九尾の狐の物語   作:matcha君

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しもやけ治療

その頃――永遠亭。

 

診察を終えて帰ってきた八意永琳は、自室へ入るなり机へ大量の薬草を並べていた。

 

しもやけ用の軟膏。

血行促進剤。

炎症を抑える素材。

妖怪用の薬草まで混ざっている。

 

永琳は腕を組み、難しい顔をしていた。

 

永琳 「……厄介ね」

 

普通のしもやけなら問題ない。

 

だが虎之助の症状は異常だった。

 

幼い。寒さに極端に弱い。しかも子供特有の敏感な皮膚。

 

その上、紫からはこう聞いている。

 

『かなり刺激に弱いみたいなのよ』

 

つまり、効き目を強くすれば痛みや刺激も増える。だが弱くすれば、今度は効果不足。

 

永琳は小さく息を吐く。

 

永琳 「効き目と刺激の少なさを両立させる必要があるわけね……」

 

そこへ、嫌な予感を察知した鈴仙・優曇華院・イナバが恐る恐る顔を出した。

 

鈴仙 「お、お師匠様……?」

 

永琳はにこりと微笑む。

 

それは鈴仙にとって、一番危険な笑顔だった。

 

永琳 「ちょうどいいところに来たわね、鈴仙」

鈴仙 「えっ」

 

数十分後。

 

永遠亭には悲鳴が響いていた。

 

鈴仙 「ひゃああああっ!? しみますしみます!!」

 

鈴仙は涙目で椅子に座っている。

 

足と手は、永琳が-200度を超える空間で1時間以上冷やしてわざと虎之助と近いレベルのしもやけ状態にされていた。

 

もちろん永琳としては真面目な研究である。

 

だが、体験する側はたまったものではない。

 

永琳は真剣な顔でメモを取っていた。

 

永琳 「刺激が強すぎるわね……却下」

鈴仙 「却下じゃないですよぉ!! 私の足がもう却下されそうなんですけど!?」

 

鈴仙は半泣きだった。

 

永琳は次の薬を調合する。

 

塗る。

 

数秒後。

 

鈴仙 「ぎゃあああああっ!? 今度は熱いですぅ!!」

永琳 「血流促進が過剰……これも駄目」

鈴仙 「お師匠様ぁぁぁぁ!!」

 

しかし永琳は止まらない。

 

虎之助の小さな手足を思い出していた。

 

あの子はきっと、痛いとも我慢してしまう。

 

だからこそ、刺激は極力減らさなければならない。

 

永琳 「もっと優しく、それでいて効き目を落とさない配合……」

 

真剣そのものだった。

 

一方、その悲鳴を廊下で聞いていた因幡てゐは、顔を青くしていた。

 

因幡 「……やばい」

 

長年の勘が告げている。

 

あれは危険だと。

 

しかもさっき永琳が「次の比較対象も必要ね」と呟いていた。

 

因幡は無言で方向転換した。

 

そして全力で逃走。

 

向かった先は――蓬莱山輝夜の部屋。

 

因幡 「姫様ー!! 匿ってー!!」

 

襖を勢いよく開ける。輝夜はお茶を飲みながら目をぱちくりさせた。

 

輝夜 「何事?」

因幡 「お師匠様が実験モード入った!!」

輝夜 「ああ」

 

一瞬で理解した。輝夜は静かにお茶を置く。

 

輝夜 「それはご愁傷様」

因幡 「助けてくださいよぉ!?」

 

その頃。

 

薬品棚の前で調合を続けていた永琳は、ふと気付く。

 

永琳 「……てゐがいないわね」

 

沈黙。

 

数秒後。

 

永琳は小さく舌打ちした。

 

永琳 「逃げたわね、あの兎」

 

実際、次はてゐを試験役に使うつもりだった。

 

鈴仙だけでは比較データが足りないからである。

 

しかし永琳はすぐ気持ちを切り替える。

 

永琳 「まあいいわ」

 

再び薬品を混ぜ始める。

 

永琳 「虎之助くん用の薬を先に完成させましょう」

 

 真夜中の永遠亭。

 

鈴仙 「因幡の裏切り者おおおおおおおお!!!!!!!!!」

 

 半泣きの鈴仙の声をBGMにしながら、幻想郷最高の薬師は、小さな九尾のためだけの薬を作り続けていた。

 

永遠亭では、鈴仙・優曇華院・イナバが机に突っ伏していた。

 

耳はへにゃりと垂れ、目には涙。

 

鈴仙 「も、もう無理ですぅ……次やったら本当に足が取れますぅ……」

 

だが永琳はまだ調合を続けている。このままでは次の試作品が来る。

 

鈴仙は青ざめた。(こうなったら……!)

