機動戦士ガンダム 不死鳥戦記   作:だいたい大丈夫

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宇宙世紀0079、一年戦争序盤。
ルウム戦役を目前に、ジオンの名家に生まれた青年カリス・フロートニックは、ザクに乗って初陣へ向かう。
毒ガス、コロニー落とし、そして赤いザク。
彼が最初に出会う戦場は、想像していた英雄譚とはまるで違うものだった。




カリス

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赤いザクと坊ちゃん少尉

宇宙世紀0079。

 

地球から一番遠いコロニー群であるサイド3は、ジオン公国を名乗り、地球連邦に宣戦布告した。

 

なんて、歴史の授業みたいな前置きだな。全然よくない。控えめに言っても最悪だ。とにかく、俺たちは今、戦争のど真ん中に放り込まれている。

 

ほんの少し前まで、戦争なんてものは偉い奴らが演説をぶって、正規の軍人が艦に乗り込み、民間人は配給の缶詰の心配でもしていれば済むものだと思っていた。だが、現実はそんなに礼儀正しく進んでくれない。

 

1月3日。宣戦布告の直後から、公国軍は先制攻撃を開始した。

グラナダ、サイド1、サイド2、サイド4。

 

作戦内容は毒ガス攻撃だった。

命令を下した連中は大義だの独立だのと声高に叫ぶが、俺に言わせれば、あれは大義という名の包装紙で包んだだけの大量殺人にすぎない。

 

さらに、ブリティッシュ作戦。

 

通称、コロニー落とし。

結果として、二次被害も含め、人類の過半数が死に絶えた。

 

死の数が多すぎると、逆に現実味は薄れ去っていく。十人なら、残された家族の顔を思い浮かべて悼むことができる。百人なら、失われた町並みを思って悲しむ。千人なら、歴史に残る悲劇と呼ぶだろう。

 

だが、それが億単位ともなると、もはや脳が処理を拒否してしまう。

実に便利な防衛本能だ。心が壊れてしまわないように人間が持ち合わせている、最低限の逃げ道なのだろう。

 

そして、この後に一週間戦争と呼ばれる惨劇を経てもなお、ジオン公国が手を緩める気配はない。

 

次の標的は、サイド5、ルウム。

その死地に、俺はいる。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

カリス・ジークフリード・フロートニック。

俺の名前だ。初対面で一度で覚えられた人間なんて、たいていは仕事で名簿を管理する事務員か、俺に金を無心したい奴か、さもなくば家の名を利用したい野心家くらいのものだ。

 

フロートニック家の長男。

そう名乗れば、ジオン国内ではそれなりに顔が通る。父に言わせれば「それなりどころではない」らしいが、自分でそれをひけらかすと安っぽく聞こえるから、俺は絶対に口にしない。

 

人型兵器なんてものは、もっと子供向けの娯楽作品に出てくる空想の産物だと思っていた。格好よくポーズを決め、光る剣で敵を薙ぎ払い、主人公が熱い言葉を口にすれば勝つ。そんな、雑で都合のいいおもちゃだと。

 

ところが、現実のザクはどうしようもなく油臭い。

関節部からは無骨な整備用ケーブルが垂れ下がり、足元のデッキには使い込まれた工具箱が転がり、傍らでは作業服姿の整備兵が口汚く罵声を飛ばしている。

 

「ザク、ねえ……。人型兵器なんて代物は、作り話の中だけの絵空事だと思っていたのに……まさか俺が乗ることになるとはね」

 

隣で作業していた整備兵が、ちらりとこちらへ視線を向けた。

完全に聞こえているな、今の。

 

頼むから聞こえないふりをしてくれ。坊ちゃんが出撃前に一人で感傷に浸っていたなどと、後で兵員食堂の笑いの種にされるのは勘弁願いたい。

 

新品のロールアウト機ではないが、整備状態は万全だ。

軍から支給された標準機をそのままあてがわれるよりは、よほど生存率に貢献してくれるはずだ。

 

もっとも、どれほど手の入った機体に乗っていようと、死ぬ時は呆気なく死ぬ。

 

