ホーゼンフェルト武芸帳 シュヴァルツェスマーケンEXTRA 作:燈夜4649
◇
で。
一方でおさまらないのは、吹き飛んだ、そして負けを宣告されたはずのキルケである。
「ま、まだまだぁ!」
と、大声を上げて立ち上がる。
実に痛々そうではある。
「もう一本勝負よ!!」
あたしはその姿に大きく溜息を見せ。
「あんなこと言ってるよ、ねえ、イングヒルトォ?」
「私とも対戦されますか? キルケさん」
「アカにファーストネームで呼ばれる覚えは!」
「あーもー。めんどい。超めんどい! 行こ、イングヒルト。あたし喉乾いた」
「はいはい、ジュースですね、約束の。勝利おめでとう、アネット」
「ありがとう! でも本当に奢ってくれるの、イングヒルト?」
「もちろん!」
「やりぃ!」
あたしは味を思い出して喜ぶ。あれは美味い。
あのジュースは最高なのよ!
「ちょ、待ちなさいあんたたち!」
「あー、うるさいうるさい、負け犬が何言ってるー。撃墜王のお爺様が泣きますわよ、おほほほほ」
「あー! あんたって! 私の血筋どうして知ってるのよ!!」
「「だって、有名じゃない」」
キルケは一人、体育館に残される。
ただ、彼女は言葉を聞いた。
「あら、西の方、シュタインホフさん。そうだ! あなたも喉が渇いたでしょう。お茶にしませんか?」
「はぁ!?」
イングヒルトが誘い、キルケはぼやく。
「おいでなさいな、何も取って食べたりなんていたしませんわ」
「そ、そんなんじゃないし!」
イングヒルトの笑顔にキルケの顔が、一瞬で朱に染まった。
「ちょ、何言ってるのよイングヒルト!」
「まあまあアネット。刃を交わし、お互いに分かり合った中ではありませんか彼女とは。一緒にお茶ぐらい、幾ら東と西でも、構わないと思いますわよ?」
ちょちょ、大丈夫……大丈夫なんだよね、密告されないよね!? 焦る焦る。
右、左、前後! 体育館に残ったのは私たち三人だけ、OK、密告者はいたとしても聞いてない、ヨシ! ラッキー!
◇
勝利のジュース、不二家ネクターを片手にあたしらは。
「ぷはー、ホントに美味しいね、このピーチ味」
あたしはいつものジュースを飲んでいる。
「強いレモン味と控えめな甘さのビタ・コーラと比べてどう?」
「どっちもどっちかなあ」
「そう。ま、不二家ネクターは果実汁だもんね。缶に書いてあるでしょ?」
「ごめん、あたし、チャイナレターは未だに良くわからない」
「はあ、アカは日本語も知らずに日本へ留学しに来たわけ? 情けない」
「あんたね、敗者の癖にジュース奢ってもらってる自分をどう思うわけ? どんな気持ち? ねえ、今どんな気持ち!?」
「う、煩いこのアカが! やっぱりあなた嫌いよ、西とか東とか関係なく! あなた、人を惨めにして面白いわけ?」
「いや全然。面白くなんて無いわよ。で、キルケはどうなの? あなたの国にも美味しいジュースの一つや二つ、あるんでしょ?」
「話の筋を折る人ね、あなたは」
「どうでもいいじゃない。それで? あなたの国の代表的なジュースと比べてどうなのよ?」
「味は甲乙つけがたいわね、このジュースも美味しいけれど、どうしても故郷の味を贔屓しちゃうもの」
「ああ、その辺りの感覚はあたしらと一緒なんだ」
「そうですね、アネットとキルケの仲直りの印に私も一緒に不二家ネクターを頂きますか」
イングヒルトの言葉にあたしとキルケが固まる。
ちょ、ちょちょ、何言ってるのイングヒルト、流石に今の発言はNGよ!?
周囲に誰もいないからいいけど。
まったく、発言の一つ一つにドキドキしちゃう!