 

ぎゅっと手を握る。

 

彼女の能力――「狂気を操る程度の能力」。

 

だが、永遠亭で長く暮らしてきた鈴仙は、それ以外にも妙に“運”へ干渉する勘を持っていた。

 

特に、「これ以上やられたくない」という切実な願いが乗ると、時々あり得ない方向へ物事が転ぶ。

 

鈴仙は半泣きで祈った。(お願いだから完成してぇぇぇ!!)

 

すると次の瞬間。

 

永琳の手が止まる。

 

塗り薬の色。香り。妖力反応。すべてが綺麗にまとまっていた。永琳の目がわずかに見開かれる。

 

永琳 「……完成した?」

 

鈴仙もぽかんとする。

 

永琳は鈴仙の手足に慎重に少量を塗り、効果を確認した。刺激は少ない。だが血流改善と炎症抑制は非常に高い。

 

まるで偶然、理想形へ辿り着いたみたいだった。

 

永琳は静かに頷く。

 

永琳 「……これならいけるわね」

 

鈴仙は机へ崩れ落ちた。

 

鈴仙 「た、助かったぁ……」

 

その声には心の底からの安堵が滲んでいた。

 

しばらくして。

 

紫の開いたスキマを通り、永琳は再び八雲邸へやって来る。

 

部屋は静かだった。

 

虎之助は布団の中で眠っている。小さな寝息。時々ぴくっと動く耳。その姿を見て、永琳は少し表情を和らげた。

 

永琳 「起きてないのね。都合がいいわ」

 

永琳は完成した薬を取り出す。

 

柔らかな乳白色の軟膏だった。まず足先へ。それから手指へ。紫と藍が支える中、永琳は極めて慎重に塗っていく。

 

虎之助は眠ったままだったが、薬が触れた瞬間だけ、少しだけ眉間の力が抜けた。

 

永琳は静かに頷く。

 

永琳 「効いてるわね」

紫 「刺激は?」

永琳 「かなり抑えた。しばらく続ければ改善するはずよ」

 

紫は小さく頭を下げた。

 

紫 「ありがとう、永琳」

永琳 「別に。患者を治すのは当然よ」

 

そう言いながらも、永琳の表情にはどこか満足感があった。

 

あれだけ苦労して調合した甲斐はあったらしい。

 

必要な説明を終えると、永琳は再び永遠亭へ帰っていった。

 

その後。

 

虎之助の寝息は、少しずつ穏やかになっていく。痛みや痒みが和らいだのだろう。耳の震えも減り、しっぽも安心したように布団の中でふわりと広がっていた。

 

紫はその様子を見て、ようやく小さく息を吐く。

 

紫 「……少し楽になったみたいね」

 

藍も頷いた。

 

藍 「ええ」

 

紫は再びぬるま湯を用意し始める。

 

桶へ静かに湯を注ぎながら、時々虎之助の様子を確認していた。

 

だが虎之助は深く眠ったままだ。

 

その顔は、もう雪山で倒れていた時とは別人みたいに穏やかだった。

 

――夢の中。

 

虎之助は空を飛んでいた。

 

真っ青な空。

 

白い雲。

 

赤いマントが風になびく。

 

自分はスーパーマンみたいに自由に飛べている。

 

寒くない。痛くない。怖くない。隣には紫がいた。優しく笑って、一緒に飛んでくれている。

 

虎之助は嬉しそうに笑う。

 

虎之助 「おかあさん、みて! ぼくとべる!」

 

紫も微笑む。

 

紫 「ええ、とても上手よ」

 

やがて二人は広い草原へ降り立つ。

 

暖かな風。どこまでも続く緑。紫がレジャーシートを敷くと、虎之助は嬉しそうにその上へ寝転がった。紫も隣へ横になる。虎之助は自然に紫へ寄り添い、小さく笑う。

 

虎之助 「……あったかい」

 

その顔は、本当に幸せそうだった。現実の八雲邸。眠る虎之助を見ていた紫は、ふと気になった。

 

紫 「……どんな夢を見ているのかしら」

 

そっと小さなスキマを開く。

 

夢の境界を覗くためのもの。

 

そして見えた。

 

草原。空。笑う虎之助。そして――“母”として隣にいる、自分自身。

 

紫は少し目を見開く。

 

虎之助の中では、もう自分が「お母さん」になっている。それを知った瞬間。

 

紫の胸に、静かな熱が広がった。

 

紫 「……そう」

 

紫はそっと虎之助の頭を撫でる。黒髪はさらりと柔らかい。耳も安心したようにぴくりと揺れた。

 

