九尾の狐の物語   作:matcha君

4 / 5
小さなヒーローの誕生

 トイレの中では、虎之助が半泣きになっていた。

 

 九本のしっぽが、水着と着物の間で絡まってしまっている。

 

虎之助 「ぅぅ……とれない……」

 

 そこへ紫が入ってくる。

 

紫 「見せてごらんなさい」

 

虎之助は恥ずかしそうにしながら振り向いた。

 

紫は笑わず、優しくしっぽを一本ずつほどいていく。金色の毛並みを傷めないよう、丁寧に。

 

紫 「この子たち(しっぽ)は本数が多い分、扱いが大変ね」

虎之助 「……しっぽ、いうこときかない……」

紫 「ふふっ」

 

紫は最後の一本を直し、軽く整えてあげる。

 

紫 「はい、これで大丈夫」

 

虎之助はほっとした顔になった。そして無事に用を足し、また一生懸命水着を着直す。しっぽを穴へ通し、肩紐を整え、上から着物を着る。

 

その姿はどこか秘密基地ごっこをしている子供みたいだった。一方その頃廊下を歩いていた藍は、そんな虎之助の様子を何度か見ていた。

 

着物の下からわずかに見える水着の肩紐。時々聞こえる生地の擦れる音。そして妙に慎重なしっぽの動き。――気付かないわけがなかった。

 

だが藍は何も言わなかった。虎之助が恥ずかしがっているのも分かっていたし、無理に触れる必要もないと思っていたからだ。

 

だから藍は、あえていつも通り接する。虎之助はそれで「まだバレてない」と思っており、内心かなり安心していた。

 

そんなある時。紫が虎之助を呼ぶ。

 

紫 「虎之助」

虎之助 「……?」

紫 「ずっとそれを着ていると、肩に負担がかかるわ」

 

虎之助はぴくっとする。

 

確かにスクール水着は肩紐で吊る形なので、長時間だと少し肩が引っ張られる感じがあった。特に成長途中の小さな体にはあまり良くない。虎之助は少し名残惜しそうに水着を見た。

 

だがお母さんの言葉には逆らわない。

 

虎之助 「……わかった」

 

部屋へ戻り、ゆっくり着替え始める。まず、九本のしっぽを穴から一本ずつ抜く。ふわり、と毛が広がった。次に肩紐を外し、水着を脱ぐ。

 

すると春の空気が白い肌へ触れた。

 

虎之助は少しだけ寂しそうだったが、紫が用意した柔らかい普通のパンツを履き、その上から着物を着る。やはり着物の方が動きやすい。しっぽも自由だった。

 

その時。部屋へ橙が遊びに来た。

 

橙 「虎之助ー!」

 

元気よく入ってきた橙だったが、畳まれていたスクール水着を見て目を丸くする。

 

橙 「わぁ……!」

 

興味津々だった。特に、しっぽ穴付きなのが猫又の橙にはかなり魅力的に見えたらしい。

 

橙 「それ、いいなぁ……」

 

虎之助はすぐ水着を抱え込む。

 

虎之助 「だ、だめっ」

 

かなり必死だった。橙はしゅんと耳を下げる。その様子を見た紫は、少し考え――

 

紫 「なら、橙用を作ればいいじゃない」

橙 「ほんと!?」

 

橙の目が一気に輝く。そして紫は、似た形のスクール水着を用意した。さらに藍が裁縫道具を持ってくる。白いゼッケンへ、丁寧に文字を書く。

 

 『ちぇん』

 

ひらがなだった。

 

藍はそれを縫い付けながら、少し微笑む。

 

藍 「はい、完成です」

 

さらに、猫又である橙のしっぽサイズに穴を調整する。通しやすさも確認済み。橙は待ちきれない様子で着替え始めた。

 

そして――

 

橙 「できたー!」

 

嬉しそうにくるくる回る。しっぽもちゃんと出ていて、耳もぴこぴこ揺れていた。橙は鏡を見て大喜びする。

 

橙 「すごーい! ちゃんとしっぽ出るー!」

 

藍は苦笑しながらも、どこか満足そうだった。虎之助は最初こそ少し複雑そうだったが、自分だけじゃなくなったことで逆に安心したらしい。

 

