機動戦士ガンダム 不死鳥戦記 作:だいたい大丈夫
街を歩き、食事をし、二人で笑い合う穏やかな一日。
だが、赤い錠剤は、彼女の痛みだけでなく大切な記憶まで奪い始めていた。
宇宙世紀〇〇七九年、十一月十七日、朝。
目が覚めた。
頭が割れそうだった。
目を開けた途端、頭の奥へ太い杭を打ち込まれたような痛みが走り、思わず枕へ顔を押しつけた。心臓が脈打つたび、同じ場所を何度も内側から殴られる。
昨日はしゃぎすぎたのかな。そんなに夜更かししたつもりはないんだけど。
枕元のアタッシュケースを引き寄せ、赤いケースから錠剤を二粒取り出した。水差しは少し遠い。起き上がるのも面倒だったので、そのまま口へ放り込み、唾だけで飲み下した。
喉を通った直後、頭の中心へ熱が染み込んだ。
あれほど暴れていた痛みが、嘘みたいにほどけていく。灰色に霞んでいた視界が明るくなり、シーツの白さも、窓から差し込む朝日の粒も、ひとつひとつはっきり見えた。
「ふぅ……すっきり!」
両腕を伸ばすと、肩から背中まで気持ちよくほぐれた。頭も体も軽い。さっきまで起き上がれなかったことの方が、夢だったみたいだ。
最近の朝は、いつもこうして始まる。
カリス様もマーク少佐も、私が薬を飲むたびに難しい顔をする。何を心配しているのか分からない。フラナガン機関へ行く前は、二人が考えていることなんてほとんど分からなかったのに、今は言葉にされなくても伝わってくる。
私の力は、ちゃんと強くなっている。
そうだ。昨日はカリス様のお屋敷に泊まったんだ。
ふと横を見ると、シーツから覗く少年らしい肩。
シェルドが気持ちよさそうに息を立てて眠っている。
私? もちろん、服なんて着てない裸だよ?昨日の夜、私たちが何をしていたのかって? ふふっ、それを野暮に聞かれちゃあ困るなぁ。年頃の健全な男女がすることに決まってるじゃない!
私はクスクスと笑いながら、シェルドのキュッと引き締まった腹筋を指先でツンツンと突いた。マリオンに教わったスキンシップだ。
「ん……おはよう、マリア姉さん」
「おはよう! シェルド! 昨日は久しぶりに燃えたね〜〜っ! お姉さん、もう腰が砕けそうだよ!!」
「ね……っ、姉さんっ!? 声が大きいですよ……ッ!」
目を擦りながら笑うシェルドへ抱きついた。寝起きなのに、ちゃんと受け止めてくれる。細いと思っていた体も、以前よりずっと硬くなっていた。私がいない間も、訓練を続けていたんだろう。
やっぱり可愛いなあ、私の彼氏は。
後頭部に痛みが走った。
さっきより強い。頭の中へ万力を入れられ、ゆっくり締め上げられているみたいだった。息を止めてやり過ごそうとしても、痛みは首筋まで降りてくる。
せっかくシェルドと一緒なのに、こんなものに邪魔されたくない。
ケースから、もう一粒。
「姉さん、それ……」
シェルドが何か言いかけたけれど、錠剤はもう喉を通っていた。
脳の奥で、桃色の花が弾けた。
体がふわりと軽くなり、胸の中まで甘く温まっていく。痛みは消えた。今度は朝日が私だけを照らしているように見えた。
「うん。なんか、すごく幸せ」
「……頭、まだ痛むの?」
「もう平気。それより、今日はどこへ行こうか。前に雑誌で見つけた場所、覚えてる? せっかくズム・シティにいるんだから、二人で行ってみようよ!」
「うん。姉さんが行きたいところなら、どこでも付き合うよ」
その言葉だけで、もっと幸せになれた。
◇◇
着替えて部屋を出ると、回廊の向こうからニキさんが歩いてきた。
「あっ、ニキさん! おはようございます!」
「おはようございます、オーエンス少尉。体調はいかがですか?」
「絶好調です! 今日はシェルドと街へ出ようと思っているんですけど、いいですか?」
ニキさんから、悲しいような、怒っているようなものが伝わってきた。
私に向けられている感じではない。何か流れ込んできた気がしたけれど、すぐに遠ざかってしまった。
「本日付で、貴女の不死鳥隊への原隊復帰が正式に決まりました。本国滞在中は、しばらく休暇となります。羽を伸ばしていらっしゃい」
「やったあ! ありがとうございます!」
不死鳥隊へ帰れる。
カリス様たちと、また一緒に戦える。
フラナガン機関で頑張ったことは、無駄じゃなかったんだ。もっと戦って、もっと敵を倒せば、今度こそカリス様の役に立てる。
「そうだ、ニキさん。ズム・シティのお店には詳しいですか?」
「当主様のお供で外食することもございますから、それなりには」
「夕飯をどうしようか悩んでいるんです。恋人同士で行くような、雰囲気のいいお店を知りませんか? ニキさんは大人の女性だから、そういう特別なお店をたくさん知っていそうで」
