機動戦士ガンダム 不死鳥戦記 作:だいたい大丈夫
地球降下作戦を前に、彼はガルマと出会い、シャアの影に不穏なものを感じ取る。
そして出発の日、カリスのもとへハマーンが一つの小さなお守りを届けに来る。
はにゃーん様
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聞いて驚け。軍のプロパガンダ部門に勝手に『不死鳥隊』なんていう痛すぎるネーミングをされた俺たちは、ドズル中将の軽すぎるノリの通り、本当に地球方面軍へ転属になった。しかも、今度の大規模な地球降下作戦で最前線に放り込まれるらしい。
上層部から降りてきた作戦の全容を聞いて、素人の俺でも全力でツッコミを入れたくなったね。
まず月面のマスドライバー施設を占拠して、そこから巨大な資源の塊を連邦軍の拠点に向けて隕石みたいにドカドカ落とす。で、防空網がズタズタになったところに、俺たちモビルスーツ部隊が大気圏の摩擦熱を気合いで抜けて直接制圧するって?
……あのさ、言葉にするのは簡単だけど、実際にやったらどれだけの兵士が宇宙の塵や流れ星になると思ってるんだ。想像するだけで胃壁がマッハで削れていくぞ。
そもそも、コロニーの無重力で育った俺に、地球の重力下で二次元的な歩行戦闘をやれってのが無茶苦茶すぎる。シミュレーターでしかやったことないんだよ。足元はぬかるむわ、関節に砂は入るわ、ちょっと油断すれば自重で転ぶ。そんな環境に俺の部下たちを巻き込むなんて、絶対にやりたくない。
◇
もっとも、俺がこの作戦を最終的に引き受けたのには、誰にも言えない海より深く山より高い真の理由がある。
地球の利権をフロートニック家の財力で根こそぎ囲い込み、この泥沼化しつつある戦争の経済基盤をジオン側に傾けて、さっさと戦争を終わらせる。
そして何より、最愛のハマーンをこの戦火や大人たちの陰謀から遠ざけ、安全な世界で守り抜くためだ。
すべてはハマーンの健やかな未来のため。そのためなら、重力に魂を引かれようがなんだろうが構わない。
……決して! ソロモンの廊下で、彼女の実姉であるマレーネさんから極上の笑顔で「最近、カリス少佐の熱っぽい視線が、妹の臀部ばかりを執拗に追っているとお聞きしましたの。一度地球の冷たい土を踏んで、その熱すぎる頭を冷やされてはいかがかしら?」と、背筋が凍りつくような圧力をかけられたからではない!
断じて違う! 俺はそんな不純な動機で動く男じゃない! あの時のマレーネさんの目の奥の絶対零度の光は今思い出しても鳥肌が立つけど、それが決定打ではないと、俺は自分に強く、めちゃくちゃ強く言い聞かせている!
◇◇
場面は変わって、ここはズム・シティの地球方面軍総司令部。
シワ一つない完璧な仕立ての軍服を着た、紫色の髪の麗しい青年が親しげに歩み寄ってくる。
彼こそが、俺の直属の上官になるザビ家の末弟、ガルマ・ザビ大佐だ。テレビのプロパガンダ放送で見るより遥かにイケメンで、軍人というより童話の王子様キャラが現実世界に飛び出してきたのかって風貌だ。
「君が、あの噂に名高いフロートニック少佐か! こうして実際に顔を合わせてみると、本当に若いな! 士官学校を経ずして、ルウムで戦艦を六隻も単機で撃沈せしめたというその武勲、兄上から何度も聞かされているよ。実に見事な戦いぶりだったらしいじゃないか! 我がザビ家とも昔から縁のあるフロートニック家から、君のようなこれほどの英傑が出たこと、兄ドズルに代わって心から歓迎するよ!」
いやいや、初対面なのに十年来の親友みたいな屈託のない笑顔を向けてこないでくださいよ、大佐。俺は慌てて軍の教本通りの完璧な敬礼を返す。
「ガルマ大佐! もったいないお言葉、恐悦至極に存じます。ルウムでの戦果など、たまたま運が良かっただけのことに過ぎません。フロートニック隊改め『不死鳥隊』、ただいま大佐の麾下へと着任いたしました。未熟者ではございますが、これからどうかよろしくお願いいたします!」
堅苦しい挨拶をすると、ガルマ大佐は俺の肩をポンと軽く叩いて、さらに眩しい笑顔を向けてくる。
「ははは、そう固くならないでくれ少佐。年齢も近いことだし、何より我々はこれから共に地球へと降下し、連邦という強大な敵と戦う大切な同志だ。階級の壁を越えて、腹を割って話せる関係になりたいと思っている。地上の戦いでも、君の無敵の翼が必ず必要になる時が来る。期待しているよ」
「……はっ。大佐のその過分なご期待に応えられますよう、このカリス・ジークフリード・フロートニック、身命を賭して全力を尽くす所存です」
ザビ家っていう毒蛇の巣窟みたいな環境で育ったのに、どうしてこの人はこんな無菌室の純粋培養みたいに真っ直ぐ育っちゃったの? 軍のトップとしては警戒心が足りなさすぎて、見てるこっちがハラハラするわ!
