ダンジョンから帰ったら五十年経ってたんだが。~え?昔の仲間が今や大手ギルドの代表?なにそれ知らん……こわ……~ 作:蝉時雨
鳴り響く高周波音が思考の隙間を埋めつくそうと入り込む。
結晶の洞窟、正確には回廊なのかもしれないが、その全体を支配する静けさとは正反対だ。
「ちと待て、配信の方ミュートにするわ。……んでだ、共食いってえ線はねぇのか?」
「……わからんな。仮に結晶を使うタイプの異形としたところで、その攻撃に包まれたのであろう異形たちが消えずに残っている理由が不明だ」
「エネルギー……っつーか、魔力を吸収してるって線――いや、そんな顔しないでくれ。俺だってこんなの見た事ねえんだからよ」
魔力の吸収をしているとして、結晶自体がそれを使って状態異常を発生させる魔法を使用しているのか。
これまでも罠を張るタイプの異形はいたが、これほどの規模は――『扉』内部の構造を変えるほどのものは見たことも聞いたこともない。
「……コレらが魔力を放っていることは、確かです」
「……一度、距離を置こう。アリアの結界で多少なりとも楽だが、些か耳障りなことに変わりはない」
ふたりが頷いたのを確認し、踵を返そうとした。
その時――。
ピシリ、と小さな音。
「――っ!」
振り向きながら盾を構え、結晶へと駆け出す。
アリアは髪を靡かせながらオレとは反対側へと駆け出し、その横では楢原殿が雷を纏いながら槍を構えた。
これからなにが起きるのかはわからない。
ただひとつ言えることは、先程まであれほど鳴っていた高周波音が――。
「ははっ! 身体が軽いなぁおい! 今ならなにが来たって勝てる気分だ!」
――止んでいる、ということだ。
楢原殿の獰猛な笑いが代わりに耳に飛び込んでくる。
アリアが本格的に展開をはじめたであろう魔力に充てられて、その身体には全能感が湧き上がっていることだろう。
かくいうオレもそうではあるが、やはりアリアがいるのといないのとでは雲泥の差がある。
それが傷つくことを気にしなくて良い判断を、容易に選択させてくれる。
「……鬼が出るか蛇が出るか」
罅の入る音が次第に大きくなり、目の前の地面から突き出ている結晶が割れる。
次に訪れたのは三から四つほどの衝突音。
そして――。
「……むっ」
「……えっ」
淡く光を残しながら消えていく異形――その死骸とも言える、干からびた姿。
想像するに、宿していた魔力を吸い付くしたから手放した、あたりであろうか。
少なくとも、戦闘に発展しなかったのは救いとも言えるかもしれない。
「……なんでぇ、面白くなるかとも思ってたんだが――なんつーか、釈然としねえな」
「……まったくだな」
面白くなるかならないかは置いておくとしても、釈然としないという気持ちには同意せざるを得ない。
戦闘をしないことに越したことはないし、事実として共食いなどが起こっていた場合には何事もなく階層を移動することだってある。
しかし、この胸の内に巣食う言語化できない気持ちはなんだろうか。
焦らされているような感覚とも、気持ちの悪いなにかを見た時の感覚とも違う、言葉にならない気持ちの悪さ。
己の中の常識とは違う、別のなにかを経験、体験した高揚感とも違うものなのだ。
「……なぁ、嫌なことを言ってもいいか?」
「……少なくとも全員が同じ意見だとは思うが……聞こう」
「…………やべぇ大物、いやがるよな。深層かどうかはわからねえがよ」
ため息と共に零れた楢原殿の言葉は、溶けいく異形の亡骸と共に流されていく。
「……特別禁忌、か」
「……思うんだがよ。やっぱり全部を特別禁忌って括るのは無理があるよな」
異形の括りとして種などはあるが、脅威度の最高の括りは特別禁忌だ。
その中でも異常種に毛が生えた程度の異形から、オレが過去に遭遇したナニかのように手が付けられないものまで様々。
異形を人間の尺度で測れない、というのがひとつの結論ではある。
上を見ればキリがないとも言えるのかもしれない。
「だが、それでも尺度としては機能しているだろう」
「まぁ、そら弱えやつらが戦う前に逃げるなり距離を置くなりする前提でな。どちらにせよ入場規制されるんだから、俺ら以外は入れねえけどな」
オレと言葉を交わしながらも、警戒を解くことなく周囲を見る楢原殿の目は鋭い。
オレも魔力で探ってはいるが、目視は重要だ。
回廊の先を見通すことは出来なくとも、目で見える範囲は警戒しておくに越したことはない。