虎之助 「……にあってる」

 

小さくそう言う。橙はぱあっと笑顔になった。

 

橙 「ほんと!?」

 

その様子を見ながら、紫は静かにお茶を飲む。昔なら、服は「着せられるもの」だった。でも今は違う。好きだから着る。楽しいから着る。それを誰も否定しない。八雲邸には、そんな穏やかな空気が流れていた。

 

ある日の午後。紫は虎之助を自室へ呼んでいた。

 

紫 「虎之助、少しいらっしゃい」

虎之助 「……?」

 

虎之助が部屋へ入ると、そこには大きな箱が置かれていた。紫は楽しそうに微笑む。

 

紫 「あなたにプレゼントよ」

 

箱が開かれる。その瞬間、虎之助の耳がぴんっと立った。中に入っていたのは――スーパーマンのスーツ一式だった。

 

青を基調にした全身スーツ。足先まで包む形で、胸には大きな“S”マーク。赤いマント。赤いブリーフタイプの外付けパンツ。金色の、少し太めのベルト。中央にはSマークのバックル。そして赤いブーツ。

 

虎之助は息を呑む。憧れていたヒーローそのものだった。

 

けれど――虎之助はすぐには手を伸ばさなかった。むしろ、そっと紫へ近寄り、そのまま抱きつく。

 

紫 「……?」

 

紫は少し不思議そうに首を傾げた。

 

紫 「着ないの?」

 

すると虎之助は、紫の服をぎゅっと握りながら小さな声で言う。

 

虎之助 「……ヒーローになったら……」

 

少し間を置いて。

 

虎之助 「……あまえられない……」

 

その言葉に、紫は静かに目を細めた。虎之助の中で、“ヒーロー”は強い存在だった。泣かない。弱音を吐かない。誰かに甘えたりしない。きっとそう思っていたのだろう。

 

だから、ヒーローになるということは――“子供”をやめることだと思っていた。紫はゆっくりしゃがみ、虎之助の目線へ合わせる。そして優しく頭を撫でた。

 

紫 「大丈夫」

 

穏やかな声だった。

 

紫 「あなたがヒーローになっても、私に甘えていいのよ」

 

虎之助が少し目を丸くする。紫は微笑んだ。

 

紫 「むしろ、甘えて頂戴」 「あなたがヒーロ-になっちゃったら私は寂しいわ」

 

その言葉を聞いた瞬間。虎之助のしっぽが、ふわりと揺れた。不安が少し溶けていく。やがて虎之助は小さく頷く。

 

虎之助 「……きる」

 

紫は嬉しそうに笑った。そして二人で着替えを始める。

 

まず青いスーツ。柔らかく、よく伸びる生地だった。虎之助は足を通し、腕を通し、ゆっくり着ていく。全身を包まれる感覚。足先まで覆われているのが、不思議と安心できた。冷えない。守られている感じがする。虎之助は胸の“S”マークをそっと触る。

 

虎之助 「……かっこいい……」

 

次は赤い外付けパンツ。虎之助は真剣な顔で装着した。その上から、金色のベルトを巻く。少し太めで存在感がある。

 

バックルを合わせると――「カチッ」

 

小気味いい音が響いた。固定された瞬間、虎之助の耳がぴくっと動く。なんだか本当に“変身”したみたいだった。次に赤いブーツ。それも履き終えると、鏡の中には小さなヒーローが立っていた。けれど、最後の一つだけが難しかった。

 

赤いマント。固定具が背中側にあり、虎之助一人ではうまく付けられない。何度か頑張るが、届かない。

 

虎之助 「ぅ……」

 

しっぽがしゅんとなる。そして少し迷った後、小さな声で言った。

 

虎之助 「……つけて……」

 

紫は優しく微笑む。

 

紫 「ええ」

 

マントを受け取り、虎之助へ言う。

 

紫 「背中を向けて」

 

虎之助は素直に背を向けた。小さな肩。まだ幼い背中。その後ろで、九本の金色のしっぽがふわふわ揺れている。

 

紫は丁寧にマントを肩へ合わせる。

 