「実はね、我が地球方面軍には、君のように頼もしい若き将校たちが次々と集まってきていてね。私としても非常に心強い限りなのだ。そうだ、君にはぜひ、私の士官学校時代からの無二の親友である……シャアにも紹介してやりたいな。あいつもまた、君に勝るとも劣らない、稀代の天才パイロットなのだよ」
「…………あの、ご親友というのは、もしかしてあの赤い機体を駆る、赤い彗星と呼ばれるお方、ですか。実は彼とは、ルウムの戦場で、通信にて一度だけ直接言葉を交わしております。随分と……個性的で、自分の腕に絶対の自信に満ち溢れた、非常に優秀な中尉殿でした」
「おお、そうなのか! すでに戦場で言葉を交わしていたとは、やはり優秀な者同士は惹かれ合う運命にあるのだな! 実はあいつも、ルウムでの戦功が認められて、この度少佐へと特進を果たしたのだよ。君たちのような若き英雄が二人も私の部隊に揃うとは、まさにジオンの未来は明るいと確信している!」
自分の親友の出世を我が事のように喜んでるけど。
「……………ええ、そうですね。まったく、明るすぎて戦後のジオンの未来が真っ暗になりそうなほど、目が眩みそうです。頼もしい限りであります」
シャアの奴も少佐かよ!
ガルマ大佐、あんたのその人を疑わない純粋さは、この過酷な戦場じゃ致死率百パーセントの特大死亡フラグだからな! あんたが死んだら、地球方面軍の指揮系統は崩壊して、俺の『地球の利権を掌握して戦争を終わらせる』っていう完璧な生存戦略が根底から崩れ去るんだよ!
俺とハマーンの平和な未来のためにも、あんたには絶対に死なれては困る。
◇◇
そんな胃が削れるやり取りから数日後。
俺は今、ズム・シティの煌びやかなネオンが輝く繁華街のど真ん中にいる。
「カリス!! こっちこっち!! 早くしないと置いていっちゃうからね!」
目の前を、私服姿のハマーン・カーンが俺の腕を力任せに引っ張りながら小走りしている。
「お、おい! ちょっと待ってくれよハマーン、そんなに強く袖を引っ張るな! 生地が伸びてしまうじゃないか!」
「もう、早くしないとダメなの! ここのお店の限定マカロンはね、お昼を過ぎたらすぐに売り切れてなくなっちゃうんだから! ほらカリス、大人のくせに足が遅すぎるわよ!」
そう、地球への出発が迫る中、俺は非番を利用して、はにゃーん様との好感度パラメーターを極限までカンストさせるべく、ズム・シティ中を連れ回すデートクエストをこなしているのだ!
この天使のような笑顔を側で守れるなら、地球の重力だろうが連邦の新型だろうが安いもんさ。
そして到着したのは、ズム・シティでも一、二を争う超高級スイーツ店。
大理石のショーケースには宝石みたいなケーキや洋菓子がズラリ。ハマーンは目を輝かせて品定めし、色とりどりのマカロンの詰め合わせとケーキをカウンターへ。
「お会計、三万五千マルクとなります」
えー……さんまんごせんマルク。……高すぎるだろ! ただの砂糖と卵白の塊だぞ!? この金額があれば、ザクのメインカメラの予備ペリスコープが買えるじゃないか! 公国軍少佐の月給をピンポイントで殺しにきてる価格設定だな!
