頭蓋の内に響く声を飼い慣らす。その為に人を斬る。
道理とはならんが、呪力の実感を求めるならば己が受胎したモノノ怪である事を利用した方が疾い。
──呪力とは、戦場で受け続けた敵意そのものだ。俺を殺す為に剣を、槍を、鉄砲を弓を火薬を持ち出した奴らから向けられたものだ。
夜闇に現れる人斬り武蔵、陳腐ではあるがまぁ。
「噂話としてはよかろう」
今は武より、理が欲しい。
民衆の想いが俺を造った。民衆の思い描く『宮本武蔵』が俺の中身だ。で、あるのならば呪術の『理』に不可解は無い。
変わらぬよ。変わらぬまま、刃を振るう。焦がれる様に振るう。愛する様に振るう。祈る様に振るう。
斬って捨て、斬って捨てて、数日。
「しかし、どれもシケた面構えばかり。ごじょうさとるでなければ足りぬか……。…む」
「──まず、呪術の世界自体が隠匿されてるからね。呪術の関与が明らかになれば、その異常性が暴かれないよう隠される。君の売名行為も効力は薄いかな。殺してるのも呪詛師ばかりで、仲間内のゴタゴタだと片付けられやすい」
「……また面妖な…。呪霊とは斯様に奇っ怪なものばかりなのか?」
遊郭の遊女が如く、紅で塗りたくられた唇。
唇、だけが浮かんでいる。夏油の声はそこから飛び出て、鼓膜を叩く。
放任するとは言っていたが、どうやら俺のことが気がかり──否、ここまで来ると最早好き、とでも。
強者から好かれるのは良いが、彼奴は──、
「まぁでも、そろそろさ」
「…何がだ」
「かなり殺したからね、一級か一級相当の呪術師が調査に来る。そこでアドバイス、殺さず帰せば君の名はより広がる。現代に産まれた特級怨霊宮本武蔵!ってね」
「さすれば、ごじょうさとると?」
「近しい状況には」
「──了解致した」
要するに、悪どいことをしたいから注目を引いて欲しいのだな。
この男の頭ン中は、どうにも救い難い。同じ穴の狢だが、人を用いて人を喰う事で右に出る者は居ないだろう。
──合気の渋川によく似た、喰えない奴だ。
一杯食わされた、食わされて、食わされっぱなし。斬りはしたが、斬った気はしない。それも好い、か。
「して、夏油よ」
「──全て壊しても良いが、俺の登る道は立ててもらわねば困るぞ?」
「…ふふっ。はいはい」
■
──連続呪詛師殺害事件。
祓う予定に無い箇所の呪霊の消失から始まり、ある区域にて複数日に渡り呪詛師のバラバラ遺体が発見される。
いずれの死体にも僅かな残穢しか確認できず、使用された武器は刃渡り六十センチ以上の刀と思わしきもの。
死亡人数は七名、全員が呪詛師であり実行犯は不明。
殺害された面々から、最低一級相当の未登録呪霊もしくは呪詛師の出現が可能性として想定される。
──呪術規定に基づき、猪野琢真二級呪術師を派遣。
「…………」
夜闇、風に乗り街を闊歩する男が一人。
目出し帽を被り、身軽な服装で辺りを見渡している。何かを探し出すように、誰かに見つけて欲しそうに。
『ひぇ〜っ…。見てくださいよ七海さん、すげぇ綺麗に真っ二つ…』
『…相当の切れ味、そして刃を振りきる膂力が無ければこうはなりません。かなりの手合いです、任務に際しては出来る限り戦闘を避けるように。危険度の測定と呪霊か呪詛師かの判別、それが済めば撤退して下さい』
「……。さーて、頑張っちゃうぞ〜?」
大層なラブロマンスであれば、その男には待ち人が居るのかもしれない。ニヤケた目元は、頭の中に思い浮かべている相手への感情を映し出している。
しかし──夜闇は深く、決して逢瀬に使えるような代物ではなかった。
男は呪術師であり、秩序を保つ者。
凄まじい人斬りが現れたとなれば、捕らえるのが彼の役目である。
『俺じゃ荷が重い。そう思いますか、七海さん』
『……これらの死体の幾つかは、まるで子供が無邪気に戯れた様に、嬲るように殺されています。それはつまり、犯人に相当の余裕があったという事。戦いにすらなっていない』
『──見つける。いや、見つけられるのは簡単です。君がその犯人から逃げられるかは……』