そこに関してだけは、特権階級も平民も、士官も整備兵も等しく平等に扱われる。戦場という場所は、嫌になるくらい、そういう命のやり取りにおいてのみやけに律儀なのだ。

 

「フロートニック少尉!」

 

「まもなく戦闘開始時刻です。ブリーフィングが始まります」

 

「了解。すぐ行く」

 

軽く手を挙げて応える。整備兵は慌ただしく敬礼を残し、風のように別の区画へと走り去っていった。

 

先の毒ガス作戦に駆り出されなかったことだけは、本当に不幸中の幸いだった。

もしあの惨劇に関わっていたら、俺は一生、自分の行いを正当化するための言い訳を探し続ける羽目になっていただろう。

 

……いや、今の俺は、ずいぶんと性格の悪いことを考えているな。初陣を前にしてこれほど捻くれた思考回路に陥っているようでは、先が思いやられる。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

【ブリーフィングルーム】

 

 

ムサイ級は、外観のスマートさに反して内部の構造がひどく入り組んでいる。俺の屋敷のように、意味もなく広いだけの無駄な廊下が存在しないのは設計として合理的だが、あまりに合理性を追求しすぎると、人間にひどく不親切な造りになるということだな。

 

部屋の中には、俺の部下となるモビルスーツパイロットと、ブリッジの要員たちが顔を揃えている。

 

正確に表現するなら、彼らは正規の公国軍兵士というより、フロートニック家が抱えている私兵上がりの人間がほとんどだ。艦長からMS隊の面々に至るまで、だいたいが見知った顔ばかり。

 

軍というより、フロートニック家の大規模な引っ越し作業を宇宙空間でやっているような感覚に近い。これだから七光りとか言われそうで嫌になる。

 

全員から一糸乱れぬ敬礼を向けられると、正直なところ、背中がむず痒くて仕方がない。

 

「堅苦しいのは抜きにしてくれ。どうせ身内しかいない部隊だ。ここで無理に格式ばってみせたところで、誰かが必死に笑いをこらえる羽目になるだけだろ」

 

「はーい! では遠慮なく、元気よくいかせていただきます!」

 

真っ先に一歩前に進み出てきたのは、ラ・ミラ・ルナ曹長だ。

 

声のトーンがやけに明るい。戦闘を目前に控えたブリーフィングルームの空気を、なぜか昼下がりのカフェテリアのように塗り替えてしまえる人間である。これはもう、一種の才能と言っていい。少なくとも、俺には絶対に真似できない芸当だ。

 

「本艦のオペレーターを務めます、ラ・ミラ・ルナ曹長です。少尉、よろしくお願いしますね。通信も索敵も、あと少尉が宇宙のど真ん中で迷子になった時の誘導も、全部まとめてこの私にお任せください」

 

「俺が迷子になる前提なのは少々引っ掛かるが、頼りにしているよ、ルナ」

 

「はい。坊ちゃ……ではなく、少尉を無事に母艦へ帰すのが私の仕事ですから」

 

今、完全に「坊ちゃん」と言いかけたな。

まあいい。初回は寛大な心で見逃してやろう。ただし、二回目からは容赦なく俺の心の通信簿に記録していくつもりだ。

 

次いで、腕を組んで壁にもたれていた男が割り込んでくる。

マーク・ギルダー少尉。

 

この部隊の副長であり、俺がまだ小さな子供だった頃から知っている男だ。年齢は俺より少し上。口の悪さと態度の悪さは筋金入りだが、パイロットとしての腕と、危機的状況における判断力だけは確かなものがある。

 

「副長のマーク・ギルダー少尉だ。カリス様以外の連中は、俺の指示にも従うように。特に、坊ちゃんを過保護に甘やかす連中は、戦闘中だけは俺が後ろから睨みつけるからな」

 

「おい、マーク」

 

「事実を短くわかりやすくまとめただけです、少尉。これ以上長く説明したら、もっと酷い言葉を選ぶことになりますからね」

 

「その説明能力は、味方に向けるな。通信を開いて敵に使え」

 