「楢原様」
「おう、アルデルテさんもなんか気づいたことあるか?」
「気づいたこととは少し違います」
距離を置いていたアリアも近づき、いよいよ三人で会議をしている形となる。
「支援隊の皆様や辰巳様をはじめとした冒険――探索者の方々には撤退いただいたほうが良いように思います」
「オレも同意見だ。この中を支援隊の者たちを守りながら行くよりも、清吾と涼原殿たちに地上までの護衛とその後を任せたほうが良いと考える」
「……その後ってえと――」
「――ああ、そういうことだ」
その後のこと――。
撤退するメンバーの中に、当然のことではあるがオレたちは入っていない。
オレたちはこのまま前へと進み、スタンピードの脅威となっているであろう大物を仕留めることになる。
仕留められなければ、少なくともその危険度を落とすまでは戦わなければならない。
――オレたちが負けたとしても、地上側に残った戦力として後詰を任せる。
清吾に涼原殿のふたり、そして他の探索者たち。
さらには今の配信なり地上に出た者たちの呼びかけで、もっと戦力が集まるかもしれない。
「まっ、そうなるわな。ちと通信繋げるわ」
アリアがいる以上、負けることは考えられない。
だが、仮にオレが彼女のことを守護りきれなかった場合には最悪のことになる。
探索者は常に死と隣り合わせ、最悪の事態――己が死んだ後のことも考慮に入れなくてはいけない。
これが通常の探索であるのならば、オレは浪漫を求めてそこまで考えることはないのが正直なところではある。
どこで野垂れ死んでしまおうが、それはオレが弱かったからだ。
「……おう、辰巳か。ちょい待て、スピーカーにする」
『――の声は聞こえておりますか? 通信は良好かと思われますが』
「問題なさそうだな。そこまで遠いとこにゃ行ってねえからな」
楢原殿がインベントリから取り出したダンホー型の通信機から、電子音のような辰巳殿の声が聞こえてくる。
『こちらの被害はありません。現在は御三方の報告を待って進軍を――』
「――あー、それなんだがな。撤退してほしい」
『……撤退、ですか。失礼ですが、その判断の基準をお伺いしたく』
こちらに目線を向けた楢原殿に頷きを返す。
彼ならばきっと、これから先のことを――。
「まぁ、なんだ。かくかくしかじかってわけだ」
――話してくれると思ったのだが。
思わず苦笑を浮かべながら、隣にいるアリアへと目を向ける。
彼女は彼女で楽しげに笑っており、緊張感などないように見える。
『…………それだと微塵も状況が分かりかねますが』
「今この通信を聞いてるのは辰巳だけか? こっちは配信に載る音も切ってるが」
『そうですが……』
続けて聞こえてきたのは楢原殿のため息。
ここだけ『扉』の中だというのに、漂っているのは普段と変わらない空気のようにも思う。
「それならいい。あれだ。俺ら、最悪死ぬからよ」
『――なっ!?』
「驚くな驚くな。『扉』だぜ、ここは。だからよ、配信はつけとくから、撤退した後に俺らが仕損じたら頼むわ……すまねえな」
『お、お待ちを! それならば全員で戻り――っ!』
辰巳殿の言葉は最後まで続かず、楢原殿が通信機をインベントリへと放り込んで笑った。
中では呼出音が鳴り響いているだろうが、こちらにはもう関係の無いことだ。
「さって……いっちょやってやるか」
「ふふ、そうですね。明日か明後日には戻りたいなって思います」
「はっ、失敗した時のこと考えてねえってか? さすがってところだなぁ」
「むっ、ちゃんと考えてますよ。でもジロー様がいるんですからね。私たちが負けるわけないじゃないですか」
全員で顔を見合せれば、小さな笑いが起こる。
笑い声は次第に大きくなり、楢原殿に至っては顔を手で抑えている始末だ。
「ひぃ……はは、笑った笑った!」
「ああ、笑ったな。ならば――」
「――おう、そろそろ先行くか」
剣と盾を携え、先頭を行く。
結晶に近づく度に不快な音は鳴るが、それだけだ。
この回廊の奥底、深淵に至るための行進曲とでも思えばいい。
■■■
「――楢原様っ! くっ、通信が……っ!」
深層へと至る階段の中頃、集団から離れた位置。
手元で光を放つ端末には通信不能の四文字が踊っている。
どうする。
どうすればいい。
いや、やるべき事はわかっている。
楢原の言葉をそのまま受け取り、素直に全員を指揮しての地上への撤退だ。
