにも簡単に打ち砕いた。
防壁が――砕けた。
まるで薄氷を拳で殴りつけたかのように。
幾重にも圧縮されていた風の層が、一瞬で弾け飛ぶ。
渦巻いていた暴風が散り、魔法そのものが跡形もなく消滅した。
――拳一つで。
「…………」
言葉が出なかった。
おかしい。
何かがおかしい。
あれだけの防御魔法を、真正面から。
しかも――魔法すら使わずに?
理解できない。
いや。
理解したくなかった。
自分が今まで積み上げてきた戦術も。
ミオが命懸けで構築した防壁も。
そのすべてを、ブラムはたった一発の拳で粉砕した。
まるで――最初から、そんなものは存在していなかったかのように。
背筋を、再び悪寒が駆け抜ける。
先ほどとは違う。
今度は、本能そのものが告げていた。
――こいつは、ヤバい。
想定していた強さの、その遥か上。
自分の中にあった「勝てる」という算段が、音を立てて崩れ落ちていく。
そして何より恐ろしいのは――
ブラムが、まだ本気を出していないことだった。