ホーゼンフェルト武芸帳 シュヴァルツェスマーケンEXTRA 作:燈夜4649
◇
「あたし、昨夜もよく考えたのだけどさ、あのね、あたし日本行きを断ろうと思うの」
次の日の朝食の席。
あたしは両親を前に件の話を切り出したんだ。
すると両親は二人とも、両目をこれでもかと見開いてあたしを見た。
おいおい、そんなに驚かなくてもいいでしょ!?
でもね、二人はそれぞれ次の言葉を吐き出した。
「アネット。本気なの? 昨日お話したのはなんだったの!?」
「そうだぞ? お前何を言ってるのかわかっているのかこれはチャンスなんだぞ!?」
「何がチャンスよ」
あたしはサクッと切り返す。
すると父さんは言い切った。
「もちろん党と国家に我が家の忠誠を示すチャンスだとも。繰り返し言ってるじゃないか、父さんは!」
それにあたしは「あー、やっぱりだ」と思う。
党と国家に忠誠なんて。
全く冗談ではないのだ。
そんな形もないものに自分の人生を左右されてたまるか。
乙女の青春は一生に一度しかないんだぞ?
大事な時間なんだぞ、と思うのだ。
でも、まあ、はあ。
全く溜息しか出ないのである。
父さんも母さんも顔を真っ青にして慌ててる。
予想は出来た。
うん、天性の自由を求める人間にとって、生き難いのだ、この国は。
本当に息が詰まりそうだと思う。
自分の思いも自由に表現で気になんて、どんな地獄だろう。
社会主義って、共産主義ってなんなのだろうかと思うのだ。
みんなが能力に応じて平和を分かち合い、平等に幸せに生きていける世界を作ろう、
って頑張る社会じゃなかったのだろうか?
そんな理想の世界じゃなかったのか?
全く、聞けば西側を悪く言って自国と比較することばかりだ。
社会主義が本当に幸せを実現するのなら、我が祖国と他国を比較する必要なんてない。
そうよ、我が国より他国は劣っているのよ。みんな表ではそう言っている。
我が祖国は世界一幸せな国なのだと。
などと本音と建前に思いを馳せつつ、あたしは呟く。
「友達を売るようなことはできないよ」と。
瞬間、両親の顔色が変わった。
「声が大きい!」
父さんがあたしの口を遮る。
あ、これ。
昨日と同じパターンだ。
「わかって。生活が苦しいのよ」
「いや、生活の問題じゃない。我が家の思想が問題視されているのだ。はあ、俺はただの肉屋なのに」
「アネット。あなたが祖国に忠実にいてくれるなら、配給も待遇もきっと良くなるのよ?」
両親はぼやく。
待遇が変わる?
怪しい話である。
──でも。
両親にも思うところがあるのだろう。
それにしても。
ああ、西側はどうなんだろうな。
噂じゃ、明るく自由な場所って話だけど。
本当かなあ。
壁の向こうに見える西側は、たいそう発展しているように見える。
夜も昼も無く明るく、場所によっては軽快な音楽も聞こえてくる。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ。
ほんの先っちょだけ気になるよ。
そして思うのだ。
──楽しそうだな、と。
ま、我が偉大なる祖国では、こんな思いになるだけで党と国家に対する敵対行為らしい。
西にかぶれた級友が数人、突然消えたこともある。
教師は何も言わない。
そう、沈黙。いや、黙殺である。
だがそれが一番怖いのかと言うと、あたしにはよくわからない。
アレもダメ、コレもダメ。
国民の行動と思想を封じるのが幸せの最短距離なのだろうか。
それは正しいのだろうか?
でも、そう。
確かに波風は立たない。平和そのもの。
だがしかし、本当のところは──やはりあたしにはわからない。
あたしは気づかない自分が、本当は何を求めているのかを思い、そんな事を考えるあたしは自身がバカなだけかもしれないだけだと思わなくも無いのだ。
考えるのは苦手だ。
だからあたしは結論付ける。
もっと上手に生きる道はあるはずだと。
だから今日も、あたしは両親に噛付いている。
「父さんも母さんも……もう! どうしてあたしがそんなスパイのようなことをしなきゃいけないって言うの!」
「声が大きい!」
「なによ父さん!」
「なっ! 黙って、そうよアネット」
「……ごめん、気をつける」
あたしはやりすぎた。
あたしは途端に声の音量を下げ。
できればあたしも家族で喧嘩などしたくは無い。
でも、でも。もやもやだけがあたしに残る。
あたしは口を結ぶと、思考の海に沈む。
そんな刹那の時間の後、父さんが静かに吐き出した。
「でも、その子は旧貴族なんだろう?」
「大昔の話じゃない!」
他でもない。これはあたしの親友、イングヒルトの話だ。
このことは何度も何度も両親に告げたはず。
「でも、旧貴族出身なのは確かだ」
「そんなの関係ないじゃない!」
あたしはそのしつこさに、例えば瞬間湯沸かし器。
いけない、いけない。
つい感情的になる自分を呪う。
「こ、これ! アネット、声を小さく……」
そしてあたしは再びたしなめられる。今度は母さんだ。
だけど、あたしの心は落ち着かない。当然だよね?
