ホーゼンフェルト武芸帳 シュヴァルツェスマーケンEXTRA 作:燈夜4649
◇
で、思い返せは三人や、クラスメイトの日本人で過ごした時間が蘇る。
そう、別れの時だ。
あたしとイングヒルトの留学期間の終わり。
楽しい時間は仲の良い友達との時間と共に、物凄い速さで過ぎて行く。
それが例えどんなに濃密な時間であっても。
あたしとキルケは毎日のように喧嘩して。
するともうお約束のようにイングヒルトが割って入って。
そして毎日のように喧嘩の後には仲直り。
まさか、東と西に分かたれたドイツ人が、異郷の地で友情を育むことになろうとは。
誰が予測しえたであろう。大きな声では言えないけれど。
──でも。
二つのドイツ。それは一つのドイツまでのただの移行期間。
ちょっとだけ、ちょっとだけ歴史をたがえた二つの地方が並立しただけ。
元々一つ、そして未来は一つになるに違いない。
そんな事を、あたしは思いながら空港出見送りの皆と別れの挨拶を重ねる。
大丈夫。
一つのドイツ。
危険な思想だけど、「将来、ドイツ民主共和国」の名において統一が果たされると、お決まりのように言葉を付け足す事を忘れずに。ただ、その度にキルケと言い合いになったのだが。
今のあたしにはそれさえも懐かしい思い出を重ねてきて。
いま、あたしらはその祖国の片割れ、自身の出身地に帰ろうとしているのだ。
見送りの面々に、一人づつ声をかける。
その中に、大柄な男子生徒が見えた。
確か彼は剣道部。
「好きです! 付き合ってください俺、アネットさんのためなら東ドイツにでもどこへでも留学します!!」
あたしは突然のことに面食らう。
あはは、こんな時どうするの? あたし、この人の名前も覚えて無いんですけど!
で、あたしは超高速で考えをめぐらした結果。
慣れない頭脳労働をして、考えに考えをこなして答えるのである。
ただ一言。
「ごめんネ?」
──と。
一同爆笑であった。
で、そんなこんなで。
あたしとイングヒルトはクラスメイトと最後の別れをしていた。-
中にはあのキルケの姿も見える。
「キルケ、結局最後まで見送ってくれたわね」
「西に友達がいるなんて、いえ、知り合いがいるなんて、口が裂けてもレポートには書けないわ」
「そうね」
あたしとイングヒルトは二人して心に誓う。
レポート。
どう考えても改竄が必要である。
うん、どうしても西側の優位性が……いや、そんな優位性など存在しない。イイネ!?
「でも、彼女。何だかんだ言って、本当に優しかった」
「うん」
だが、二人の思い出の中に全てが詰まっている。
だからあたしとイングヒルトは大きく頷いたのである。
◇
成田国際空港。
キルケを置いて、あたしとイングヒルトが故国に帰る時間が迫っていた。
日本人のクラスメイトの輪から一歩進み出て、同じく黒髪のキルケが仁王立ちにてあたしらの前に出る。
その顔は何か、意を決したような。
思いつめた顔立ち。
彼女の白い顔は、より白く見えた。
キルケが紙袋をあたしに突き出す。
なにこれ。と思いつつあたしはキルケの目を見る。
キルケがあたしの胸に押し付ける。
あたしとイングヒルトの視線が紙袋におちる。
紙袋にはBOOKとの印刷がある。
「え? あなたキルケ、この本は?」
「ふん、ドリンク中毒者。知ってるわよ?」
「ドリンク?」
「様々なジュースの作り方の本よ! 加工品じゃなくて、果汁一〇〇%ジュースの造り方の本!」
「何その変な本」
あたしが口にしていた余迷いごとをキルケは覚えてくれていたのだ!
