ダンジョンから帰ったら五十年経ってたんだが。~え?昔の仲間が今や大手ギルドの代表?なにそれ知らん……こわ……~ 作:蝉時雨
額から汗が滴り落ちる。
部屋の空調は問題なく動作しているというのに、猛烈に汗が止まらない。
「おいクソ朴念仁野郎、わかってんのか? あぁ?」
「たしかに俺らは直接的な言葉を敢えて避けてる。でもなぁ?」
誠一郎とジェイが目の前で椅子に座り、青筋を浮かべながらこちらを詰めてきている。
「まったくよ。アリアが可哀想で仕方ないわ」
「……あ、あの……皆様……あの……」
ローズもそれに加わり、唯一の救いと思っていたアリアは顔を真っ赤にしながら、「あの……」くらいしか言えなくなっている。
オレはといえば――。
「誰がやめていいって言った。そのまま空気椅子を続けろよ朴念仁野郎」
――かれこれ一時間以上、空気椅子を続けさせられている。
地下で誠一郎たちと鍛錬という名の集中砲火を受けたあとに向かった『T.KoA』の十階にある会議室。
その一室は過ごしやすいように整えられており、通常であれば快適に話し合いの場が取られていることだろう。
「俺ぁ、旦那もさすがに自分の気持ちに気づいてるだろうと思ってたんだよ。それなのに、あれだ」
「いや、オレは――」
「黙れジロー。俺らはな、いい加減腹立ってんだよ」
話し合いというのは双方の意見を聞いた上で最適な結論、あるいは妥協案の模索をするべき場であると思っている。
しかし、この状況はあまりにもあんまりではないか。
オレが一体何をしたというのだ。
いや、空気椅子をさせられて三人に詰められている現状を話し合いとは言わないか。
「腹決めろよ旦那。さすがに気づかないと罪どころの話じゃあねぇぞ」
なにを決めろというのか。
「……オレにはたしかにアリアが必要ではあるし、今後もそうではあるが」
「おう、そうだな?」
「恐らく地下での挙式云々の話だろうが、それとこれとは――」
「――限りなく近い話だバカ野郎」
なぜだ。
三人ともにより一層の圧を放ち始めたぞ。
「いや、そもそもアリアは――」
「――だああ! もう面倒くせぇ! おいアリア!」
頭を掻き毟った誠一郎が、今度はアリアに対して声をあげる。
「このクソ朴念仁の鈍感王にゃ直接言わんと伝わらんぞ!?」
「……あの……えっと……」
「昔の勢いはどうした!? カーッ、爺はもう見てらんねぇよ!」
こちらもこちらでより一層縮こまってしまうアリア。
「アリア、もうジローはダメよ」
「そうだぞアリア。俺とローズのようになりたいなら、やはり口にしなくてはいけないこともある」
「そ、れは……そう、ですけどぉ……っ!」
状況を飲み込めていないのはオレだけなのかもしれない。
まだ多少なりとも余裕はあるが、このまま空気椅子を続けていればひどいことになるだろう。
早く終わることを祈るが、彼らから感じるのは怒りというよりも呆れの感情が強い。
「…………ジロー、様!」
「……うむ」
意を決したようにオレを見据えるアリア。
「………………」
「………………」
しかし、いくら待てどもその口から言葉が出てくることはない。
オレを見ている彼女の顔が、徐々に赤くなっていくのみだ。
そのまま無言で見つめ返していれば、湯気が出るかと思う程に赤くなった顔を隠しながらそっぽを向いてしまった。
「ダメじゃねぇか!」
「そうよね、アリアちゃん怖かったわよね。おーよしよし」
いくらなんでもここまで来ればオレでもわかる。
たしかに誠一郎やジェイ、ローズの言う通りオレは朴念仁なのだろうが、それも許してほしい。
ここまで生き抜いてきた人生の中で、色恋沙汰とは無縁であったのだ。
いや、オレが気づいていなかっただけかもしれないが、記憶の中にはない。
アリアは、オレのことが好きなのであろう。
冷静に考えて――空気椅子のせいで少し思考は落ち着かないが、喜んでいる自分がいるのは確かだ。
しかし、わからない。
なぜ、オレなんかを好きになってしまったのだろうか。
なにか特別なことをした覚えはないのだが。
「……やっぱゆっくりやるべきなんかねぇ。俺らで無理やり場を整えたって、アリアはまだ帰ってきたばかりなんだしよ」
「イチローの言うこともそうだが、ゆっくりさせてっとこいつら一生このまんまだぞ」
一般的には現在の状況はありがた迷惑、とでも言うのではないだろうか。
放っておいてくれと言っても、彼らは納得したいだろうということもわかる。
ずっと、待っていたのだろうからな。
わかってはしまうが、オレとアリアの速度というのもあるのではないだろうか。
「今日は全員疲れてるしな。また後日にでも――」