「東と西。でも同じドイツ人。仲良くしましょ? いえ、喧嘩はやめませんか? ええ、形だけでも」
「西の犬と仲良く!?」
「アカと友達になれ!?」
「あら、お二人とも既に仲良しじゃありませんか? 先程も申しましたけど、剣で語り合い、こうして一緒に器をぶつけ合ってお互いを認め合う。素晴らしいことだと思いません?」
と、イングヒルトはキルケと乾杯。あたしの顔が硬直する。なんてこと言うの! なんてことするの!
でも、イングヒルトはこう続けたのだ。
「西の方に東の良さを伝える。いい機会ですし、すでに喧嘩もして、雨降って地固まる。素晴らしい日本の慣用句です。相互理解には充分ですわ」
あたしとキルケはお互いに目を見合わせる。あたしは秒で固まった。
あ、その言い訳はOKね。
あたしの胸に、イングヒルトの言葉がすっと落ちた。
「……くっ、そうね、私もアカと決め付けて悪かったわ。仲良く……いえ、友達でいましょ、二刀流の剣士さん」
キルケの苦虫を噛み潰したような顔。
だが、彼女はあたしを立ててくれていた。
直情的で喧嘩っぱやい、意志の強そうな美人の面影はそこには無い。
柔和な顔があるだけだ。
東も西も無い。あえて言えばドイツ人でも日本人でもない。
そこあるのは一人の少女の顔だけ。
「……そ、そうね。あんたがそれを先に言うのなら、考えても良いわ。あたしの名前は剣士さんじゃなくてアネット」
「キルケよ。もう覚えてもらってるわよね?」
「もちろん。勝利の女神キルケ。それに相応しい戦いだったと思うわ」
「私、負けたんだけど」
「そうね、でもあんたはイングヒルトとあたしを前に、矛を収めた。そして何より友好を、友情を求めてきてる」
「な、恥ずかしいでしょ、そんな事ズバリ言っちゃ!」
キルケの顔が赤くなる。
「ね、アネット、もう私たち三人は友達ですわよね?」
「そうね、ま、認めるわ」
「ふん、礼はいらないわよ?」
「……どこの誰が友達に対して『今日から私とあなたは友達よ?』なんてバカなこと言うのよアホらしい」
あたしが言えば。
そうなのだ。もういいや。このことは日記にには書かないでおく。
西ドイツのバカを剣道でやっつけた、とは書くけれど。
「え? アネット? 今私がそう言って見せたんだけど!?」
あたしは苦笑する。
一つ諦めたら、緊張の糸が切れたとしか。
「これだから旧貴族は」
「関係ないでしょ」
「え? それって私にも言ってるわけ? 私の家系も旧貴族なんだけど!」
二人の抗議にあたしは笑う。
日本に来て同一民族の友達ができる。
日本人と友達になる前にだ。
縁とは不思議なものである。
あたしはともかく二人はそれぞれ、どう思ったのだろう。
それは、あたしにはわからない。
ともあれ、あたしは、再びジュースの味を楽しむことにした。
「祖国の味もいいけどこちらも捨てがたいわね、悔しいけど。不二家ネクター、だっけ?」
「ええ、病みつきになりますわ」
「東ドイツに帰る前に、絶対この桃果汁ジュースの作りから覚えて帰る~」
「どうやって?」
「聞くか、図書館? 工場に押し掛ける? 原液に秘密があるに決まってるわ!」
「すごいバイタリティ。私はとてもそのアネットのやる気には追い付けませんわ」
と、汗かきと勝利、そして友人の輪が広がった後のジュースは格別だった。
あたしを含めて三人娘はそれぞれ、自販機横の空き缶入れに空の缶を投げ込むや。
「今日はありがたく奢られてあげるわ」
「何それ。何全力で平らな胸つっぱっているの?」
「この借りは返す、そう言ってるの!」
キルケが叫ぶ。
あたしは思う。もうげんなり。でも、それも悪くないと思うのだ。
ただ、今の心境は。
ただただ、めんどくさ……と思うのだ。