固定具をはめ込み――「パチッ」静かな音がした。その瞬間。虎之助のしっぽが、ぶわっと広がる。耳もぴんっと立った。胸の奥から、何かが湧き上がってくる。勇気。安心感。そして力。マントが背中でふわりと揺れる。

 

虎之助はゆっくり鏡を見る。そこに映っていたのは、ただの捨てられた子供ではない。お母さんに守られ、愛され、そして――ヒーローになろうとしている、小さな九尾だった。紫はその後ろ姿を見ながら、優しく言う。

 

紫 「似合ってるわよ、虎之助」

 

虎之助は少し照れながらも、嬉しそうに笑った。そして次の瞬間。

 

虎之助 「……おかあさん!」

 

勢いよく振り返り、そのまま紫へ抱きつく。赤いマントがふわりと広がる。

 

紫はくすっと笑いながら、その小さなヒーローを優しく抱きしめ返した。

 

虎之助 「……おかあさん!」

 

赤いマントを揺らしながら抱きついてきた虎之助を、紫も優しく抱きしめ返す。だが、小さなヒーローは思った以上に勢いがあった。

 

紫 「きゃっ――」

 

二人はそのまま後ろへ倒れ込み、部屋に敷かれていた布団へぽすんと沈んだ。しかもその布団は、虎之助のために紫が用意したスーパーマン柄のものだった。

 

赤いマントがふわりと広がる。

 

虎之助は紫のお腹へ顔を埋めたまま、なんだか満足そうだった。紫は思わず笑ってしまう。

 

紫 「もう、そんなに眠くなったの?」

 

虎之助はうとうとしている。暖かい布団。大好きなお母さん。憧れのヒーロースーツ。安心感が全部揃ってしまったせいだろう。耳もとろんとしていて、しっぽも力が抜けていた。紫は優しく髪を撫でる。

 

紫 「少しお昼寝しましょうか」

 

そして虎之助を布団へちゃんと寝かせる。スーツは脱がせない。せっかく嬉しそうに着ていたからだ。ただ、赤いブーツだけは丁寧に脱がせて枕元へ揃えて置いた。足先まで包まれた青いスーツ姿のまま、虎之助は布団へ潜り込む。

 

赤いマントも少し整えてあげると、まるで小さなヒーローが休んでいるみたいだった。紫も隣へ入り、そっと抱き寄せる。虎之助は安心したように紫へ擦り寄った。

 

虎之助 「……おかあさん……」

紫 「ええ、ここにいるわ」

 

そのまま二人は静かに眠りについた。どれくらい経っただろうか。紫はふと目を覚ます。

すると隣の虎之助が、少し苦しそうにもぞもぞしていた。両手を足の間へ持っていき、内股になってぷるぷる震えている。耳もぺたんとしていた。紫はすぐ察する。

 

紫 「……あら」

 

まだ幼い虎之助は、眠っている間にトイレへ行きたくなったのだろう。けれどスーツ姿のままでは間に合わない。しかも眠気で半分意識もぼんやりしている。紫は慌てさせないよう、優しく声をかける。

 

紫 「大丈夫よ」

 

そしてそっとスキマを開く。器用に境界を使い、スーツを脱がせないまま内側へ柔らかいオムツを履かせた。虎之助は不安そうに紫を見る。

 

虎之助 「……だいじょうぶ……?」

紫 「ええ、安心していいわ」

 

紫が頭を撫でる。その瞬間。虎之助の体からふっと力が抜けた。じわぁ……と、オムツへ温かい感覚が広がる。虎之助は恥ずかしそうに耳を伏せたが、紫はまったく嫌な顔をしない。むしろ、安心できたことを優しく受け止める。

 

紫 「ちゃんとできたわね」

 

その言葉に、虎之助のしっぽが少しだけ安心したように揺れた。終わった後、紫は再びスキマを使う。

 

スーツを脱がせることなく、濡れたオムツだけを器用に交換していく。ヒーロースーツを着たまま、快適に眠れるように。新しいオムツへ替え終わる頃には、虎之助はもう半分眠っていた。紫が布団を整えると、虎之助は自然に抱きついてくる。

 

赤いマントが布団の上へ広がった。

 

