転生勇者が死ぬまで10000日   作:慶名 安

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第3章ー20

 「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」

 

 ダークボルトの呼気が、獣の唸り声のように空気を震わせた。

 その姿は、もはや先ほどまでの“人型の戦士”ではない。理性の皮を剥がれ、剥き出しになった殺意だけで立つ怪物。腹を空かせた肉食獣が、逃げ場のない獲物を睨み据える――そんな光景そのものだった。

 

 紅天画撃を両手で強く握り込み、腰を極限まで落とす。背骨はしなり、肩は前へ張り出し、四足獣が今にも跳躍する瞬間のような低姿勢。口元からは無意識に垂れた涎が細い糸を引き、地面へと落ちて弾ける。

 

 ――分かる。

 こいつは、ここからが本気だ。

 

 「【神武流《かぶる》】」

 

 短い詠唱。

 だが、その瞬間、ダークボルトの全身が爆ぜるように脈動した。筋肉が縄のように盛り上がり、皮膚の上を黒雷が走る。ぱちり、と乾いた放電音が耳元で弾け、周囲の空気が一瞬だけ焼け焦げた匂いを帯びる。

 

 次の瞬間。

 

 「ぬっ!?」

 

 視界が揺れた。

 いや、揺れたのは世界のほうだ。

 ダークボルトが一歩踏み込んだだけで、その巨体はすでに勇者の眼前へと到達していた。先ほどまでの疾風迅雷と比べれば、確かに“見える”動き。しかし――重い。踏み込みの一歩が大地を沈ませ、衝撃が足元から骨を震わせる。

 

 勇者は即座に剣を構え、防御の体勢に入る。

 ――これなら、また防がれる。

 

 そう思った刹那。

 

 「くうっ!?」

 

 轟音。

 金属が悲鳴を上げる音とともに、勇者の身体が大きく後方へ弾かれた。

 剣で受け止めていたはずの一撃。その衝撃は刃を越え、腕を砕く勢いで全身へ流れ込む。踏ん張った足が地面を抉り、土煙が舞い上がった。

 

 「えっ?!」

 

 体勢を崩し、勇者の正面が一瞬、完全に空く。

 それは戦場において、死と同義の“隙”。

 

 「貰ったぁぁぁっ!!」

 

 ダークボルトが咆哮する。

 紅天画撃が黒雷を纏い、唸りを上げて振り抜かれる。空気が裂け、耳が痛むほどの圧力が迫る。

 

 「ちっ……!」

 

 だが勇者は、崩れた体勢のまま無理やり剣を振り下ろした。

 炎を帯びた刃が叩きつけられ、火花が爆ぜる。

 紅天画撃は地面へと打ち込まれ、巨木が倒れるような音とともに大地を割った。

 

 ――紙一重。

 今の一撃は、間違いなく“死”に触れていた。

 

 「ちっ、やり損ねた!」

 

 ダークボルトの舌打ちは、心底悔しげに響く。

 勝利を掴みかけていた獣が、獲物を逃したときの声。

 だがこちらは、冷や汗が背を伝う。今の攻防は、これまでとは次元が違う。ひとつ判断を誤れば、即座に命が刈り取られる領域へと踏み込んでいる。

 

 「なるほど……今のは強化系魔法か」

 

 勇者は体勢を立て直しながら、静かに言った。

 息は乱れていない。声にも揺らぎはない。まるで、危機を楽しんでいるかのように。

 

 「はっ、さすがに気づいたか。そうだよ。神武流は肉体強化魔法。俺の黒雷《こくらい》による速度強化と合わせれば――近接戦最強ってわけよぉ!」

 

 誇示するようにダークボルトは腕を広げる。

 黒雷がその全身を這い、周囲の空気を焦がす。

 ただ速いだけではない。

 ただ強いだけでもない。

 速度とパワー、その両方が極限まで引き上げられている。

 

 ――これは、まずい。

 

 誰もがそう思った。

 だが当の勇者だけは、まだ笑っていた。

 

 「確かに、近接戦において速度と力は重要だ」

 

 圧倒的な暴力を前にしてなお、余裕を失わないその姿。

 まるで、まだ見せていない切り札があると言わんばかりだ。

 

 「だが……」

 

 勇者は剣を静かに構え直す。

 その刃に、微かな熱が宿り始める。

 

 「まだ、こっちは“魔法”を使っていない」

 

 その言葉と同時に、剣の刃から紅蓮の炎が噴き上がった。

 荒々しく、獰猛に、しかしどこか神聖さを帯びた炎。

 炎は風もないのに逆巻き、周囲の闇を焼き払い、戦場の影を赤く染める。

 

 「勝負は――ここからだ」

 

 炎が揺らめき、戦場の温度が一段上がる。

 熱気に押されるように、ダークボルトの獣じみた瞳がわずかに細まった。

 

 ――勇者が、ついに牙を剥いた。

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