上質な空気だ。極度の緊張で体が強張ってしまうよりは、こうして笑い合えている方がずっと生存率に繋がる。笑える余裕があるうちは、まだ人間の心は壊れていない証拠だからだ。まあマークの受け売りだけどな。

 

「エリス・クロード曹長であります。フロートニック家の名に恥じぬよう、最後まで戦い抜く所存です。少尉の背中は、このエリスが必ずお守りいたします」

 

「頼もしいな。ただし、俺の背中を守る前に、自分自身の命を最優先に考えてくれ。名家の名誉なんかより、五体満足で生きて帰ることの方がずっと重要だ」

 

「もちろんです。必ず生還したうえで、家の名誉も完璧に守り抜いてみせます」

 

「欲張りだな。いいことだ」

 

日頃から真面目すぎる人間がふとした瞬間に笑みを見せると、こちらまで得をしたような気分になる。おそらく、戦場という極限状態においては、こういうささやかな心の揺らぎが、正気を保つための命綱になるのだろう。

 

「エターナ・フレイル曹長よ。まあ、お互い適当に、死なない程度に頑張りましょう。よろしくね、坊ちゃん?」

 

「出たな、坊ちゃん呼び二人目。お前たちの目には、俺の襟元の階級章が見えていないのか」

 

「ちゃんと見えているわよ。だから、少尉って呼んでほしい時は、相応の少尉らしい顔をしてくれる?」

 

「今の俺は、少尉らしくない顔をしていると?」

 

「初陣を前にして『女が多いな』なんて間抜けな顔をしている時点で、まだまだ青い坊ちゃんね」

 

いや、完全に図星だから、一言も反論できない。

 

そう、改めて見渡すと、この部隊はやたらと女が多い。しかも、揃いも揃って目を惹く容姿をしている。

 

これはただの偶然なのだろうか。いや、偶然にしてはあまりにも確率が偏りすぎている。実家であるフロートニック家の人事採用担当者が、いったい何を基準にして人材を選別しているのか、一度じっくりと膝を突き合わせて問い詰めてみたいところだ。

 

もしかすると、名家に生を受けたがゆえの、俺の生まれ持った徳というやつが引き寄せた結果なのかもしれない。

 

……違うな。今のはただの思い上がりだ。実戦を前にして何を浮かれているんだ、俺は。

 

「少尉、今、かなり失礼なことを考えていませんでしたか?」

 

オペレーターというものは、レーダーの波形だけでなく、他人の心の動きまで索敵できるというのか。電波を阻害するミノフスキー粒子よりも、よほど厄介な存在だ。

 

「何も考えていない。俺はただ、部隊編成上の人員の偏りについて、極めて純粋な軍事的観点から検討を行っていただけだ」

 

「なるほど。ではその立派な軍事的観点とやらを、後で詳細な報告書にまとめて提出してくださいね」

 

「却下だ。最高機密事項として封印する」

 

自動扉が開き、艦長のゼノンが姿を現した。

 

俺がまだ幼かった頃、屋敷の庭で高い木に登ったはいいが降りられなくなり、泣きそうになっていた時、何も言わずに梯子を持ってきてくれた男でもある。

 

彼の目から見れば、俺は今でも「木に登って降りられなくなった手のかかる子供」として扱われる危険性を孕んでいるということだ。

 

「艦長」

 

「カリス様。いよいよ初陣でございますな。くれぐれも、お命を大切になさってください」

 

「ゼノン、頼むからその呼び方はよしてくれ。今の私は、ただの一介のモビルスーツパイロットにすぎない。『様』付けで呼ばれるザク乗りなんて、連邦の連中に通信を傍受されたら大笑いされるぞ」

 

「はっ、左様でございましたな」

 

このオンとオフの切り替えの速さには、舌を巻く。俺もぜひ見習いたいものだ。俺の場合、「名家の坊ちゃん」から「部隊を率いる少尉」へと精神を切り替えるために、いちいち周囲の人間からの突っ込みという協力が必要になる。

 

「我々の作戦目的は、ルウム宙域における完全な宇宙優勢を確保するための、連邦主力艦隊の撃滅である。ミノフスキー粒子散布下での、歴史上初となる大規模艦隊戦となる」

 