良いとこあるじゃない。
あたしは初めてこの西ドイツ出身の少女に好感を持った。
……『美味しいジュースの造り方が知りたい』って言葉を。
「日本人が偏執狂なだけよ……私たちドイツ人もだけど。あなた、日本のジュースに興味があるんでしょ?」
「くれるの?」
「ええ、ただし、『日本語』の書籍だけどね! ま、写真がついているから大丈夫でしょ! そうね、日本人だけよ、こんなくだらないことを徹底的に調べ上げてるのは!」
「あ、ありがと! あんたって、本当は思ってた以上に友達思いで良い人だったり?」
「う、うるさいわね! あんたを認めるって証よ!」
キルケの顔が一瞬で赤に染まる。
「そ、ありがと!」
「感謝しなさい!」
あたしはキルケのツンデレを受け、奥の日本人クラスメイトに向き直る。
「あなたたちもありがとう。こうして空港まで見送ってくれて。日本人の『おもてなし』には意表を突かれてばかり」
「そうね。でも、日本人じゃない人が一人混ざってるみたいね」
「キルケ。どうしたの? あらあら、泣いちゃってるよ」
キルケの目尻に光るもの。
キルケがダッシュであたしの胸に飛び込む。
あたしは驚きながらもフンワリと彼女の華奢な体を受け止める。
甘い香りが漂って。
あたしは彼女の肩を抱く。
「私、私、検閲受けたとしても、お手紙いっぱい書くからね! 検閲されてもいいように、たくさんたくさん書いて、ヤバい話は書かないようにするから!」
「アハハ、あたしからは出さないけどね」
あたしは苦笑い。
「アネット! でも、私たちはトモダチよ? 国は違ってもね」
「あらあら。アカはキライじゃなかったの?」
「そこはそれ、それはそれよ!」
「そ! じゃ、キルケ! さよな……いえ、またね!」
「ええ! アネット!」
「さようなら、キルケさん」
「うん、うん、イングヒルトも元気でね!」
「はい、健康には気を付けますわ」
「うんうん、じゃあね、またね! ああ、亡命なんて馬鹿なことは考えないでね! あなたたちの訃報なんて聞きたくないから!」
「亡命? そんなことないない! 東ドイツは世界で一番いい国よ!」
「あはは! このアカめ! やっぱりあんたはアカよ! アカそのもの早く故郷に帰っちゃえ!!」
キルケは泣いていた。
というか、泣き止まない。
「あんたって、西に友達いないわけ?」
「出身が旧貴族なのも、爺ちゃんがWW2の英雄なのも、とっても大変なの! 私の腕も凄いんだ、ってみんなそんな目で見るのよ!」
「はあ?」
「わかるわかるよね、このプレッシャーが! 出来て当然、やらないと変な目で見られる!」
「ああ、私はわかるかな」
「ま、イングヒルトも旧貴族だしね」
「そう、そうよ! 悔しいけどイングヒルト、あなたは西の連中より理解できる友達よ!」
「あー、キルケ? あたしは?」
「ミヤモトムサシも知らなかった剣道女は黙ってなさいよ! 何が二天一流よ。大嘘だったじゃないの」
「その偽者にあんたは負けたけどね」
「うるさい!」
キルケは泣きながら喚いている。
あたしはキルケを引き剥がし。
「あなたたちは友達よ、この私が認めたの! 良いわね!?」
「良いもなにも」
「あらキルケさん、私たちは指摘されることもなく、既に友達よ? ね、アネット? だってあの日、誓ったじゃない」
あたしはすかいてんぷるでの騒動を思い出す。
「え? あ、うん」
と、ボケて答えるあたしの胸に再びキルケが飛び込む。
「おおっと!」
あたしはよろめいた。イングヒルトが外側から柔らかく二人を抱きしめる。
一瞬の、そして永遠の時間が過ぎてゆく。
あたしは思うのだ。
西も東も、いや、外国も自国も、友情や人の関係とは別物なのだと。
キルケの体温を感じつつ、あたしは一抹の寂しさを感じる。
でもそれは、心地よい寂しさだった。
これはもう、嘘じゃなくて本物の感情。
あたしじゃなくて、まさかキルケのほうから泣き出すとはね。
と、思った瞬間。
あたしも胸の内から、なんだか込み上げるものを覚え。
気づけばあたしは動いていた。
再びキルケにきつく抱き着いていたあたし。
本物の友情。これはもう、本当に嘘じゃない。
「は、離しなさいよ!」
キルケが苦しげに呻く。
「うーん、いい香り。これも西側の特徴なのかなあ」
「そんなわけないでしょ! ほら、離しなさい! みんな見てる!!」
「あはは! うんうん、キルケ、本はありがたく貰っておくわ! ありがとう!!」
あたしはキルケを解放する。
名残惜しかったけれど。
「ダンケダンケ、あー、苦しかった」
あたしは笑顔を作った。上手に笑えていたかな、あたし。
この上ない笑顔を、留学先の面々と、西の友達の記憶に残したかったから。