虎之助 「……おかあさん……」

紫 「なぁに?」

虎之助 「……ヒーローでも……あまえていい……?」

 

眠たそうな声だった。紫は優しく微笑み、その額へそっと口づける。

 

お昼寝から目を覚ました虎之助は、布団の中でもぞもぞ動いた。まだ少し眠い。けれど、何か違和感がある。

 

虎之助 「……?」

 

腰の辺りが、なんだかいつもと違った。ふわふわしていて、少し厚い。虎之助は首を傾げながら、スーパーマンスーツを確認する。そして気になって、一度スーツを脱いでみた。

 

すると――虎之助 「!?」

 

腰に履かされていたものを見て、耳がぴんっと立つ。白くて柔らかいオムツだった。しかもスーパーマン柄。虎之助の顔が一気に赤くなる。

 

虎之助 「な、なんで!?」

 

慌てて隠そうとするが、その声で紫が目を覚ました。

 

紫 「気付いたのね」

 

紫はくすっと笑いながら起き上がる。虎之助は真っ赤なまま、お腹を押さえていた。

 

虎之助 「ど、どうしてこれ……!」

 

紫は優しく説明する。お昼寝中にトイレへ行きたくなっていたこと。でも眠くて我慢して震えていたこと。だから安心できるよう履かせたこと。

 

虎之助は聞きながらどんどん恥ずかしくなっていく。耳まで真っ赤だった。

 

虎之助 「ぅぅ……」

 

慌てて脱ごうとする。だが――そこで、ふと気付いた。

 

虎之助 「……あれ?」

 

履き心地が悪くない。むしろかなり柔らかい。変にごわごわもしない。しかも安心感がある。それに、これなら寝ている間に漏らしてしまっても大丈夫。虎之助はしばらく固まった。そして小さく考える。

 

 (……このままで、いいかも……)

 

結局、脱ぐ手が止まる。紫はその様子を見て微笑んだ。

 

紫 「どうする?」

 

虎之助は恥ずかしそうに目を逸らしながら答える。

 

虎之助 「……このままでいい……」

 

しっぽも少しだけふわっと揺れていた。紫は「ふふっ」と笑い、頭を撫でる。その後、虎之助はスーパーマンスーツを脱ぎ、いつもの紺色の着物へ着替える。中にはオムツ。でも着物を着れば見えないので、少し安心だった。

 

着替え終わると、虎之助は広間へ向かおうとする。

 

だが。

 

紫 「はい」

 

突然ふわっと体が浮いた。

 

虎之助 「わっ」

 

紫が抱き上げたのだ。虎之助はきょとんとする。

 

虎之助 「あるいていける……」

紫 「でも抱っこしたいの」

 

紫は当然みたいに言った。虎之助は少し照れながらも、結局おとなしく抱っこされる。

 

広間へ着くと、藍が料理を並べていた。

 

温かいご飯。味噌汁。焼き魚。

 

虎之助は紫の膝へ座らされる。

 

虎之助 「自分で食べる?」

 

虎之助は少し考えてから、小さく首を横に振った。今日は甘えたい気分だった。紫は優しく笑い、ご飯を一口すくう。ふー、ふーと冷ましてから口元へ運ぶ。

 

紫 「はい、あーん」

 

虎之助は素直に口を開ける。

 

虎之助 「あー……」

 

もぐもぐ。しっぽが嬉しそうに揺れた。藍はその様子を見て、どこか微笑ましそうだった。食事を終えた後。

 

紫はふと悪戯っぽく笑う。

 

紫 「……もっと甘えたい?」

 

虎之助は少し迷ったあと、小さく頷いた。その瞬間。紫のスキマが開く。境界が揺らぎ――次の瞬間、虎之助の体が小さくなっていた。

 

虎之助 「!?」

 

赤ちゃんサイズ。着物もしっぽも耳も、そのまま小さくなっている。手足もぷにぷにだった。虎之助はびっくりして自分を見る。

 

虎之助 「ち、ちっちゃい……!」

 

紫はそんな虎之助を軽々抱き上げた。今度は完全に赤ちゃん抱っこだった。

 

紫 「ふふっ、可愛いわね」

 

