──似合いの服は今すぐ用意できないと、手元に置かれる着物類。確かじゃーじ、そしてじゃんぱーといったか。
「───ふむ」
興味は無かったが、一度着てみねば分からぬ事もある。
徳川の爺に見繕われた着物とは違い、はだざわり……『衣装』として、これは作られたのだろう。
軽く手で引けば破れてしまう、血止めにもならぬ脆い布。
「紛れるには良いが、やはり好かんな」
そしてやはり、俺は俺でなく、されど宮本武蔵であるようで、
「──。ほう、じゅれいの身体にしては、瓜二つではないか」
「呪霊より怖いけどね、君の顔」
かがみに写るその先に、蒼天穿つ双眸あり。
この顔に、この頭蓋に詰まっているのは呪いだというのに、割ってみれば桃色が飛び出てきそうな瑞々しさ。
変わらぬ形相に、変わらぬ肉体。意識は彼奴の言う通り、多数に濁るも清濁併せ呑んでみせよう。
誰がなんと言おうと、誰がどう想おうと、宮本武蔵は宮本武蔵。それだけは変わらない。
「これからどうする、夏油殿」
「何でもいいんだけど…そうだね、まずは君に似合う剣を見つけようか」
「──。ククッ…」
別の世界でも、剣がなければ宮本武蔵は斬れるものも斬れず、そう思われているものなのだな。
二度は言うまい、そしてこの男は知るまい。拳士によって見据えた、途の先を。
「必要無い。既にその途は後ろ、だ。剣を握らねば生きていけぬ、ならば元より、この肉が剣也」
「……それって精神的な話?それとも術式?」
「じゅつ…〜〜〜〜〜〜…。あちらの世界もややこしいものだったが、こちらの世界も同じだな…」
この世界の理を、袈裟の男から教えられたは良いものの、理解はし難く頭を悩ませる。呪力だの、術式だの、新たな境地を学ぶには先人に倣うべきか。
あちらの世界でも、鉄の箱で空は飛べても生身では無理。不条理でもない当然が、こちらでは当たり前ではなくなるのだという。
「呪力量は特級に相応しい…というか多すぎるぐらいなんだけど、術式周りに不備がありそうだね。君自身──術式、その概念を理解出来ていない。けれど腹で廻す呪力の本質には、君自身の体験で気付いてる」
「──よく分からぬが…別の何かが腹の内で疼いているのは理解出来る。これが呪力とやらならば、何ともまぁ、臓腑を煮る強き想いよ」
「まぁ君なら術式も何れ自覚する。君のように存在が魂と直結しているのなら尚更、時間の問題さ。とりあえず、一度暴れてみれば馴染むと思うが」
────。
身体の内側から湧き出る滾り。斬れ、と叫ぶ頭蓋の中が永遠と疼きを増させてくる。人の業、人の呪いの深さは知ったつもりではあったが、合戦の頃とは異なる──不快な感触。
殺意、敵意、憎悪。それらを更に呑み込む人の悪意。呪いにも質があるが、汚いと口を零してしまいそうになる感覚。
「イマの人間は大変だな。このようなモノを腹に収めなければならないとは」
「ああ。性質も量も昔とは変わり過ぎてるんだ。君が経験したような合戦、ソレらが実際に行われていた頃とは呪いも全くの別物」
「悍ましいとも言うべきか……ふむ。斬れ、斬れと喚くのは良いが───」
──図に乗らせれば、俺は全て斬るぞ?
斬ってはいけないモノまで全て、剣在らずともこの途で、おだてればおだてるほどに、斬りとうなるわ。
「──。よし。良い力だ、言う事もよく聞く」
「……こっちからすれば、呪力にそういう『概念』は無いんだけど…君が良いならそれで。しかし残念だよ、宮本武蔵、その二天一流を目の当たりに出来ると思ったのに、剣は要らないときたか…」
「──見たいのか、俺の剣を」
「勿論さ、それに君は特級仮想怨霊宮本武蔵。宮本武蔵に対するあらゆる人間の、あらゆる願いと羨望が込められた存在。そんな君の剣を、二天一流を見たくないなんて口が裂けても言えないとも」
「…そうか、そうかそうか。はは…。変わらぬのだな、変わらぬものだ、何処へ行っても、世界を超えても」
「………不本意かい?」
「いいや、夏油殿」
固く口を結んで、目を伏せ、口の端を大きく歪めながら拳を握り込む。膝立ちになるほどに屈み、そしてすぐ全身の力を解放して──身体の全てを天へ向け、
「──まだ、この武蔵の剣が求められているのが、この上なく嬉しいのだ!嬉しくて嬉しくて」
「嬉しくて、堪らないぞ。夏油殿」
「見せてやろう。二天一流、その途の先、無刀に至りし我が刃を」
──この喜びを、天へ捧げる。
■
一度目は人として、二度目は剣豪又は剣鬼として。
三度目は、人ならざるものとして。
他の者より、神から授かった『時間』という優位。老い、朽ち、そして全てを携えたまま、若返り、試し、斬り、遊び──。
今度は、一度目の全てと、二度目の全てを吐き出せる場を用意される。
「──なぁ、考えた事は無いか」
あまりにも、余りにも都合の良い
あの方の強さは、『願い』だ。南京の信仰によく似ている、アレは神への捧げ物のようだった。俺はあの途に何ら理を得ないが、強さに焦がれ、焦がれ焦がれ焼き焦がされ、辿り着いた頂でたった一人。