「でしょそうなるよねぇ! 大っぴらにできる話じゃないもの」
あたしは頑張って声量を自制する。
「でも、……の指示なんでしょ?」
「そうよ。でもね母さん、あたしは親友を裏切るようなことはしたくないの」
あたしは努めて声を押し殺す。そして静かに漏らした。
「まさか、断るというのか?」
「……父さんまで」
両親は怯えている。
ええ、両親の声が震えてるんだ。
仕方が無い。
だってこれは、国家の指示。
両親にとって、それに歯向かうなど考えもつかないことなのだろう。
「よく考えてアネット。あなたの返答次第では、我が家は破滅よ?」
「お母さん?」
「アネット、良く考えるんだ」
「お父さんも。イングヒルトは親友よ? そして彼女本人になんの問題がないのはお父さんもお母さんも知ってるじゃない!」
「それはそれ、これはこれだ」
「それなら!」
「考え方を変えるんだアネット。友達と、いや親友と一緒に異国に留学できる。お前にとっても、いい経験になるはずだ」
「そうよ! 今回の留学の件は党も無視できないわ。日本から帰ってきたらアネット、きっといい生活が送れるようになるわよ」
「……親友を売って?」
「違うわアネット。監視役じゃないわ。ただ毎日、異国で日記を書き続けるだけの話よ。その中にその子の様子をちょっと書き加えるだけ」
「そうだぞアネット。俺も母さんの意見に賛成だ」
「お父さん、お母さん……はあ、もう少し考えてみる」
「ああ。実質的な報告書とはいえ日記をつけるだけだ。いいか? 日記はアネット、お
前の主観で付けるんだぞ?」
「どういう意味?」
「あくまで、お前が思った事をそのまま書けばいい。親友に対して思った事をな? お前は親友を信じているのだろう?」
「そうよ?」
「ならば、お前が親友の事を悪く書くはずないじゃないか……と、私は思うがね」
父さんがあたしから視線を逸らす。
今の父さんの一言。
それは一つの回答と言えた。都合のいい回答だけど。
自分を騙すことなく「適当にあたしの主観で日記を書くだけ」にするのだ。
これならば、あたしは親友を裏切ることも無く。
──そう。自分の主観で。
そうなのだ。
一筋の光明が見える。
あたしの肩から、なんだか重い物が落ちたような気がする。
それも、ごっそりと。
あたしは食卓を立つ。
──留学。行くのは構わないけどイングヒルトを売るような行為はしたくない。
あ、そうか。そういうことだ。父さんの言葉はあたしの腑に落ちる。
そうなのだ。あたしって鈍いから、父さんの意思を汲み取れきれて無かったよ。
あたしは思う。事によっては、自分がイングヒルトの機先を制して守ってあげなきゃ、と。だってそうだよね。
そのための自分ではないのか、と。それでこそイングヒルトの親友を名乗れるのだ。
イングヒルトが旧貴族なのは有名だ。
いつもいじめの対象で。
でも、本人はとても誇り高い存在でいじめなんて跳ね飛ばしている。
あたしは、そんなイングヒルトをカッコいいと思ってる。
表立っては口に出さないないけどね。
しかし党と先生達は違う。
あたしは大人たちの意見に同意しかねる。
あのイングヒルトが、もとより馬鹿な事をするはずが、まして考えるはずもない。
イングヒルトの気高さを、あたしは身を持って知っている。大人たちは誤解しているのだ。もしくは差別か。
だから、イングヒルトが日本に留学したとしても、変な事を……社会主義をバカにす
るような事を言うはずがないし、行動にもあらわすはずがない。あたしは断言できる。
そう。
あたしはそんな『留学先で正しく社会主義を賞賛する』イングヒルトの動向を日記に書くだけでいいのである。
考える。考えて考えて、頭が痛くなって来たときに、そこに行き着き、あたしの考えは落ち着いた。
うん、少し元気になったような気がする。
教えてくれてありがとう、父さん。アイデアをくれた父さんには感謝しなきゃね。
でも、まだ……踏み切れないあたしがいる。
考えようとすると、頭がカーッとするのだ。
物凄く頭が重い。
もう良いよ良いよ、今日も学校だし!
また考える考えすぎだよあたし!
と思うも、あたしはバカだから、ぐるぐると思考を続けてしまうんだ。