「――いや、その必要はない」
「……そしたら、終わったら呼んでくれクソ朴念仁野郎」
誠一郎が席を立つと、ジェイとローズもそれに続いていく。
彼の言葉に反論は出来ないが、なんとか汚名返上といきたいところだ。
空気椅子をしていた足を伸ばし、少々ぎこちないがアリアのほうへと歩み寄る。
「アリア」
「……は、はいっ」
いくら考えても、彼女がオレを好きになった理由はわからない。
こんな歳の離れた――いや、当時は十程離れていたが、もう違うのか。
氷に囚われるという、実に嫌なことの結果ではあるが、年齢としては近づいているとも取れる。
「キミは、オレのことを好きなのだろうか」
「…………ぁぅ」
俯いてしまった彼女の顔は見えない。
「さすがにこの状況ならば、オレでもわかる。その前提でだ」
膝を折り、彼女のか細い手を握る。
柔らかく暖かい、無骨なだけのオレのものとは大違いだ。
「……オレは、キミの隣に立つような人間ではない」
「…………えっ」
「オレの手は――キミのものを握るこれは、あまりにも血に汚れている」
思い出すのは、黎明期の頃。
あちらこちらの『扉』に飛び込んでは、異形たちと死闘を繰り返していた。
死ぬか死なないかの瀬戸際を何度通ってきたのかすらわからない。
あの頃は、『扉』内部でなにがあろうが自己責任であった。
今もその風潮は変わらないと聞いたが、はるかに血なまぐさかったのだ。
現代での『自己責任』と、当時の『自己責任』とでは、雲泥の差があるだろう。
なにせ、内部で人を殺めようが、騙そうが、監禁をしようが。
可能かは置いておくとしても、本当の意味で罪に問われなかったのだから。
『扉』に仲間と共に潜り込んだ者が報酬で揉めて、帰ってきてみれば人間の血で汚れた状態であったこと。
異形と戦っている者を観察し、漁夫の利を狙って襲いかかるようなこと。
『扉』から帰還する、疲弊しきった冒険者ばかりを狙っていた者たちがいたこと。
そういったことが、当然のようにまかり通っていた時代だった。
オレは報酬分配の件で仲間を募ってはいなかったが、何度そういう自体に見舞われたかわからない。
その度に、撃退をしていた。
「キミは、癒し手だ。見ず知らずの人をも、その手で癒してきた」
「…………」
無力化など、一度も考えたことはない。
相手のものを奪わないなど、頭に置いておくはずがない。
殺すか。
殺されるか。
そこに、異形か人間かの差などない。
そういう、時代だったのだ。
人を守るなど、考えたこともなかった。
まさか自分が盾を持ち、すべてを守る人間になるとは思っていなかった。
「オレはこの手で、多くの命を奪ってきた」
戦闘において優位に立てると考えてから、左手に盾を持つようになった。
それまでは剣のみで渡り歩いていたが、己の世界が広がったように感じたのを覚えている。
その証拠に、深層から深淵へと活動の幅を広げることが出来た。
そこからしばらくは変わらずひとりで潜っていたが、力不足――あるいは技量不足に陥った。
多くの異形に囲まれ、オレもここまでかと思っていた時に『扉』の内部で人の世話になってしまったのだ。
助けられ、飯すらもご馳走され、共に踏破までしてしまった。
前衛の男に、後衛の女ふたり。
困っている人は放っておけないと、その男が強行したと聞いた。
しばらくは縁もあって、その者らと共に潜ることが多かった。
年若い男女で、報酬の分配で揉めた覚えもない。
いつの間にか、オレは彼らを守るために武器を振るうようになっていた。
だが、結局は――。
「オレは、キミのように人を救うことが出来ない男なのだ」
――オレひとりが、生きている。
「……そのような、ことは――」
「――あるんだ、残念ながらな」
ずっと心を痛めてやってきたかと問われれば、そのようなことはない。
オレは、楽しんでいた。
たしかにあの時代に、生きる歓びを見出していた。
オレを助けてくれた仲間――同行者と言うべきか、仲間と言えるほど親しくなれていないはずだ――を喪った時も、悲壮感は感じなかった。
ただあったのは、己への失望感。
強くなったと過信を続けたオレ自身が招いた結果だと、律しようと努めてきた。
結果は――。
「――共に戦った仲間たちの多くを、オレは守護ることが出来なかった」
「……ジロー様」
『NY・第八扉』で共に戦い、散った仲間たち。
その裏に教団の思惑があったにせよ、その命を散らせてしまった責任がある。
その選択しかなかったにせよ、オレは確かに守護ることができなかった。
「だから、オレは――」
「――顔をあげてください」
