ホーゼンフェルト武芸帳 シュヴァルツェスマーケンEXTRA 作:燈夜4649
◇
「でね、イングヒルト」
「なに? アネット」
あたしは、自分から仕掛けた。
そう、イングヒルトと待ち合わせをしているいつもの通学でのことだ。
イングヒルトに話しかけたは良いものの、瞬時に両親との言い合いをあたしは思い出す。
ああ、もう面倒な、と思わなくも無い。
頭の中、ごちゃごちゃなんですけど!
あたしは顔を上げ、大きく息を吸い込んだ。
うん、早いこと言ってしまおう。
覚悟を決めろ、あたし! 思い浮かぶのはあのスーツの男の影である。選択肢はただ一つ!
怖がるなあたし! と、思うものの、体には震えしか来ない。
でも。
そうなのだ。
迷ってどうする、自分は既に目をつけられている。
嫌なことは早く済ませるべきだ。
あたしは覚悟を決めると頭をブンブン振って、イングヒルトに心配されつつ口を開く。
「あたしも日本に行くよ。剣道の本家と戦えるかと思うと、今から楽しみ。腕が鳴るわ。ええと、サムライだっけ、強そう。でもサムライってハラキリするんでしょ? さすが
のあたしもハラキリは嫌だなあ」
「アネット? わたしもハラキリなんて嫌です。でも、あなたも選ばれたのですものね!」
「うん」
あたしは笑顔。笑顔。
努めて笑顔を作る。
「嬉しいです!」
と、飛びついてくるイングヒルト。
ちょっと、喜びが爆発してるって! まったく、オーバーなんだから!
でも、あたしは喉まで出たその声を飲み込んで。
彼女があたしの首に両手を回してくる。
花の香りがする。
あたしは思わず仰け反った。
ああ、もうこれで引き返せない。
あたしの運命は確定した。これでこれからあたしはイングヒルトと一蓮托生なのだ。
でも、シュタージなんかに負けるものかと。
あたしは本家日本人達を自身のフェンシングじゃなかった、剣道で捻じ伏せて、シュタージどもに見せ付けてやると意気込む。
そうなのだ。
東ドイツの誇りって言わせてやると、心に命じて!
どうせならあたしは東ドイツの誇り、そう、英雄になってやる!
◇
あたしはイングヒルトと二人して飛行機に乗った。
留学生二人。そして数人のスタッフ。外交員とのふれこみだ。
空の旅。
もちろん初めてだ。
離陸の振動にビビリつつ、はしゃいでいるイングヒルトを他所にあたしは内心ドキド
キしっぱなし。
だって、空を飛ぶとか空を飛ぶとか空を飛ぶとか、ありえないよね人間業じゃないよね!?
でも、ジェットエンジンの発明はドイツ人が最初……だったと思う。
いぇーい、祖国万歳!
でもでも、イングヒルトを隣にしたあたしは少々……いや、かなり気まずい。
変な監視任務なんて、私には似合わない、と自問しながら。
うん、他のスタッフを見る限り、誰がコラボレーターで誰がシュタージか判らないんだもの!
ま、一発で判るコラボレーターなら、誰も苦労しないよ、トホホ。
「アネット、ドキドキするわね」
「そうだね、イングヒルト」
白い雲海を横目に見つつ、ジェットエンジンの音と振動に身を任せている。
「空を飛ぶなんて夢見たい」
「うん」
「外国に留学。それも西側。もう私、夢見たい!」
「そうだね」
「そして一番嬉しいのがアネット、あなたと一緒にこの喜びを分かち合えること!!」
「あ、あはは……」
「二人して、極東の国に故郷の素晴らしさを紹介してあげたい! 社会主義が一番だよ、って」
「そ、そうね、あはは」
あたしは際どい会話に冷や汗。心から喜べないあたしがいる。
イングヒルトは天然なのか、ギリギリセーフな言葉を吐き続ける。
それも、見たこともない位、上機嫌に!
でも、ヒヤヒヤであった。
イングヒルトも言葉を選んでくれているのか、いつも以上に故国を賛美して。
はあ、まあいいけどね!
と、あたしは思うのだ。
自分も助かるし、と。
あたしは窓から外を見る。
角の丸い窓の向こうに、雲の海。
それが太陽の光を反射して、実に美しい。まるで運命に祝福されているように。
うん、凄く綺麗。
綺麗といえばこの光。
美人のイングヒルトには映えると思える。
え? あたし?
あたしは美人枠ではなくて面白枠だから──と自分も周りも納得させて。
アハハ、もう笑うしかないけど、あたしは心の底で笑うのだ。
あはは、あは、はぁ。
だめだこりゃ。大丈夫かな、今度の留学。
もう心の仲では溜息しか出ないよ。
これから先も思いやられる──ホントホント──とにかくイングヒルトが気がかりではある。
──はあ、どうしてイングヒルト相手にあたしが疲れないといけないのよ。理不尽だ、と。
あたしは表裏も無い、いつものイングヒルトの笑顔を見てそう思ったのだ。
ねえ、無理も無いと思うよね?