俺が財布と金額を見比べて冷や汗を流していると、ハマーンが不思議そうに上目遣いで覗き込んでくる。
「カリス? どうしたの? 急に黙り込んじゃって。もしかして、お金、足りないの? だったら私、少し減らしてもいいけど……」
その純粋で心配そうな瞳に見つめられた瞬間、俺の脳内細胞が「ここで引いたら男が廃るぞ!」と猛烈なアラートを鳴らす。
「まさか! そんなわけないだろう! この不死鳥隊の隊長であり、天下のフロートニック家の御曹司である俺の財力を舐めてもらっては困るな! お姉さん、こちらでお願いします!!」
顔面に最高に紳士的で余裕たっぷりのキメ顔を強力接着剤で張り付け、軍提携のゴールドカードをリーダーが割れるほどの勢いで叩きつける。
今月の給料の大部分が消え去った音がした気がするが、ハマーンの喜ぶ顔が見られるなら、これは必要経費、いや最高のリターンを約束された投資なのだ。
「んーっ! 美味しい……! すごく甘くて、なんだか宇宙の星屑の味がするわ!」
幸せそうな感想に、三万五千マルクの価値があったと己を納得させる。
「それは良かった。……なぁ、ハマーン。実はさ、俺、二月の終わりには、作戦のために地球に行くことになってるんだ」
「…………地球に? カリスが、あの重力の底へ行くの? いつ、こっちに帰ってくるの?」
声のトーンが目に見えて一段低くなったぞ。
「……必ず帰ってくるさ。この戦争の決着への道筋をつけたら、すぐにな。長居するつもりはないよ」
「でも、戦争なんでしょ? お姉ちゃんが言ってたわ。重力の底へ降りていった兵士たちは、そのまま大気圏の摩擦熱で機体ごと燃え尽きたり、地上の泥に深く埋もれて、二度と宇宙へは帰ってこない人がたくさんいるって……」
俺がいなくなること、死ぬかもしれないことに恐怖を感じてくれている。その事実が、俺の心を猛烈に温かくする。
「大丈夫さ、ハマーン! 全く心配いらない! なぜなら、俺の死に場所は、世界でただ一つ、ハマーンのその腕の中と最初から決まっているからだ! ということは、論理を逆説的に考えれば、俺は地球の泥水の中や連邦軍の大砲なんかでは絶対に死ぬ運命にはないということになる! むしろ、今の俺は因果律のレベルで無敵だと言っても過言ではない!」
だが、ハマーンから返ってきたのは、道端の生ゴミを見るような絶対零度の視線だった。
「………そう……。なるほどね。じゃあ、カリスが地球で直撃を受けて、内臓を辺りにぶちまけるような手遅れの深手を負ってギリギリで宇宙へ帰ってきて、それを可哀想に思った私がうっかりあなたを抱きしめてしまったら……あなたはそこで即死するっていうことなのね。それはあまりにも縁起が悪いから、絶対に私に近づかないで。触らないで」
ロマンチックな宣言を、物理的かつグロテスクな現実問題として処理する、身も蓋もない残酷な結論が飛んできた!