こちらに向けられている数多の目と意識に活を入れて、ここに残ってくれている益田と涼原の両名を筆頭としての撤退指揮だ。
頭では、わかっている。
わかっている、つもりだ。
「――辰巳くん」
「……益田、様」
顔を上げた先にいたのは、益田。
日本一のギルドである『Snow』の創立時に代表の枢木から直にスカウトされ、今では教導役を担う豪傑。
SSランクの――憧れ続けたバケモノの、ひとり。
「楢原くんは、なんと?」
「撤退しろ、と……」
「ふむ……では、そのように。野薔薇さんを先頭として、殿は儂が――」
返ってきた、その言葉に――。
「……貴方、は」
「むっ、いかが――」
言葉にならない脱力感と。
「――悔しくは、ないのですか?」
「………………」
――言いようのない怒りが、湧いてくる。
幼い頃に見た、探索者たちの輝かしい姿。
剣や盾、槍、杖といった武器をその手に握って、まだ見ぬ『扉』の先へと挑んでいく背中。
私も――俺も、そのひとりになりたいと思った。
探索者専門科の門を叩き、いつかは自分もと努力を続けた。
若くしてAランクとなったのは、今でも誇れることだ。
すぐにSランク、そして夢のSSランクになれると、夢は現実になると実感した。
事実、Sランクへの昇格はすぐだった。
その日は眠れなかったのを、よく覚えている。
だが、わかったことは。
探索者としては上澄みに至ってから、頂きへと繋がる唯一無二の道。
その上で、嫌でも実感してしまったこと。
己は所詮、凡人――ひいては秀才の域を出ないということ。
己とバケモノたちの間に立ち塞がる、才能という名の絶望的な境目という名の断絶。
俺の道は――光り輝いていたはずの道は、途切れてなくなっていた。
魔力量は人より優れている――しかし、圧倒的ではない。
運動神経は人より数段上――しかし、たかだか数段でしかない。
魔力への適正も、優れている――たが、優れているだけ。
どこまでいっても、優秀止まりの凡人。
せめて支えることをしようと協会所属となった。
凡人には凡人の出来ることを最大限発揮する。
それが正しく、賢い生き方であると思ったのだ。
だが、その先で見たことは、腐敗を歓迎し、面倒を忌避する組織の姿。
このままではいけないと行動を起こそうとも、野蛮な探索者上がりが調子に乗るなと握り潰される毎日だった。
己が真にやりたかったことを見失い、燻る毎日だった。
本庁から北海道――故郷へと飛ばされても、それは変わらなかった。
唯一の救いは、探索者専門科に通うと決めた際に大喧嘩をした父と母に再び会えたこと。
それ以外は、なんら変わることの無い灰色の日々。
探索者と職員の間に立ち、橋渡しをした。
誰もやりたがらない依頼をこなし、給料とは別の小遣い稼ぎをした。
必要な書類を作り、上役へと受け渡した。
それらを、仮面をつけてこなす意味の見いだせない毎日だった。
そこへ来て、今回のスタンピード未遂。
己の役目はこれだと、すぐに直感した。
誰も手を挙げない中で、誰よりも先に声を上げて取り仕切った。
その結果が、『足手まとい』。
わかっている。
所詮、己で出来ることなど道端の石ころのようなものであることなど。
バケモノたちが窮屈に思わないように、道を整えることが仕事だと、わかっているのだ。
だが。
だけど。
わかってはいても。
――悔しいではないか。
夢見た景色を隣で見ることは出来なくても、せめてその近くで――その背中を見つめていたい。
それがたとえ、『足手まとい』だとしても。
それがたとえ、露払いだとしても。
それがたとえ――惨めに野垂れ死んでしまうことになろうとも。
俺は、憧れたあのバケモノたちと共に行きたいのだ。
「悔しくはないのか、だと?」
瞬間、俺――私の身体を包んだのは。
明確な、死の気配。
「過去ならばいざ知らず、ようやく力をつけた儂――オレが撤退要員とされるのが悔しくないと、そう思うのか?」
「……そう、では――」
「――悔しいに決まっているだろうが! ようやく肩を並べて死地へと赴けると思っていた矢先に、貴様らの尻拭いのために撤退を選ばされるのだぞ!!」
全身に叩きつけられる、血が流れているかのような慟哭。
その目からは本当に血が流れているのではないかと錯覚させられてしまう。
「あの三人はなにがあろうと勝つだろう! たとえ負けた――死ぬとしても、華々しく散るだろうさ!」
階段に罅が入る音がする。