「連邦軍は、我々をはるかに凌駕する圧倒的な物量を誇っている。投入される艦艇数、兵員の規模、そして補給能力。いずれも決して侮ることはできん。だが、連邦艦隊の戦術は、いまだ艦砲射撃による旧来の遠距離戦に重きを置いたままだ。有視界戦闘を強要されるミノフスキー粒子下においては、奴らの目と耳は著しく機能不全に陥る。その死角に、我らが誇るモビルスーツ部隊が深く入り込む」

 

「諸君らMS部隊が、旧態依然とした戦術にしがみつく連邦の戦艦どもに対し、モビルスーツという新兵器の絶対的な優位性を証明してくれることを、私は願うものである」

 

「願う、ですか。鬼の艦長にしては、ずいぶんと温情のある言い回しですね」

 

俺が少しだけ茶化すように言うと、ゼノンはわずかに口角を引き上げた。

 

「軍の命令として下すのであれば、『敵艦を沈めよ』となります。ですがカリス少尉、これから初陣へと向かう若者たちへ送るはなむけの言葉としては、『願う』とする方が、まだ幾分か人間らしい響きを残せるかと思いましてな」

 

「なるほど。では、その人間らしい願い、確かに受け取っておきます」

 

「ただし、ひとたび戦端が開かれた後は、人間らしさなどという甘い感傷に溺れませぬよう。一瞬の迷いは、即座に自らの死に直結しますぞ」

 

「その忠告も受け取っておきます。ただ、少しばかり荷が重いので、半分はマークの背中に押し付けておくことにします」

 

「勝手に他人に重い荷物をねじ込まないでくださいよ、少尉。俺の背中には、すでにこの部隊全員の面倒という特大の荷物が乗っかってるんですから」

 

「頼りになる副長は、色々と苦労が絶えないな」

 

「その苦労が、来月の給料の額面にしっかり反映されるなら我慢もしますけどね」

 

「生きて帰還できたら、人事権を持つ父に強く進言しておこう」

 

「よし、今の言葉、全員聞いたな。お前らが証人だぞ」

 

ゼノン…いや、艦長も、この私語を咎めようとはしない。むしろ、これくらいの余裕があった方がいいと思っているような、穏やかな顔つきだ。

 

「各機は母艦を発進後、直ちに指定のポイントへ展開。我らフロートニック隊は前線の外縁部から突入し、味方主力艦隊のための進路を切り開く。くれぐれも、単機での深追いは厳禁だ。敵艦の撃沈数よりも、部隊の生還を最優先とせよ。確実に撃てる敵だけを撃ち、回避困難な危険からは即座に離脱しろ。諸君らが、無理をして英雄になる必要はない」

 

「艦長、それはジオン公国軍の士官がぶつ演説としては、少しばかり地味すぎやしないか」

 

「派手なだけの演説では、味方の艦も部下の命も守れませんからな。坊ちゃ……少尉」

 

「今、かなり危ないラインを踏んだな」

 

「老いというものは、時として不用意に口を滑らせるものです」

 

「随分と便利な言い訳を見つけたものだ」

 

うん。俺の部隊は、たぶん大丈夫だ。

「たぶん」という不確定な言葉がどうしてもつきまとってしまうあたりが、戦争という現実のひどく嫌なところではあるが。

 

「ブリーフィングは以上だ。各員、直ちに戦闘配置につけ」

 

「了解!」

 

俺が貴族としての徴兵免除の特権を自ら蹴り飛ばし、士官学校の正規課程すら金の力で強引にすっ飛ばして少尉の座に就いたという事実をすべて知ったうえで、それでも俺の背中を守ると言ってくれる。

 

金の力で任官した、お飾りの士官。

そう後ろ指を指されれば、完全には否定できない自分がいる。フロートニック家という後ろ盾がなければ、俺が今ここに立っている経緯も、階級も、まったく違ったものになっていたはずだ。

 