そして紫はスーパーマンの柄の布団へ入り、小さな体を優しく抱き寄せる。

 

直接伝わる温もり。湯たんぽとは違う、生きた暖かさ。

 

虎之助は眠ったまま、自然に紫へ擦り寄った。

 

まるで本当に母親を求める子供みたいに。

 

紫はその小さな背中をゆっくり撫でる。

 

紫 「……もう大丈夫」

 

 静かな夜。

 

八雲邸の布団の中で、小さな九尾は初めて“母の愛”に包まれながら、安心して眠り続けていた。

 

長かった冬も、ようやく終わりを迎えていた。

 

 幻想郷を覆っていた雪はゆっくり溶け、白かった庭にも柔らかな緑が戻り始める。

 

 冷たい風の代わりに、今は春の匂いを含んだ暖かな空気が流れていた。

 

 八雲邸の庭では、一本の桜が静かに咲いている。

 

 淡い花びらが風に揺れ、時々ひらひらと舞い落ちていた。

 

 その日の昼下がり。

 

 縁側には、穏やかな時間が流れていた。

 

 虎之助は、紫の膝の上にちょこんと座っている。

 

 着ているのは春用に仕立て直された紺色の着物。

 

 冬物より少し軽く、柔らかな生地で作られていた。

 

 深い夜空みたいな色合いは相変わらずで、金色の耳と九本のしっぽがよく映える。

 

 春の日差しを浴びながら、虎之助は気持ちよさそうに目を細めていた。

 

 耳がぴこぴこ揺れる。

 

 しっぽもふわふわと左右に動いている。

 

 もう寒さに震えることはない。

 

 しもやけも、永琳の薬と紫たちの看病のおかげですっかり治っていた。

 

 細い手足は元通りになり、雪みたいに白く綺麗だった。

 

 まだ少し幼さの残る小さな手。

 

 紫はその指先をそっと撫でる。

 

 虎之助の指がぴくっと動いた。

 

 「んぅ……」

 

 くすぐったいらしい。

 

 紫は少し微笑み、今度は手のひらを優しくなぞる。

 

 柔らかい。

 

 小さい。

 

 守ってあげたくなる手だった。

 

 「綺麗に治ってよかったわね」

 

 すると虎之助は、自分の手をじーっと見てから小さく頷いた。

 

 「……いたくない」

 

 その一言に、紫は静かに目を細める。

 

 あの吹雪の日を思い出したのか、虎之助のしっぽが少しだけ紫へ巻きついた。

 

 紫は安心させるように頭を撫でる。

 

 黒髪を優しく梳くと、虎之助は気持ちよさそうに目を閉じた。

 

 そこへ藍が戻ってくる。

 

 手には包みがあった。

 

 「紫様、買ってきました」

 

 「ありがとう、藍」

 

 包みの中には三色団子。

 

 淡い桃色、白、緑の並んだ春らしい団子だった。

 

 藍が皿へ並べると、虎之助の耳がぴんっと立つ。

 

 視線が完全に団子へ固定された。

 

 紫は思わず笑ってしまう。

 

 「そんなに気になるの?」

 

 虎之助はこくこく頷く。

 

 紫は一本取って渡してあげた。

 

 虎之助は両手で大事そうに持ち、小さくはむっと食べる。

 

 すると――

 

 しっぽが一気にぶわっと広がった。

 

 「……おいしい!」

 

 顔もぱあっと明るくなる。

 

 紫と藍は思わず顔を見合わせた。

 

 よほど気に入ったらしい。

 

 桜が風で揺れる。

 

 花びらが何枚か縁側へ落ちてきた。

 

 けれど虎之助は桜より団子に夢中だった。

 

 一口食べるたびに耳がぴこぴこ動く。

 

 紫はその様子を見て、くすっと笑う。

 

 「ふふっ、花より団子なのね」

 

 虎之助は意味がよく分かっていない様子で首を傾げながらも、また団子をもぐもぐ食べる。

 

 頬がほんの少し膨らんでいて、小動物みたいだった。

 

 紫はその頭をまた優しく撫でる。

 

 虎之助は自然に背中を預けてきた。

 

 暖かな春の日差し。

 

 桜の花びら。

 

 縁側で食べる団子。

 

 そして、母の膝の上。

 

 虎之助にとって、それは今まで知らなかった幸せそのものだった。

 

 紫もまた、小さな九尾の重みを感じながら静かに空を見上げる。

 

 冬は終わった。

 

 この子はもう、一人ではない。

 

 八雲邸の縁側には、穏やかで優しい春の時間がゆっくり流れていた。

 

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