ニキさんの顔が固まった。
「うぐっ……」
「ニキさん?」
「い……いえ!! な、何でもありません!!」
「そ、そんな、外の得体の知れない店に頼むより……ウチの専属シェフの方が100倍腕がいいです!! こ……この屋敷の広大な庭園に、最高にロマンチックな特別席を確保いたしますから、夕方には必ず帰っていらっしゃい!! いいですね!?」
「わあっ! 本当ですか!? ありがとうございます、ニキさん!」
ニキさんは早足で去っていった。
その背中から、隠しきれない声が流れ込んでくる。
恋人同士が行く店など知るはずがない。二十三年間、当主様とカリス様に仕えることしか考えてこなかったのだから。
やっぱり、ニキさんにも知らないことがあるんだ。
今度、私がいいお店を見つけて教えてあげよう。そう思ったらおかしくなって、シェルドと二人で笑った。
◇◇
雑誌で見た通り、街の展望区画から眺めるズム・シティはきれいだった。
頭上にはコロニーの反対側に広がる街並みがあり、窓の向こうには星が見える。
故郷のサイド2にいた頃には、こんなに明るい場所でシェルドと並んで歩けるなんて思わなかった。
私たちは店を見て回り、焼きたての菓子を半分ずつ食べた。シェルドの頬にクリームが付いたので指ですくうと、周りの目を気にして真っ赤になった。
戦場では砲撃にも怯まないのに、こういうことには弱い。
途中で見つけた服を、お互いに一着ずつ選んだ。シェルドが選んでくれた上着は少し子供っぽかったけれど、似合うと言われたので買った。
会計を済ませたところで、店員の顔が黒く潰れた。
目も鼻もない影が、口だけを開けて私を見ている。
瞬きをすると、愛想のいい女の人へ戻っていた。
「姉さん?」
「ううん、何でもない。次はあっちへ行こう!」
少し頭が痛くなったけれど、薬は飲まなかった。シェルドがずっと私の手を握っていたから、それだけで平気だった。
二人で写真も撮った。仕上がった写真の私は笑っていた。隣にいるシェルドも笑っている。それなのに、見ているうちに、写真の中の二人が知らない人に思えた。
私たちなのに。
どちらが私だったか分からなくなった。
「姉さん、この写真、俺が持っていてもいい?」
「もちろん。なくさないでよ?」
シェルドの声を聞くと、変な感じはすぐに消えた。
屋敷へ戻ると、庭園の一角に二人分の席が作られていた。木々の間に小さな照明が置かれ、白いテーブルには料理が並んでいる。
ニキさんが自分の知識だけで考えたのだと思うと、立派な飾り付けまで何だか可愛らしく見えた。
「すごいな。こんな所で食べて、俺たち、大丈夫かな」
「大丈夫だよ。カリス様の家なんだから」
料理の名前は難しくて覚えられなかった。シェルドは値段を気にしながらも、全部きれいに食べた。私はそんな横顔を眺めているだけで楽しかった。
何度か、遠くで人が泣く声が聞こえた。
庭園には私たちしかいない。上を見ても、夜空が広がっているだけだった。
「どうしたの、姉さん?」
「空が、少しうるさくて」
シェルドは空を見上げたあと、心配そうに私を見た。
「何も聞こえないよ」
「じゃあ、私にしか聞こえないんだね。やっぱり、ニュータイプになったんだ」
そう言うと、シェルドは笑わなかった。
◇◇
夜になり、私たちはゲストルームの前で足を止めた。
「今日は楽しかったね、シェルド」
「うん。姉さんが前みたいに笑ってくれて、俺も楽しかった」
前みたいに。
今の私も、同じように笑っているのに。
聞き返す前に、シェルドの唇が私の唇へ短く触れた。手を握る力も、離すときの名残惜しさも伝わってきた。
「愛してるよ、シェルド。また明日ね」
「おやすみ、マリア姉さん」
部屋へ入って扉を閉じても、しばらくその場から動かなかった。廊下を遠ざかる足音が消えるまで待ってから、ようやく息を吐いた。
楽しかった。
今日は、本当に楽しかった。
◇◇
汗を流し、寝間着へ着替えてベッドに倒れ込んだ。
「今日は楽しかったなあ……」
天井の模様を目で追う。
私は幸せだ。
すごく幸せだった。
なのに、どうして幸せだったんだろう。
街へ行った。誰かと一緒に歩いた。何かを食べて、きれいな景色を見た。
それから……………………何をしたんだっけ?
「あれ……?」
買った上着が椅子に掛かっている。自分で選んだ色ではない。でも、誰が選んだのか思い出せなかった。
机には二人で撮った写真がある。
私の隣に、知らない少年が写っていた。
笑っている。
誰が?