だが、だからこそ、俺は前線に出ることを選んだ。

……いや、本心を掘り下げれば、そこまで高潔で立派な理由ばかりでもない。その理由はおいおい話すこととして‥。

 

 

ここで連邦の宇宙艦隊を壊滅させれば、さしもの連邦政府も完全に心が折れ、早期の降伏交渉に応じるのではないか。

 

勝てば、これ以上の無意味な大量死を食い止めることができる。

誰もが、そう思いたがっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

『カリス機、出撃シーケンスを開始。生命維持装置、暗号通信、推進系ジェネレーター、すべてグリーン。少尉、こちらブリッジです。聞こえますか?』

 

インカムから、ルナのクリアな声が飛び込んでくる。その普段と変わらない明るい声色が、閉塞感をわずかに和らげてくれた。

 

「感明瞭。聞こえている。こちらも各系統のチェック完了、異常なし。俺の心拍数が跳ね上がっていること以外は、すべて正常だ」

 

『少尉の過度な緊張は、パイロットの正常項目として処理しておきますね。死線を前にした初陣でまったく緊張しないような人は、精神的な意味で要注意人物ですから』

 

「軍医気取りの診断だな、曹長」

 

『お褒めにあずかり光栄です。前方カタパルト、進路クリア。カリス機、発進どうぞ!』

 

家のシミュレーターで、吐くほど繰り返した基本動作だ。

だが、実機がもたらすプレッシャーは、バーチャルのそれとは決定的に違う。

 

安全なコンソールの画面の中でゲームのように死ぬのと、冷たい現実の宇宙空間で自らの肉体が消滅するのとは、根本的に次元が違うのだ。たぶん、どれほど優秀なシミュレーターの教官であっても、この死の匂いだけは絶対にプログラムで再現できないだろう。

 

「カリス・ジークフリード・フロートニック、ザク、出るぞ!」

 

強烈な衝撃と共に、機体が漆黒の宇宙へと撃ち出される。

 

「ぐっ……おおッ!」

 

シミュレーターとは違う。いや、本当にまったく別物じゃないか。

訓練で加速の感覚に慣れておけば実戦でも問題ない、などと得意げに語っていた家庭教師はどこのどいつだ。今度顔を合わせたら、絶対に一番高い高級酒を奢らせてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加速のGが抜け、視界が一気に開けた。

果てしなく広がる、漆黒の星の海。

 

「やっぱり、シミュレーターとはGの掛かり方がまるで違うな……。それに、空間が広すぎて焦点が定まらない。どこに注意を向ければいいか、一瞬分からなくなる」

 

『おいおい、カリス少尉。あんまりキョロキョロと首を振りなさんな。初めて町に出てきたお上りさんみたいに見えて、みっともないですぜ?』

 

「まあそう言うなよ、マーク。何もない宇宙空間で、巨大な鉄の塊を自分の手足のように動かしているこの感覚に、少しばかり感動しているところなんだから」

 

『そういうポエムじみた感動に浸るのは、五体満足で母艦に帰ってからベッドの上でやってください。メガ粒子砲は、坊ちゃんの豊かな感性が満たされるのをお行儀よく待っててはくれませんよ』

 

「分かっているさ。あと、今の『坊ちゃん』呼びで減点一だ」

 

『じゃあ、無事に生還した後にでも、正式な採点表をいただけますか?』

 

「赤点の不合格なら、みっちり補習を受けさせるからな」

 

『その補習内容が、危険手当の増額に繋がるっていうなら喜んで受けますよ』

 

軽口を叩き合いながら、俺たちの小隊は作戦図で指定された展開ポイントへと急ぐ。

エリス機が俺の右斜め後方、エターナ機が左斜め後方をしっかりと固めている。綺麗な楔形の陣形は、推進中もまったく崩れる気配がない。

 

部隊としての初陣にしては、上出来すぎるほどの仕上がりだ。

 

いや、いくら初陣とはいえ、彼らはフロートニック家の私兵時代から、デブリ回収用の小型艇や重作業機械の操縦で徹底的に腕を磨いてきた連中だ。操縦桿を握るのが初めての、完全な素人というわけではない。

 