『任せて下さいよ!いざとなったら麒麟と霊亀でさっさと逃げるんで!』
──術式:来訪瑞獣。
猪野琢真が有する術式であり、自分を媒介にして四種の霊獣を降霊させ、各霊獣の能力を活かし、相対する敵を破る。
現場に辿り着いてから、背筋に消えない冷たさを感じた彼は常に神経を張り詰めていた。背後を取られないよう路地の壁を伝い、開けた場所に来れば霊獣獬豸の力を降ろす。
前代未聞の呪術テロ、夏油傑による百鬼夜行以来の緊張感。そう味わうことのない『死』の味が、彼の舌の上には浮かび始めている。
「──こっっえぇ〜……」
「やべぇ、やべぇよ。トイレ行ったばかりなのにチビりそうだぜほんと」
この闇に、一歩先へ進んだ後、自分の命の保証は無い。そう思いながら進み続ける。恐怖を乗り越えるには、先輩の顔一つ思い浮かべば済む話。
七海建人の忠告通り、捕縛及び討伐の任務を放棄してでも生きて帰れれば上等。思考の軸はずらさず、周囲に霊亀の力で浮かべた水球を警戒網として敷く。
「──……!」
そんな必要以上の警戒心が幸をそうしたのであろう。
「おお。これも呪術か、なぁお若い人」
夜の怪人の一手目は、浮かべられた周囲の水球への興味へと吸われていった。
すい、と水球は真っ二つに。そんな割れた姿を愉快げに見つめ、怪人は濡れた地面へ指を指しながら声を掛ける。
「なっ」
──何の気配も無かったぞおいッ……!呪霊か?いや流暢に喋りすぎだ、多分呪詛師、呪霊なら特級……てか本当にどうやって近づきやがった!?
「来訪瑞獣いちば───」
「待て待て。そう血沸くな、立ち合うなら斬らねばならん。今回は生かして帰したい」
角を形成し、放とうとする瞬間に手首をがぶりと掴まれる。そうがぶりと、ワニか猛獣の口の中へと咥われた感覚。
動かせない。動けない。動けば、死ぬ。
震える視界の中心に捉えたのは──鬼?
否、鬼が赤子に思える形相。何という悪魔的な顔立ち、悪魔よりも恐ろしい気配。間違いなく、コイツが例の人斬りだと確信させる圧。
美しい着物に包まれながらも、その凶と暴を一寸たりとも隠せない存在感が、今目の前で困り顔を形作っていた。
「殺しはしない。やりたい、なら話は別だが」
「生憎それが役目なもんで…!」
「ふむ。嘘だな。…なぁ若いお人、いい手首をしてる。少々は鍛え込んだ漢の手首だ」
「そりゃっ、どうもッ…」
「──気張れよ」
「は」
ひょい、そんな効果音が付きそうな滞空。軽々と大の大人が持ち上げられ、空中で静止する。
それを成したのは、怪人の握力。握られた手首がその振り上げに耐えられたのは呪力と鍛錬のお陰で、
「──むん!」
そして──竹刀を振るが如く振り下げられたのも、弛まぬ努力が故である。地面に叩きつけられ、一気に肺の空気は外へ。受身を取る時間も余裕も無く、背が先に落ち、そこで衝撃が完結する程の轟速の振り下げで無ければ頭がかち割れていた。
「かっ」
「よし。今ので意識を飛ばさぬなら上々」
「っ、は」
「はっ。はっ、はっ、ぁ…」
何が上々だよ、と怪人の言葉に噛みつきたくとも痛みがそれを許さない。元より呼吸もままならず、興奮物質を分泌させる麒麟の発動も間に合っていない。
斬られて死ぬ──死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ。死への恐怖は呪術師のタブー。それでも犠牲者達の末路が脳裏に浮かび、少しずつ真っ白になる頭。目覚めさせたのは他でもない怪人からのデコピンで、
「殺しはしないと言っただろう」
「……アン…タ…一体…」
「呪詛師を斬り捨てていたのは俺だ。名は宮本武蔵、呼んで人斬り。黄泉路より戻ってきた怨霊よ」
「若いお人。──ごじょうさとるをここへ連れてこい。頂との立ち合いを俺は望んでいる」
──あっけらかんと『最強』への宣戦布告を言い放った。
人にしては人から遠く、呪霊にしては人に近い。異質が過ぎる怪人の言葉は脳内を疑問で埋め尽くすのにそう時間は掛からず、しかして吐き出す前にその場を離れていく。
