転生勇者が死ぬまで10000日   作:慶名 安

73 / 81
第3章ー25

 黒い槍が、勇者の腹を穿つ――はずだった。

 

 「ッ!? 勇者さ――」

 

 叫び声が喉から漏れた瞬間、父が目の前で倒れたあの日の光景が脳裏をよぎる。

 身体が勝手に震え、心臓が凍りつく。

 

 だが。

 

 「ふぅっ、あっぶなかったぁ」

 

 聞こえてきたのは、呑気とも思える声だった。

 

 「……え?」

 

 目を凝らす。

 勇者の腹は、確かに槍の軌道上にあった。

 しかし、貫かれていない。

 

 勇者は咄嗟に右手を突き出し、槍の穂先を真正面から受け止めていた。

 掌から小さな炎が噴き出し、黒槍を焼き焦がすように震えている。

 血が一筋、指先から滴り落ちる。

 だが、貫通までは許していない。

 

 「ゆ、勇者さん……!?」

 

 安堵と恐怖が入り混じった声が漏れる。

 

 「『ほう……油断していれば、あるいはと思いましたが』」

 

 静かな拍手のように、空気が揺れた。

 

 「『流石は勇者。反射だけは一流ですね』」

 

 黒い影が地面から滑り出すように立ち上がる。

 

 ――エイシャ。

 

 先ほどまで姿を消していた十死怪の一角が、悠然と勇者の前に現れた。

 

 「……おまえは……」

 

 勇者が低く唸る。

 

 こいつ。

 さっきまでどこに潜んでいた?

 ダークボルトとの戦いの最中、逃げ出したとでも思っていたのに。

 

 「仲間がやられてる間に逃げる準備でもしてたかと思ったが……案外義理堅いじゃねぇか」

 

 勇者が皮肉を投げる。

 

 だが、エイシャは微笑むだけだった。

 

 「『仲間思い? ふふ……勘違いなさらず』」

 

 「『私はただ――貴方が油断する瞬間を待っていただけです』」

 

 「『魔王軍にとって、勇者とは唯一にして最大の障害。排除する好機を逃す理由がありません』」

 

 淡々と語られる言葉。

 感情の揺れが一切ない。

 

 それが逆に、不気味なほどの余裕を感じさせた。

 

 「なら今度はお前が相手だな。俺は構わねぇ」

 

 勇者が剣を再び構え直す。

 

 だが。

 

 「『ええ。そのつもりです――が』」

 

 その一言と同時に。

 

 ズズ……と地面が低く唸った。

 

 周囲の土が円形に沈み込み、そこから漆黒の影が湧き上がる。

 影は次々と形を成し、魔物へと姿を変えていく。

 

 「ッ!?」

 

 息を呑む。

 

 村で戦った魔物たち。

 自分が倒しきれなかった生き残りだ。

 

 十体以上――いや、それ以上かもしれない。

 

 「『彼らはね』」

 

 エイシャが楽しげに語る。

 

 「『そこの赤髪の子に、たいへん手酷い歓迎を受けたそうで』」

 

 「『お礼を申し上げたいと、うるさくて仕方がないのですよ』」

 

 「……っ」

 

 視線が、魔物たちから自分へ向けられる。

 殺意。

 憎悪。

 生々しいほどの報復心。

 

 確かに、怒るのは理解できる。

 だが、元はといえば――村を襲い、人を殺したのはこいつらだ。

 報復など、筋違いにも程がある。

 

 「そうかよ」

 

 勇者が、肩を鳴らす。

 

 「じゃあ、その“お礼”は俺が代わりに受け取ってやる」

 

 だが、その声色は軽い。

 

 「ただし――」

 

 右手から、まだ血が落ちる。

 

 本来なら、自分が前に出なければならない。

 それなのに、身体はまだ重く、思うように動かない。

 

 ――まずい。

 

 そう思った瞬間。

 

 「受け取るには少々手間がかかりそうだからな」

 

 勇者は不敵に笑った。

 

 「そこんところは……よろしく!」

 

 剣が、再び炎をまとう。

 

 そして戦場は、再び動き出した。

 

 絶体絶命の幕が――今、上がる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。