「エリス、そっちの機体の調子はどうだ」

 

『計器類、すべて問題ありません。推進系の反応も訓練時より良好なくらいです。ただ、実戦空域における電波ノイズの干渉は、事前の想定よりもかなり深刻です』

 

「了解した。もし通信が完全に途絶した時は、事前に決めておいた発光信号と機体の挙動の合図通りに動け。ノイズ交じりの音声を無理に拾おうと気を取られて、正面への警戒をおろそかにするなよ」

 

『了解です。少尉こそ、戦場で珍しいものを見つけたからといって、勝手にフラフラと寄り道しないでくださいね』

 

「……俺の部下たちは、今日一日だけでずいぶんと上官に対する遠慮というものを忘れたようだな」

 

『身内しかいない部隊ですので、気兼ねは不要かと』

 

確かに、ブリーフィングルームで身内しかいないから格式ばるなと最初に口火を切ったのは俺自身だ。

 

「エターナ、そっちの状況はどうだ」

 

『こちらも各部異常なし。それにしても、星の海って本当に綺麗ね。これで戦争さえ起きていなければ、少尉を適当にからかいながら歩くには、最高の散歩道なのだけれど』

 

「どうして最初から、俺をからかう前提で計画を立てるんだ」

 

『だって、少尉はいじりがいがあって反応がいいんですもの。凝り固まった緊張をほぐすには、手近で娯楽が必要でしょう?』

 

「言っておくが、俺はお前の暇つぶしのための娯楽品ではないぞ」

 

『あら、失礼。でも、高価なブランド品のタグが付いた高級品ではあるわよね』

 

「……妙に否定しにくい嫌な表現を使うな」

 

『お前ら、初陣でそれだけ口が回る余裕があるのは大いに結構だが、そろそろ第一展開ポイントに入るぞ。無駄口を叩く暇があったら、カメラの死角に目を配れ。特に少尉、さっきも言われた通り、戦場で変なものを見つけたからって、絶対に自分から首を突っ込むなよ』

 

「耳にタコができるほど分かっている。お前は俺のことを、一体なんだと思っているんだ」

 

『持ち前の無駄な好奇心で、わざわざ一番高価な地雷を自分から踏み抜きに行くタイプの坊ちゃんです』

 

「よし、これで減点二だ」

 

その時だった。

メインモニターの視界の端を、猛烈な速度で何かが横切った。

 

――速い。

機影のシルエットは、味方のザクⅡだ。だが、通常のパイロットが操る機体とは、根本的に機動の質が違う。

 

スラスターの噴射タイミングが異常なほどアグレッシブで、姿勢制御のベクターノズル操作に一切の迷いが見られない。

 

なにより、その機体の塗装の色が、宇宙の闇の中でとんでもなく異彩を放っていた。

深紅。

 

まるで血を浴びたように、鮮やかで真っ赤なザクだった。

 

「……ん? おい、あそこを見てみろよ。真っ赤に塗られたザクがいるぞ」

 

『本当ですね。随分と隠蔽性を無視した派手なカラーリングです。あんな色では、いざ乱戦になった時、真っ先に集中砲火の標的にされると思いますが』

 

『ふふっ。たぶん、自分の操縦技術によほどの絶対的な自信があるのよ。じゃなきゃ、ただの命知らずな目立ちたがり屋のバカね』

 

「戦場で、わざわざ機体を個人のパーソナルカラーに塗りたくるなんて、どうにも気に入らないな。こっちは支給された標準色のままで地味に堅実にやっているというのに、あちらさんは随分と自己主張が激しすぎる」

 

『少尉、親の七光りを背負った貴族の長男様が、その台詞を言いますか』

 

すかさず飛んできた突っ込みが、みぞおちに痛い。

 

たしかにフロートニック家の長男という目立つ肩書き自体が、ジオン社会における強烈なパーソナルカラーのようなものだ。

 

だが、それと軍の兵器を真っ赤に塗り上げる悪趣味とは、まったく別の話だ。たぶん別だ。今はそういうことにして思考を打ち切っておく。

 