「今宵以降、俺は白昼堂々と人を斬る。女子供とて見境なく、悪鬼羅刹としておもうがままに立ち振る舞う」
「この町の全てが俺に斬り伏せられる前に、早う呼ぶ事だな」
「テメっ──…」
虐殺の予定を口にして、闇夜へと消えて失せる。逃がすまいと会話の間に発動させた麒麟によって身体を無理に起こし、鬼の背中を追い続ける。
無論、追いついた。怪人は悠々と歩き、欠片も焦りを見せず走りもしていないのだから当然の結果だが。
構えるは来訪瑞獣四番、竜。
持ちうる火力で最大最強、目にして生き延びた者はいないと自信を持てる猪野琢真の切り札。
隙があるのかどうかも分からない、緩慢な動きをする背中へ向け呪力を解き放っ────。
「ほれ、三枚おろしだ」
「──。うっそぉ〜…」
認識できたのはほんの僅か。
怪人の身体がモヤの様にブレ、風切り音が鳴り、そして放たれた竜は三枚に卸される。
人を飲み込む大蛇の三、四倍程の大きさと長さを誇る『竜』が瞬殺。到底理解不能の現象に、最早脱力するしかない。
『竜』の初速もライフルの弾速より更に早く、攻撃を受ける前に斬ろうと思えばそれは、弾速以上の剣速が必要な筈。込められた呪力も相当量で、三枚おろし等と、それは特級呪霊の中でも上澄みしか出来ない業だ。
──敵いようが無い。
悟り、ただひたすらに闇へ消える姿を見送る。あの怪人を討つには最低でも一級数人、もしくは特級。
「……七海さん。思ってた数倍、数十倍やべぇかもしんないっす」
「………。はぁ…」
「──五条さん…来てくれっかなぁ……」
■
──あれで二級か。
自宅へと戻る道を歩みながら、手を顎に置く。
中々だ、中々の術師。中々のやり手。あれが上から三番目ときた。
「ふは」
特に最後の妖術。まさか竜を呼び出せるとは、画でしか見た事が無かったがこちらでは実在したのだろうか。
迅く、硬く、
現の全てを斬れたとしても、絵空事はどうにも、な。
「先に一級とやるのもアリ、か。どうして中々、期待を満たしてくれる」
超える寸前、喜びから悦びへと変わる程には楽しかった。斬る前に一度は受ければ良かったが──流石に今世では控えなくては。
拳士に倣い、そして尊んだからこその
呪いは恐ろしい、喰らえば終わりの代物もある。武士も城主も、怯えていたものよ。本質が変わらないのであれば、この世界の呪術も同じもの。
「呪力の味もよう分かった、あの若人には感謝せねばな」
敵意、殺意、恐怖。俺に、『宮本武蔵』に向けられれば向けられるほど、腹の内が疼く。命を奪う欲が湧く。
そういえば、虚仮威しが過ぎた。女子供とて見境なく斬る、なんて言葉を口にするとは。これもこの身体の影響か。
戦えぬ者、武を持たぬ者、斬り合う境地に立たぬ者に刃を向ければ、それは武ではなく唯の暴力。振るうこともあるが、好まん。
「特級……ごじょうさとる…ごじょうさとる…──ごじょうさとる…!好いぞ、どんどん貴様が、この世界が愛おしくなってきた」
「滾って仕方が無い。早う、奴と───」
死合いたい。恋文に乗せる様に呟こうとした。
ああ、運命とは数奇なものよ。
「──。ぉ」
──果ての果ての果て、果てなく広がる雪景色。
白銀色の世界に、唯一咲いている一輪の花。少し萎れた、愛らしい花。それは打ちつける雪の仕業ではなく、雪の冷たさの仕業でもなく、この雪景色の中で咲いたアレは、ただ己の為に咲いている。
「ぉ、おお」
そして、己の為に萎れているのだ。
天にも、地にも、何にも左右されない唯我独尊の巨大輪。
全てを呑み込まんとする白よりも、更に白く、他の白を飲み込む。
「おおぉぉぉぉぉ……」
頂が、目の前だ。
なんと冷たい頂きか。なんと末恐ろしい頂点だ。
分かる。一目で分かる。分からない筈が無い。
──最強。紛うことなき最強。
──頂点。紛うことなき頂点。
──五条悟。紛うことなき五条悟。
纏う全てが、仕草の全てが、動きの全てが、唐突に現れた白髪の男が『五条悟』だと指し示していた。
「天が、降りてきたか…!」
「伊知地と七海に頼まれて様子見に来たけど、なんか居るじゃ〜ん」