「うっ! そ、それは……言葉の解釈の歪みが烈しすぎるんじゃないか!? 内臓をぶちまけるって、そんなリアルな想像をしなくてもいいだろう!? いや、とにかく大丈夫だ、俺は何度撃ち落されても蘇る不死鳥だからな! 弾には当たらない!」
「そうだ、この無敵の不死鳥に、出発前の幸運の女神からの祝福のハグをくれないか!」
両手を広げて『ハグの要求』という名の甘い罠を張り、ドサクサに紛れて抱きつこうと突進する。
しかし、ハマーンは俺の動きを完全に読み切ったかのように、華麗なステップで完璧に躱しやがった。
「……な、なぜ避けるんだ、ハマーン。今の俺の動きは、君の心の防壁の隙間をすり抜ける、完璧で流麗なアプローチだったはずなのに!」
「お姉ちゃんが言ってたよ。そういう風に気持ち悪い顔をして『私のぬくもりを~』とか言って、無理やり抱きつこうとする男のことはね、重度の『ロリコン変態思想犯』って言うんだって。もし次に同じことをしようとしたら、大声で憲兵を呼べば、すぐにマハルの隔離施設へ強制連行されて、一生社会復帰できなくなるって教えてもらったの」
「ぐはっ!!」
「ち、違う……違うんだよ、ハマーン! それはマレーネさんの偏見だ! 俺は決して変態思想犯なんかじゃない! 俺はただ、君の純粋で聖なるぬくもりの記憶さえあれば、あの地球の忌まわしい重力にだって耐えられると、純粋な愛を表現しただけなんだ……!」
「キモい」
「……っ!! その可愛らしい麗しい唇から情け容赦なく放たれる辛辣な一言が、俺の、ガラスの心を、蜂の巣のように粉々に打ち砕いていく……!!」
だが、それすらも愛おしいと思えてしまう俺は、もしかしたら本当にマレーネさんの言う通り、手遅れの変態思想犯なのかもしれないと、絶望的な自己認識に苛まれるのだった。
◇◇
二月下旬。
「やれやれ……。天下のフロートニック家の由緒正しきお坊ちゃんにして、ルウムの激戦を生き抜き、戦艦を六隻も沈めてみせた英雄様がいよいよ死地に赴くっていうのにさ。実家の連中からの見送りも、ブラスバンドの演奏も、紙吹雪も、何にもなし、か。まったく、どうなってるんだこの国の軍隊は。英雄に対するリスペクトってもんが完全に欠如しているんじゃないのか」
わざとらしく周囲を見渡すが、俺が一番会いたいピンク色の髪の少女の姿はどこにもない。
「自業自得ですよ、カリス少佐。なに被害者ぶってるんですか。見送りが来ないのは軍のせいでも実家のせいでもありませんって。少佐が非番になるたびに、よりにもよってあの名門カーン家の令嬢を、ストーカー顔負けでしつこく付け回して、貢ぎまくっていたせいでしょ? その異常行動、すでに憲兵隊のブラックリストにバッチリ載ってました。今回の降下作戦にかこつけて、軍の上層部が少佐の身柄を物理的に隔離したってのが真相なんじゃないですかね。まあ、妥当な判断だと思いますよ」
「なんだと!? ブラックリストだと!? ふざけるな、俺のハマーンに対する果てしなく純粋で崇高な愛情表現を、ストーカーだの変態だのと一絡げにする憲兵隊の連中は、全員まとめて眼科と精神科を受診した方がいい! 俺はただ、過酷な戦場へ赴く前の心の平穏を求めていただけで……」
必死に潔白を主張しようとした時、隣にいたエリスが軍刀の柄をギリッと握りしめ、背筋が凍るような嫉妬のオーラを放ち始める。周囲の気温が五度くらい下がった気がする。
「……マーク。少佐に対するその口の利き方は看過できませんよ。曲がりなりにも、カリス様は我が家の御曹司なのですから。軍の上層部だって、あの小生意気な毒婦から、純真なカリス様をお守りするために気を遣ってくださったのでしょう。ええ、間違いありません。地上に降り立てば、あの忌まわしい女の影も届きません。このエリスが、戦場での護衛から、カリス様の夜のベッドメイク、果ては身の回りのお世話まで、すべて完璧に――ええ、本当に隅から隅まで完璧にこなしてみせますから! どうかご安心を、カリス様!」
エリスの目が完全に血走ってる! 軍刀の柄を握る手がガタガタ震えてるぞ。彼女の言う『夜のお世話』が、メイドとしての奉仕なのか物理的な拘束なのか、想像するだけで胃液が逆流しそうだ。
「エリス、お前のその過剰な忠誠心は涙が出るほど嬉しいが、夜の話はマジでやめろ。お前の目が完全に据わっていて怖いんだよ。俺の純潔が物理的にも精神的にも死んでしまう」
