ホーゼンフェルト武芸帳 シュヴァルツェスマーケンEXTRA 作:燈夜4649
◇
発着ロビーに歩くあたしとイングヒルト。
だけど何故か、その歩みは遅い。
「日本っていい国ね」
「帰りたくなくなっちゃいますね」
おおっと、またも危険なお気持ち表明!?
ここまで来てまた爆弾発言か!?
「それはダメよ」
「そうですね」
あたしは素に戻って釘を刺す。
最後の最後までアブナイ橋を!
「そして、私たちかりそめの客は、本当の日本人にはなれないわ」
「どういう事?」
「日本って国は、資本主義社会だけど、限りなく社会主義国に近いってこと。こんな発想していたら、とても東ドイツで暮らせない、いえ、日本ほどの監視社会は無いわよ。シュタージ万歳、日本より手ぬるくて嬉しいわ」
「んー、アネット、そうなのかな?」
「だって、なにが欲しいな食べたいな、こんな服が着てみたい、こんなアクセサリーを試したい、化粧って興味ある? なーんてこと思ったらクラスメイトが翌日に、あれこれとそれ関連のこと、洗いざらい見せたり話しかけてきたり、する? ふつうなの? これが」
「これが『親切』?」
「『おもてなし』って言うらしいわ」
「でしょ? その『おもてなし』ってのは、『よその人』に見せる顔なのよ」
「と、言うことは何?」
「ええ、あたしたちは永遠によそ様、『外人』ってこと。ファミレスで見たでしょ?」
「ああ、あの日本人らしくない日本人店員ね」
「……そう、そっか。私、ちょっと日本人のことについてよく見てなかったわ」
「でしょ? でも、結局は、世界で一番良い人たちね」
「そうね。正直で性善説がまかり通っていて。一見、素晴らしい理想郷」
「その内実は?」
「あたしたちが選ばれた理由。本当の社会主義のすばらしさを、東ドイツの偉大さを再確認してこい! ってことだったのかも」
「うん、そうね。はあ、こんなこと言ってたら、『死んだおばあちゃん』の味が恋しくなったわ」
血の味がする、それも当然な血液入りソーセージ。
それを聞いたあたしは、祖国のザワークラフトの味を思い出していた。
◇
別れの時は終わり、ジェットエンジンの振動を感じながら、二人は空の人となる。
あたしも、イングヒルトももらい泣き。
東ドイツの二人は、飛行機の中でも泣いていたとかいないとか。
──ともあれ。
雲海は白かった。
空は抜けるような青。
あたしの体にはまだ、あの生意気な西の女の子、キルケの体温があった。
彼女は横の席を見る。
イングヒルトの目尻に光るもの。
ああ、涙の跡が見える、
彼女も日本を楽しんだようだ。思うところもあるのだろう。
まあ、当然か。
一番日本行きを楽しみにして、人一倍楽しんだのも彼女なのだから。
「アネット?」
あたしは答える代わりに欠伸を一つ。
「ふふ。おネムさんですね」
「だって、暇なんだもん。それに、疲れたし」
「あはは、どうぞ、お休みなさってください。それとも私と女子トークをしますか?」
「無理無理! 絶対寝るし。今寝る」
「そうですか」
「うん、じゃあね、お休み」
「はいはい、おネムさんお休みなさい」
イングヒルトが横を向く。
そして彼女は数秒もせずにあたしの寝息を聞いたはずである。
◇
機内アナウンスがあたしらを起した。
「……ん」
あたしは目を擦る。
夜。
窓から差し込む陽光は無い。
ああ、帰ってきたんだあたし達
だが、あたしは窓から外を見る。
明るいものがある。
うん、わかっている。
あれはベルリンの待ちの灯だ。
東ドイツの灯が見える。
いや、本当は西ベルリンの灯。
西ベルリンのほうが、故郷東ベルリンの数倍明るい。
でも、祖国でその事を公に言うものは少ない。
西ベルリンが東より、より明るいのだ。
そんなことはわかってる。こうして空から見る必要もない。
でも、あたしたちは自分たちの故国が好きなのだ。
西よりも暗い東側が。
あたし達は感謝している。
外国留学という貴重な経験をさせてもらった国の政府に。
そして多くの人に。
自分たちを推薦してくれた、自分たちを愛してくれている大勢の名もなき人に。
あたしたちは伝えたい。
東ドイツの、長所を。良いところを。
そう胸に秘め、彼女らは今、故国の土を踏む。
向かい時よりもいっそうの誇りを胸に秘め。
あたしたちは伝道者だ。
あたしたちの話す、異郷日本での出来事は、きっと東ドイツ市民の心を温かくするだろう。
その真実の顔を知れば、彼らは自分たちの生活がそう捨てたものではないことを知るだろう。
自分らの故郷、東ドイツも捨てたものではないと。
あたしらの前途は明るい。
あたしとイングヒルトは予感するのであった。
「ねえ、イングヒルト」
「なに? アネット」
「あたし達、帰って来たね」
「そうね」
「面白かった?」
「え? もっちろん! 当たり前じゃない!!」
あたしは白い歯を見せ、笑って見せる。
イングヒルトも笑う。
これから。
これからだ。
あたし達二人の世代が、この国の未来を開くのだ。
この、笑顔の記憶と共に。
そして、あたし達二人は東ベルリンの土を踏むのであった。
素晴らしい未来を信じて。
END