──あんまりではないか。
なんとも純粋な、力の信仰ではないか。頂に立った後は、必要の無い優しさまでをも身に付けさせられた。
強き人に
「神というものを」
「……そこは神仏じゃないのかい?君の時代なら、信じる信じない以前に当然と『在る』ものだ」
「はは、いやなに。二度目の生においてイマの見識を知ってな。ならば問うべきは『在る』か『否』かだ」
「妙に現代慣れしてるねぇ…。私はそんなつまらない奴が居るとは思ってないかな、居て欲しいとは願ってるけど」
「何故に?」
「──面白そうだから」
「──。ククッ…──アンタも大概だな、夏油殿」
己が
「俺は目先の全てを手に入れる為、剣を握った。合戦においても、生を求めて剣を握った。ならば剣を握る事の本質は、何か」
「──唯の手段だ、強き人はコレを純度が低いとも言った」
「で、あるとするなら…本質は、『求められた』事。俺が書いた書物、どうなってるか知っているか?──美術品として館に飾られ、中身はいんさつ、されたと。俺の書が、だぞ?」
「ふふっ、ああ確かに、君は普通の『人斬り』だったね」
「うむ。剣は斬るもの、斬るならば、殺さねばならぬ。そうしなくとも登れるよう、往こうとした瞬間に飛ばされた訳だが」
「──つまり、だ。俺は人斬り、人殺し。それが後世ではかくも偉人の様に語られ、光を当てられる。そしてイマになれば、斬って登れと世界に告げられて」
──そこまで至れば、最早疑いようもない。
「俺は」
「──神から、宮本武蔵の剣を求められた」
どんな物事にも、都合のつかぬ事はある。イマの人はそこに神を見るのだという。ならば俺も、この機会、この都合に神を見よう。
我にはどうしようも無い大きな因果が、この場へ我を連れてきた。
「……だから、なに」
「ふはっ、許せ夏油。何せ昂りが抑えきれん、現を抜かすのも仕方ない程に」
同じように、この男も俺を連れ出した。
無機質なこんくりーとに囲まれた、人気の欠片も無い一室。
恐らく、これから起きるのは理外も理外、現実すら遠い異質な争い。だがしかし、見たいというなら魅せるまで。
──ああ、徳川の爺が欲深かった訳では無い、あのような感情は誰にでもある。見たいものを見たいなど、凡庸も凡庸、普通の欲だ。後はどれだけ手を伸ばせるか。
「多分大丈夫だと思うけど、かなり強い呪霊だから気をつけてね」
「──先程の気配斬りを味わって尚、気をつけろとは。ふむ」
どろり、と黒い泥が袈裟の男の背後に現れる。
目を見開き、訪れた『異質』に怯える事なく佇む武蔵、そして黒泥の奥から現れた、異形の存在に───。
「────」
「なんと」
「なんと、なんとなんとなんとなんとなんと……♡」
心の底から、武蔵は──悦んだ。
「──夏油殿。この者の名は?」
「名は無い、名も無き大剣豪。今は別の形で休んで貰っているけれど、休む前、その直前に零れた『無念』の集合。力量は一級……あー、まぁ気にしないで」
「名が無いと!ははっ、なんとも無欲な者だったのだな!!」
ゆらり、煌めく剣らしきモノを抜き、目の前の武蔵を見つめ続ける黒い靄。ああ──此奴も、求めていた。好敵手を、刃を振るえる存在を、振るうに値する剣客を。
それが『無念』となれば、ククッ、恵まれぬものよ。
「────見えているな?」
「───。ああ、俺も見える」
互いに剣は非ず、一方は無手、一方は霧。
形の無い刃を互いに認識し──数秒、悦びを抑えようとも抑えきれず、口の端が永遠と歪んでいく。
「斬って、よいのだな」
「斬ってあげて欲しい。だから、『無念』さ」
「──承知仕った」
靄と対面すれば、既に言葉は要らず。
斬れと願う頭が漸く、その願いを果たす。
「────」
「────」
肉が分かる、決して硬くも太くも、
──振るわずに、
「────」
「──。輝かしい、な」
想像が形になる、唯の靄に形が作られる。いめーじ、そうとも、イメージを重ね、イメージを続け、イメージし続けてきた我が途ならば、その無念、斬ってしんぜよう。
──五体を緩ませる。脱力、脱力に次ぐ──脱力。
脱力、脱力とはいかほどだ。親の、子への折檻程にか。赤子に触れるようにか?
否。
「────」
──
「────」
──
「────」
──
──脱力?否、落下。換わった身体が落ちる。
──堕ちて、前へ。初速イコール全速。
間合いは潰れ、そして靄との境が無い程に。
二天一流、完成前夜。
夜を超え、ならば今は────?
「────」
両の腕、上段から振り下ろされる白光より先に、先に先に先に───横一文字。滑り込み、剣無くとも、切り伏せる。二天一流、二太刀目は、
「──。ぬぅんっ───!!」
イメージでは無い、
『──。見事』
「そうか」
「〜〜〜〜〜……しかし、やはり生身と死合ってみたかったぞ」
『いずれ、また』
「──ああ」
剣の重みすらない、脱力による二天一流。
宮本武蔵の剣の途──再び、始まる。