「まあまあ、エリスちゃん。あんまり少佐をイジメないであげて。権力と財力に守られた、軍公認の変態ロリコン少佐……。響きとしては最低最悪だけど、ある意味無敵じゃない。それでも、身内として一緒に歩くのはちょっと、いやかなり気持ち悪いわね。仕方ないわ、地上に降りたら、お姉さんが特別に現地の女の子でも見つけてきて、誘惑させてあげる。それでそのロリコンを、治療してあげましょうか? 荒療治が必要みたいだし」
「お前ら…………上官に対する最低限の敬意というものは、この宇宙港のゴミ箱に捨てていく腹積もりか? 大体、俺はロリコンじゃない! ハマーンという個人の魂を愛しているだけだ! 年齢なんてただの数字だろ!」
涙目で反論していると、新しく配属されたジュナス・リアム少尉が苦笑いしながら会話に入ってくる。士官学校を繰り上げ卒業した真面目なエリートだ。
「まあまあ、先輩方、その辺にしてあげてくださいよ。……宇宙の声が聞こえて、初陣で戦艦を六隻も単機で沈める頭脳なんですから。きっと、普通の人間とは脳の構造が違うんですよ。だから、脳のネジが一本や二本くらいトんでて、そういう特殊な性癖、ええと、ロリコンみたいなものに走ってしまっていても、それは天才ゆえの代償というか、仕方ない……のかな、って俺は個人的に分析して納得してますよ。天才には奇行がつきものですから」
「ジュナスよう……。お前の一番理性的で、一切の悪意がない、妙に論理的に納得したような逃げ場のないフォローが、今俺の心を最も深く鋭く抉ってるんだが。頼むからもう黙っててくれ」
もういい。部下からの威厳なんてものはブラックホールに吸い込まれて消滅したんだ。さっさとHLVに乗り込んで現実を受け入れるしかない。
「…………はぁ、はぁ……っ! ま、待って……カリス!!」
息を切らし、額に汗を浮かべ、小さな膝に手をついて肩で息をしながら、こちらへ向かってくる。
間違いない。ハマーンだ。
「おおお! はにゃーん様!! 来てくれたのかー!!」
バッグを放り出し、タラップから尻尾をちぎれんばかりに振る大型犬の勢いで猛ダッシュで彼女の元へ。
周囲の部下たちが「うわぁ……」とドン引きする声が聞こえるが、今の俺にはそんな雑音は一切耳に入らない。
「ハマーン! わざわざ見送りに来てくれたのか! 俺は嬉しいよ、君が来てくれないかとずっと……」
「か、勘違いしないでよね! ばか!」
「お、お姉ちゃんに、カリスが地球へ行く前にどうしても渡してこいって、しつこくしつこく頼まれたから、仕方なく来てあげただけなんだからね! 私の意志じゃないわ! ……これ、貸してあげる」
震える両手で差し出されたのは、花の刺繍が施されたシルク製の小さな小袋だった。
受け取ろうと顔を近づけると、石鹸のような、お花のような、とにかく甘くて良い匂いが漂ってくる。まごうことなき少女の香りだ。
「これは……匂い袋、か?」
「……そうよ。私の、特別な香りを詰めてあるから。……だから、それを持って、必ず、生きてそれを返しに帰ってくること! いい!? 絶対の約束よ。……あ、それと! 中には特別なおまじないが入ってるから、中を開けたら絶対にだめだからね! もし少しでも開けたら、末代まで呪うから!」
俺は、ジオン十字勲章なんかより遥かに大切に、両手で優しく胸の奥深くに抱きしめる。
「ああ、約束するよ、ハマーン。どんな地獄の底からでも、這い上がってやる。必ず無傷で、君の元へこれを直接返しに帰ってくる」
「ええ、約束よ! 命に代えても守りなさい! ……もし、うっかり油断して死んだりしたら、私が地獄の底まで追いかけていって、この手でもう一度あんたを殺してやるからね!」
……おいおい。どうやら俺が戦死すると、あの世でもう一度この子に直接殺されるらしい。十二歳にしてすでに、凄まじいヤンデレの才能の片鱗を見せつけてくれている。
だが、それはそれで極上のご褒美ではないだろうか? 地獄でハマーンに殺されるなら、本望だ。
よし、生きる気力が一万倍に膨れ上がったな。絶対に死ねない理由がまた一つ増えた。
「わかった。地獄で君に殺されるのを防ぐためにも、必ず生きて帰るよ。待っていてくれ」
◇◇
それから三日後。
俺は地球降下作戦の第一段階を終え、北米近海に着水したHLVの狭い個室のベッドに力なく横たわっている。
『中を開けるな』『開けたら呪う』なんて強烈に釘を刺されると、逆にどうしても開けて中身を確かめたくなるのが、心身ともに健康な男子の逃れられない性ってやつだ。
いや、待てよ。これは決して幼女の私物を覗き見してやろうというやましい気持ちじゃない。これから始まる過酷な戦争を前に、お守りの中身が破損していないかを事前に確認する、指揮官としての極めて妥当で軍事的な安全確認行動なのだ。そう、ただの安全確認! 何の問題もない!