「よし、ちょっとあの赤い機体をからかってやるか」

 

『おい待て少尉! いかに戦闘前とは言え、ここはもう立派な最前線の戦場だぞ。ふざけてる場合じゃない!』

 

「大丈夫だって。味方の所属確認だよ、所属確認。乱戦時の誤射を防ぐための、極めて軍事的に必要な正当な行為だ」

 

『あんたがそういうもっともらしい言い訳をする時は、だいたい後先考えない時だ!』

 

自分でも、かなり調子に乗った真似をしているという自覚はある。

 

おそらく、初陣への恐怖と極度の緊張を、あの目立つ赤い機体にちょっかいを出すことで、無意識に紛らわそうとしているだけなのだろう。

 

『おい、そこの目立つ赤いザク。現在地は、我々フロートニック隊の作戦展開ポイントである。直ちに所属部隊と官姓名を述べよ』

 

いや、新任とはいえ俺は少尉だ。相手が下士官の兵卒であれば、上官として当然の態度だ。相手が同階級の少尉であっても、まあ許容範囲だろう。

 

万が一、相手が自分より階級の上の上官であった場合は、ものすごく気まずい空気になるが。

 

『――宇宙攻撃軍所属、シャア・アズナブル中尉であります』

 

中尉。

俺より、階級が一つ上だ。

完全に、やってしまった。

 

『あー……これは、大変失礼いたしました、中尉殿』

 

自分でも情けないほど、喉から出た声が引きつって固くなっているのが分かる。

 

俺は今、己の愚行によって、部隊全体に極上の娯楽を提供してしまったのだ。

ちっとも嬉しくない。

 

『お気になさるな』

 

シャア・アズナブル中尉という男は、音声だけで微かに笑っているように聞こえた。いや、コックピットの中で実際に口角を上げているのかもしれない。

 

ただし、その声色に込められた笑いは、決して友好的な親しみによるものではない。

 

『いやしかし、まさかこのような過酷な最前線で、やんごとなき名家の方にお会いできるとは光栄です』

 

『……ん? なぜ、あなたが私の名前を?』

 

『いえ。フロートニック家の御長男が、わざわざ徴兵免除の特権を蹴り飛ばしたうえに、士官学校の訓練すら飛び越えて、ご実家の金の力で少尉に任官されたという興味深い噂を耳にしましてね。てっきり、後方の安全な基地の奥深くで、真新しい軍服を着て兵隊ごっこで遊んでおられるものとばかり思っておりました』

 

言葉遣いは丁寧だ。

反論の隙を与えないほど、完璧に礼儀正しい。

そして、虫酸が走るほど、ものすごく嫌な刺し方をしてくる。

 

よくもまあ、これだけ短い通信時間の中に、ここまで高密度の嫌味な単語を綺麗にパッキングできたものだ。こいつは嫌味の収納の達人か何かか。

 

『……随分と、棘に満ちた物言いをなさる。ご丁寧な忠告、痛み入りますよ』

 

『お気になさらず。私の耳に入った噂が事実かどうかは、これから始まる実戦の中で証明されることでしょうから』

 

『中尉殿こそ、戦場には不釣り合いなほど目立つ色の機体に乗っておられる。こちらから見れば、自分から敵の標的になりたがっている狂人にしか見えませんがね』

 

『戦術上、意図的に敵の目をこちらへ惹きつける必要がある場面も存在します』

 

『大した自信家だ』

 

『自らの腕に自信がない臆病者ほど、戦場では虚勢を張って声が大きくなるものです。私はただ、勝利のために必要なことをこなしているだけですよ』

 

これではまるで、最初に大声で呼び止めた俺が自信のない臆病者だと遠回しに指摘されたようなものじゃないか。

 

……いや、実際に声は大きかった。不特定多数が聞いているオープン通信で、勘違いも甚だしく偉そうに呼び止めたのだ。

 

『少尉、頼むからもうその辺で切り上げてください。これ以上相手の土俵に上がると、一発も撃つ前に、舌戦だけで心をへし折られて撃墜扱いになります』

 

『では、シャア中尉。そちらの武運を祈っております』

 