虎之助は最初恥ずかしそうだったが、抱っこされているうちにどんどん安心していく。小さくなった分、余計に甘えたくなるらしい。紫の胸へぎゅっとしがみつく。

 

虎之助 「おかあさん……」

紫 「なぁに?」

虎之助 「……すき……」

 

紫は優しく頬を撫でる。

 

紫 「私もよ、虎之助」

 

その後も虎之助はずっと紫へ甘えていた。抱っこ。頭なで。しっぽを櫛で梳かしてもらう。耳を優しく触られる。

 

どれも虎之助にとっては幸せそのものだった。昔は、甘えることなんて許されなかった。

 

でも今は違う。泣いてもいい。頼ってもいい。甘えてもいい。紫は全部受け止めてくれる。だから虎之助は安心しきった顔で、今日もお母さんへぴったりくっついているのだった。

 

紫 「もちろんよ」

虎之助 「……ん……」

 

虎之助は安心しきったように目を閉じる。そしてそのまま、すぅ……っと深い眠りへ落ちていった。小さな九尾のヒーローは、大好きなお母さんに抱かれながら、ずっと幸せそうに眠り続けていた。

 

紫は、赤ちゃんサイズになった虎之助を抱っこしながら、ふと思いついたように微笑んだ。

 

紫 「そうだわ」

 

小さなスキマが開く。その中から現れたのは、虎之助のスーパーマンスーツだった。ただし今の虎之助に合わせて、ちゃんと赤ちゃんサイズになっている。

 

小さな青いスーツ。小さな赤いマント。小さな赤いブーツ。虎之助の耳がぴんっと立つ。

 

虎之助 「わぁ……!」

 

紫は優しく着せてあげた。赤ちゃんサイズになったことで、ますますぬいぐるみみたいに可愛らしい。特に九本のしっぽと赤いマントの組み合わせは、まるで絵本の小さなヒーローだった。

 

鏡を見た虎之助は嬉しそうにしっぽを揺らす。

 

虎之助 「……ヒーロー!」

 

すると次の瞬間。ふわっ。虎之助の体が少し浮いた。

 

虎之助 「!」

 

本人も驚いた顔をする。けれどすぐに嬉しそうな顔へ変わった。

 

虎之助 「とべる!」

 

ぱたぱたと庭の上を飛び始める。とはいえ、まだ高くは飛べない。地面から少し浮く程度で、時々ふらふらしていた。それでも虎之助は大喜びだった。赤いマントをなびかせながら、一生懸命飛び回る。

 

虎之助 「おかあさんみて!」

紫 「ええ、見てるわ」

 

紫は縁側で頬杖をつきながら、その姿を優しく見守る。小さなヒーローが一生懸命空を飛ぶ様子は、本当に愛らしかった。

 

紫 「ふふっ、とっても可愛い赤ちゃんヒーローね」

 

虎之助は照れながらも嬉しそうだった。

 

やがて飛び疲れたのか、ふらふらしながら紫の方へ戻ってくる。紫はそのまま腕を広げた。虎之助はぽすっと胸へ飛び込む。紫はしっかり抱き止め、優しくあやしてあげた。

 

紫 「よく飛べたわねぇ」

虎之助 「……がんばった!」

紫 「えらいえらい」

 

頭を撫でられると、虎之助のしっぽがふわふわ揺れた。その後、紫はスキマを使い、虎之助を元の大きさへ戻してあげる。スーツも元サイズに戻った。虎之助はさっそく庭へ飛び出していく。

 

春の空の下。赤いマントを翻しながら、楽しそうに飛び回る。まだ高くは飛べない。

 

でも、前よりずっと自由だった。紫は縁側からその姿を見守っていた。けれど――少しだけ、胸が寂しくなる。

さっきまで腕の中にいた小さな子が、今は空を飛んでいる。嬉しい。でも少し遠く感じる。紫はふっと笑い、少し悪戯心を起こした。

 

そして庭へ向かって声を上げる。

 

紫 「助けて、スーパーマン!」

 

その瞬間。虎之助の耳がぴんっと立った。真剣な顔になる。

 

虎之助 「!?」

 