己の好奇心を正当化する完璧な言い訳を脳内で構築し終えた俺は、ついに我慢の限界を迎え、周囲に誰もいないことを確認してから、袋の口の紐にゆっくりと指をかける。
呪いが発動しないことを祈りながら紐を解き、中に入っているものを指先でそっと摘まんで引っ張り出す。
「……ん? なんだ、これ。ただの布切れか。押し花とか、神社の御札みたいなお守り……にしては、妙に布地に伸縮性があるというか、手触りが滑らかすぎる気がするが……」
小袋の中から姿を現したのは、手のひらに乗るほど小さな、パステルブルーの生地に白い水玉模様がプリントされた……。
どこからどう見ても、どう解釈しようとしても、まごうことなき少女用の『布(パンツ)』だった。
「…………」
脳細胞がショートし、眼球がそのパステルブルーの物体に釘付けになったまま、三十秒間、呼吸することすら忘れて静止する。
顔面が痙攣し、引きつった笑いを浮かべているのを自覚しながら、無言のまま音速を超えるスピードでその物体を小袋の中にギュンッと戻す。
そして、親の仇でも取るかのような尋常ではない力で紐を引っ張り、絶対に解けないように二重、三重に固く結び直す。
マレーネさん。……あんた、一体どういうつもりなんだ。まだ十二歳で右も左もわからない純潔な妹君に対して、一体全体どんな英才教育を施しているんですか!
もしやこれ、マレーネさんの使い古しの下着とかいう、嫌がらせを超えた外法術なんじゃないだろうな。いや、あのサイズ感と水玉模様のデザインは、どう考えてもハマーンの年齢に合わせたものだ。
もし、万が一、ハマーンが自分でこれを選んで俺に渡すことを決めたのだとしたら……。
それはつまり、俺は彼女の中で『言い逃れの余地のない、ガチの変態ロリコン公認ストーカー』として完全に認識され、受け入れられた上で、この究極の変態調教用アイテムをお守りとして握らされて戦場へ送り出されたという可能性が極めて高いということになる!
くそっ、マレーネさんの入れ知恵に違いないが、ハマーンもハマーンだ。俺を完全に変態扱いしている!
しかし、同時に、腹の底から得体の知れない強烈なエネルギーが湧き上がってくるのを感じた。
……よし、わかった。何が何でも、どんな手を使ってでも、絶対に生きて宇宙へ帰ろう。
俺の男としての最後の尊厳と、フロートニック家の清く正しい名誉を証明し、この誤解を解くためにも……!
地球の連邦軍ども、覚悟しろ。俺の精神が崩壊してしまう前に、お前らを木端微塵に粉砕して、さっさとこのふざけた戦争を終わらせてやる!!
そして、この忌まわしくも神聖な匂い袋をハマーンの元へ無事に返し、俺がただの変態ではないことを証明してやるんだ!!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回は、カリスの地球方面軍転属と、地球降下前のハマーンとの別れを書きました。
ガルマとのやり取りや、不死鳥隊の掛け合い、ハマーンのお守りの場面など、印象に残ったところがあれば感想をいただけると嬉しいです。