そう言われてはじめて、自分の視線がアリアの足元へ向いていることに気がついた。
顔をあげれば――。
「――っ」
息を呑んだのは、オレか彼女か。
ひとつだけ確かなのは――。
――乾いた音と、左頬に生じた僅かな痛み。
「……今のは、『NY・第八扉』で虹の橋を渡った皆様の分です」
「…………ああ」
彼女の顔を見れば、そこには引き結ばれた口と、雫の浮かんだ藍色の瞳がある。
間違いなく、向こう側に旅立った彼らならやるだろうことはわかる。
いや、アリアがやってくれたことよりも物騒なことをやりそうだ。
「ジロー様がかつて共に冒険した方々がどういった気持ちだったのかはわかりません。そして、そんな方々を喪ったジロー様の気持ちも、私には想像することもできません」
オレの手を強く握り返しながら、彼女は語る。
「ですが、黎明期の頃なんてどこもそのような場所です。私も、何人もの方を見捨てました。救う手を伸ばさなかったことなんて、数えられません」
アリアの瞳から滴る雫は、静かに模様を広げているだろう。
「私が一番怒っているのは――」
上擦る彼女の声は、その真剣な眼差しと共にオレを逃そうとしない。
「――『NY・第八扉』であったことを、まるですべてご自身の責任だと感じている貴方の思い上がりです」
「オレは、そんなことは――」
「――いいえ。心のどこかで思っていることが、自然と出てしまっているのです」
彼女の言葉が胸に刺さる。
虹の向こう側に旅立った者たちにも、それぞれの覚悟や想いがあった。
それは、すべてこの胸に残っている。
「なにより――」
アリアの言葉が詰まる。
その瞳には、一際大きな雫が浮かんでいる。
「――わた、私だって……っ! 助け、られなかったん……です、よっ!?」
吐き出された言葉は、どこまでも濡れている。
「わたし、がっ、もっと……もう少し、だけ……でもっ!」
「…………そんなことはない」
「あるんです!」
ああ。
そうか。
「浅層でいきなり異形暴走に包囲された時だって! 中層で深淵にいるはずの異形に襲われた時だって!」
オレは、わかっていたつもりでも――。
「全部全部、私がもっと癒しの力が強ければっ! 誰も、死ななかった! 死なせなかった!」
泣きわめく彼女を抱き寄せ、腕の中に仕舞い込む。
オレは、なんてバカな男なのだろうか。
無力感など、オレだけが持っているものではないのだ。
氷から目覚めたばかりのアリアに、辛い吐露をさせてしまった。
「……すまないな」
「……どうして謝るんですかっ」
胸元が湿っていく感覚がある。
服が引っ張られ、伸びていく感覚がある。
だが、不快感はない。
この痛みは、オレだけが持つべきものである。
そうであるべきだと、考えていたのだろう。
オレが仲間たちを守れなかったと嘆けば、当然アリアも救えなかったと慟哭する。
いや、アリアに限らず皆思っていることであるはずだというのに。
そんなこと、考えなくてもわかるであろうことだ。
しかし、そうか、そうだな。
「オレたちは、似た者同士というわけか」
「……ちがいます」
まさか否定されるとは思わず、少しだけ固まる。
オレは、またなにかを間違えてしまったらしい。
「……私は、ジロー様のように優しくはないです」
「……アリアは、十二分に優しいと思うのだが」
「いいえ、そんなことないです。だって――」
顔を上げた彼女は、口元を歪めながら言葉を続ける。
「――聖女なんて呼ばれ方、クソくらえって思ってますもの」
「…………」
あまりの物言いに面食らってしまった。
まさか彼女の口から、クソくらえなどという言葉が出てくるとは。
「……はっ、はは――っ」
「……ふふっ、ふふあは――っ」
思えばお互いの過去や身の上などは軽く話をしただけで、あまり深い部分までは踏み込んだことがなかったものだ。
命を預け合う間柄といえど、線引きは必要と思っていた。
しかし、そうだな。
これからは――。
笑いあっているうちに、体の力が抜けて地面に仰向けで転がる。
オレの体の上に乗る形で、アリアも倒れ込みながらもずっと笑っていた。
「オレで、本当に良いのか?」
「もう、ここまで来てまだ逃げるのですか?」
「……腹は決めたさ」
彼女を抱き締めれば、変わらずオレに身を任せている。
守るものは変わらないが、守護る決意は新たにしなければいけないな。
年貢の納め時などとも言われるが、心地良いのだから良いだろう。
外にいるであろう誠一郎たちには悪いが、今少し待っていて欲しい。
感想、評価、お気に入りなど痛み入ります。
非常にモチベーションにつながっております。
次回更新は、9/20を予定しております。