私が。
誰に向かって?
「おかしいな……あの子、誰だっけ……」
大切な人だった気がする。名前を知っていた。ついさっきまで呼んでいた。
思い出そうとするたび、頭の中へ白い霧が広がった。街の光も、料理の味も、唇に残っていた温かさも、色を失って沈んでいく。
代わりに、白い壁と拘束具と、薬を持った誰かの手が浮かんだ。
違う。
今日は幸せだった。
あそこにはいなかった。
今日は――。
痛みが来た。
頭の奥を何かが殴りつけ、息が止まった。二度、三度と続き、視界が真っ赤に染まった。
「いたっ……痛い、痛い……!」
薬を飲まないと。
ベッドから落ちるように床へ降り、アタッシュケースまで這った。指が震えて、ロックを一度で外せない。爪を引っかけ、何度も滑らせ、ようやく蓋を開けた。
服も私物も入っていない。
緩衝材の中を、赤い錠剤のシートが埋め尽くしていた。
「あった……おくすり……」
シートを破る。二粒では足りない。三粒でも消えなかったんだから、もっと飲まないと効かない。
一枚。もう一枚。
吐き出さないように両手で口を塞ぎ、歯で噛み砕いた。苦い粉が舌へ貼りつき、唾液と一緒に喉を焼いた。
「ん……あは……はは……」
頭の中で何かが爆発した。
痛みが消えた。体が浮き上がり、床へ倒れたはずなのに落ちていかない。天井が波打ち、壁が溶け、その向こうに無限の宇宙が広がった。
星の光が部屋へ降り注ぐ。私の目から入り、頭の中を通り抜け、指先から流れ出していく。
全部見える。
何も分からない。
「あは……すごい。あたま、ひろがる……ひろがってるぅ……」
頬が濡れていた。
悲しくない。こんなに幸せなのに、私が泣くはずがない。
じゃあ、誰の涙だろう。
「あえ……? 空……空が、泣いてるの……?」
宇宙が赤く染まった。
連邦のモビルスーツが迫ってくる。ビームが走る。誰かの機体が爆発する。名前を呼ぶ声、助けを求める声、死ぬ瞬間の声が、一度に頭へ流れ込んできた。
熱い。寒い。怖い。気持ちいい。
殺意と憎しみが混ざり合い、私のものと、誰かのものの区別がつかなくなる。
敵がいる。
敵を殺さないと、みんなが死ぬ。
私が殺せば、褒めてもらえる。
「てき……? 敵、いるの……? ころせば……殺したら、わたし、ほめてもらえるの……?」
人影が背を向けて、宇宙の向こうへ行こうとしている。
置いていかないで。
みんなのように強くならないと、私は不死鳥隊にいられない。もっと遠くを見て、もっと早く敵を見つけて、誰よりもたくさん倒さないといけない。
あの人に必要だと言ってもらわなければ、私は何のためにここまで来たのか分からない。
名前。
名前は、何だった?
カ……カリ……。
「ああ……カリシュさま……っ。わたひ、たたかえまひゅ……! ちゃんと、つよくなりましゅから……いっぱい、ころせましゅからぁ……!」
舌がうまく動かない。言わなきゃ。
ちゃんと言わないと、聞こえない。
「だから……おいて、いかないでぇ……わたひ、いらないこじゃ、ないよぉ……」
誰かの顔が浮かんだ。
朝、隣にいた。街を歩いた。手を握ってくれた。
シェ――。
「しぇ……しぇる……ど……?」
顔が溶けた。
目も、声も、名前も、黒い宇宙へ吸い込まれていく。
ああ、これ。
これがある。
この子は、いなくならない。
飲めば強くなれる。飲めば見える。飲めば幸せ。幸せだから、泣いているのは私じゃない。空。空が泣いてる。みんな死んで、笑って、わたしを呼んでる。
「そ、うだ……わたひは、ふしちょうたい……マリア……マリ、あ……オーエンシュ、しょうい……」
違う。ちゃんと言える。
私は強い。
私は最強のニュータイプ。
「さいきょう、の……にゅーたいぷ……! カリシュさまの、てきを……みんな、みんなころひて……そしたら、ずっといっしょ……えへ……えへへ……」
笑うと、空も笑った。
泣き声が笑い声に変わり、笑い声が悲鳴になって、頭の中いっぱいに広がった。どれが私の声か分からない。分からないことがおかしくて、もっと笑った。
「えは……はは……あは、あはハハハハハハハハッ!」
幸せ。
わたひ、いま、すごく、しあわ――
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回は、原隊復帰が決まったマリアとシェルドの一日、そして赤い錠剤によって進行するマリアの異変を書きました。
二人のデートや、少しずつ記憶が失われていく場面など、印象に残ったところがあれば感想をいただけると嬉しいです。