「その隣に、オレが立つことはない――共に逝くことは出来ないと腹に据えざるを得ないこの気持ちが、貴様にわかるか! いいや、わかってたまるものか!」
背丈はそう変わらないはずだというのに、目の前に立つ鎧姿の男がどこまでも大きく見える。
「オレがどれほどこの時を待ち望んでいたか! 渇望していたか! 貴様にはわかるまい!! 己がもらった恩を返せない――返すことを赦されないこの気持ちは伝わるまい!!!」
ああ、そうか。
この人――このバケモノのように見える老人も、根っこはひとりの人間なのだ。
私と同じように努力し、しかして才能に恵まれた。
その才能に胡座をかくことなく、たしかに花開かせた――だが、それを手助けしてくれた恩人に義理を通せない。
この怒りは私に向けられたものではなく、己の中で燻る歯がゆさに向けられているのだ。
「貴様らの尻拭いをするということは、後詰で死ぬことすら赦されんということだ! このオレの悔しさが! 口惜しさが! 無念さが! 伝わらないだろう、という個人的な気持ちは捨ておくとして、だ」
途端、先程までの威圧感が霧散する。
その顔には、微かな微笑みが見て取れる。
「礼を失してしまったな。すまない、辰巳くん」
「……いえ、お気になさらずに」
「礼を失したついでに、老人の独り言に付き合ってくれないだろうか。なに、そのくらいの時間はあるだろうさ」
私の肩に、益田の手が置かれた。
薄暗い階段の中ですら、その瞳は輝いている。
「自分よりも若い者が死にそうな顔をしているのを見ていて、つい腹が立ってしまってな。我ながら大人げないものよ」
「そのよ――」
「――独り言だと言っておろう。返事をされては独り言ではなくなってしまう」
手が離れ、視界に映るのは傷ひとつない美しい鎧の背中。
「背負う立場や役割は残酷だ。人は、どうやってもそれに縛られてしまうもの。だが、望んだものであろうと、そうではなかろうと、それが無くては歩んでいけないのもまた、我々人間である」
振り返ったその瞳は細められ、刻まれた皺が歴史を語る。
「我々が出来ることと言えば、その中でどうやって振る舞い、行動するかを決めることのみ。それに盲目的に殉じるのか、それとも情熱的に全うするのか。極論ではあるが、そのどちらかだ」
その言葉はどこまでも重く、それでも届く響きは優しい。
「辰巳くん、キミの役割はなんだね」
「……皆を率いて撤退の後、最悪の事態に備えて動くことに他なりません」
「はっはっはっ、独り言だと言うておろうに」
皺は深まり、重く――優しい頷きとなって落ちる。
「先に逝く者は時にして残酷だ。後に残る我々のことを――想いを汲み取ろうとしない。全くもって遺憾であるが、彼らのことを想い、行動することこそに意味がある」
「……はい」
「大変であり――どこまでいっても損な役回りだ。華々しい散り際も、納得のいく死に場所もない。だが、残せるものはある」
こちらを見つめるその瞳はしかし、私を見ているようでいて違うところを見ているように感じる。
私のような矮小な人間ではなく、もっと遠く、もっと大きな――。
「しかし、それは目を背けたくなる程に過酷だ。死ぬことは許されず、求められることは必ず生存すること。生かすも殺すもキミ次第だが、指揮を任されるというのはそういうことだ」
僅かにではあるが、胸の内が熱くなるのを感じる。
「成し遂げたとしても賞賛されることはなく、失敗――つまりはひとりでも死なせてしまった場合には非難をされる。あるいはそれ以上をされてしまうかもしれない。実に困難であり、得することはなにひとつとして存在しない」
まるで、憧れ続けた道の先が、微かにではあるが形を変えて見えたかのような錯覚だ。
「撤退する道は必ずしも安全とは限らないだろう。モンスターが湧かない保証はない。そこについては儂や野薔薇さんを含めた全員をうまく使うことだ」
見えたものが正解かどうかは、わからない。
それでも私は――俺という凡人は――。
「ここまでやってこれたのだ。帰還した後にも役割は残るが、気張れよ、辰巳真司くん」
そう残し、恐らくは涼原の元へと歩みさって行くその背中。
同じ人間ではあるが、私ではいくら歳を重ねようとも届かない場所にあるとわかってしまう。
しかし、この胸に灯ったひとつの火は。
――それが己の夢の欠片であると、そう信じたい。
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