『ありがとうございます、フロートニック少尉。貴官にとって、記憶に残る良き初陣となることをお祈りしておりますよ。――死なない程度に、ね』

 

通信が途絶した直後、赤いザクが爆発的な勢いでメインスラスターを吹かした。

 

速い。

とてもじゃないが、標準的なザクⅡが出せる機動ではない。

 

リミッターを解除して推力を極限まで引き上げているのか。

 

「……なんだあいつは。やけに人の神経を逆撫でする、癪に障る野郎だ。あの大口が、口先だけのハッタリじゃなきゃいいがな」

 

『少尉、今のセリフは、三流の悪役が吐く負け惜しみにしか聞こえませんよ』

 

エターナの含み笑いが、インカム越しでも腹立たしいほど楽しそうだ。

 

「うるさい。俺は単に、所属不明機に対する正当な事実確認を行っただけだ」

 

『その事実確認の結果、相手は階級が上で、人を小馬鹿にする嫌味が天才的に上手くて、おまけに機体の操縦技術もたぶん化け物クラスだと判明しました。初陣の事前偵察としては、十分すぎる収穫ですね』

 

「エターナ、確認するが、お前は俺の味方だったよな?」

 

『味方だからこそ、こうして厳しく言ってあげているのよ。本当の敵になら、油断させるためにもっと優しく接するわ』

 

「……つくづく、怖い女だな」

 

『褒め言葉として受け取っておくわ』

 

『少尉。先ほどのシャア中尉という人物、危険な感じがします。言葉による挑発の問題だけではなく、機体の挙動が明らかに異常でした。あの加速速度で、姿勢制御がコンマ一秒すら乱れていませんでした』

 

「ああ、俺の目にも見えた。あれは普通じゃない」

 

『我々もルートを変更して、後を追いますか?』

 

「いや。ああいう得体の知れない奴の背中を不用意に追うと、確実にろくなことにならない。赤いものを見て、我を忘れて突っ込んでいくのは闘牛の仕事だ。俺たちは、誇り高きザク乗りだ」

 

『引き際を見極める、その判断ができるなら安心です。さっきのオープン通信の件を除けば、ですがね』

 

「さっきは、開戦を前に固くなった部隊の士気を高めるために、俺が体を張って提供した余興だ」

 

『その余興のために、見ず知らずの上官にいきなり喧嘩を売るのはやめてください』

 

「善処する。今後の反省課題にしておくよ」

 

ルナから、母艦経由の戦術通信が入る。ブリッジ側にいる彼女の声も少しばかり緊張の糸が張り詰めているが、それでも持ち前の明るさだけは失われていない。

 

『フロートニック隊、こちらブリッジ。作戦宙域周辺のミノフスキー粒子濃度が急激に上昇中。各種レーダーによる遠距離索敵の精度が、規定値を割り込んで落ちています。――前方に、連邦艦隊の前衛と思われる巨大な熱源反応を多数捕捉。予測進路に急速接近中です』

 

「了解した。各機、陣形を維持したまま突入態勢に入れ。無駄口はここまでだ」

 

『少尉が一番、回線を占有して喋っていましたけどね』

 

「ルナ、今はそういう指摘はいらない」

 

『了解です。戦闘記録としてログに残しておき、帰還後に報告書としてまとめて提出します』

 

「その報告書の提出先は、副長のデスクにしておいてくれ」

 

『ふざけんな、俺の仕事に回さないでください!』

 

 

 

 

「マーク、エリス、エターナ」

 

『――バッチリ聞こえていますぜ』

 

『――いつでもいけます』

 

『――ええ、指示をどうぞ、坊ちゃん』

 

「気を引き締めろ。連邦の主力艦隊が来るぞ。ここから先は、口先の冗談じゃ済まされない」

 

俺の人生で最初の地獄が、そこで口を開けて待っている。




ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回は、ルウム戦役直前のジオン側オリジナル部隊の初陣を書いてみました。
カリスやフロートニック隊の雰囲気、シャアとのやり取りなど、印象に残った場面があればぜひ感想をいただけると嬉しいです。
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