すぐに方向転換し、紫の前へ降り立った。マントがふわりと揺れる。虎之助は本気で心配した顔をしていた。

 

虎之助 「どうしたの!?」

 

その表情は、まさにヒーローだった。紫は少しだけ寂しそうに笑う。

 

紫 「……寂しいの」

 

虎之助は一瞬きょとんとする。だが次の瞬間には、すぐ紫へ抱きついていた。

 

虎之助 「だいじょうぶ!」

 

小さな腕でぎゅっと抱きしめる。

 

虎之助 「ぼくがいるから!」

 

紫は目を細め、その背中を優しく抱き返した。

 

紫 「ありがとう、スーパーマン」

 

その呼び方に、虎之助の顔が一気に赤くなる。耳まで真っ赤だった。けれど――とても嬉しそうだった。しっぽもぶわっと広がり、ぱたぱた揺れている。

 

紫はそんな小さなヒーローの頭を撫でながら思う。この子はきっと、本当に誰かを助けられる優しい子になる。でも今はまだ、自分の腕の中で笑っていてほしかった。

 

春風が吹く庭で。小さなスーパーマンは、大好きなお母さんをぎゅっと抱きしめ続けていた。

 

春になったとはいえ、幻想郷の空気はまだ時々冷える。特に夕方近くになると、風は少し冬の名残を思わせた。その日も、虎之助はスーパーマンスーツ姿で庭から飛び立っていた。赤いマントをなびかせながら、低空をふわふわ飛んでいく。

 

虎之助 「ぱとろーる!」

 

本人は真剣そのものだった。人里の上空を飛びながら、困っている人がいないか探す。荷物を落とした人。転びそうな子供。道に迷った犬。小さなことでも、虎之助はすぐ助けようとする。

 

それが彼なりの“ヒーロー”だった。だが、しばらく飛んでいるうちに。

 

虎之助 「……さむ……」

 

虎之助の耳がぺたんと下がった。風が冷たくなってきたのだ。元々、虎之助は寒さに弱い。しかも飛んでいると風を直接受けるので、体温が奪われやすい。しっぽも少し縮こまっていた。虎之助は無理をせず、八雲邸へ戻ることにする。

 

縁側へ降り立つと、そこにはお母さんがいた。火鉢のそばでお茶を飲んでいる。ぱちぱちと炭が鳴っていた。

 

紫 「おかえりなさい」

虎之助 「……ただいま……」

 

虎之助は火鉢へ近寄る。だが、途中でぴたりと止まった。赤いマントがゆらりと揺れる。虎之助は少し不安そうだった。

 

虎之助 「……もえたらやだ……」

 

マントが火に近いと危ないと思ったらしい。だから少し離れた位置で、小さく丸くなって温まっていた。

 

紫はその様子を見て、優しく笑う。

 

紫 「ちゃんと考えているのね」

 

そしてスキマを開き、何かを取り出した。

 

赤い手袋だった。柔らかくて暖かい、冬用のもの。

 

紫 「これを使いなさい」

 

虎之助は目を丸くする。

 

虎之助 「ぼくの?」

紫 「ええ。ヒーローが風邪を引いたら大変でしょう?」

 

虎之助は嬉しそうに受け取り、両手にはめる。赤い手袋はスーツとよく合っていた。

 

虎之助はぎゅっと手を握ってみる。

 

虎之助 「……あったかい!」

 

耳もぴんっと立った。その後、少し温まってから再びパトロールへ向かう。

 

虎之助 「いってきます!」

紫 「気をつけてね」

 

赤いマントを翻し、虎之助はまた空へ飛び立った。だが、無事に何事もなく家に帰ろうと飛んでいたその時。人里の外れで、小さくうずくまっている女の子を見つける。

 

金に近い黄色の髪。青白い顔。寒さで震えていた。

 

虎之助はすぐ降り立つ。

 

虎之助 「だいじょうぶ!?」

 

少女はびくっと顔を上げた。人里の少女――ルナだった。

 

ルナ 「さ、さむくて……」

 

手も真っ赤になっている。虎之助は迷わなかった。まず、自分の赤い手袋を外す。

 

虎之助 「これ!」

 

ルナの手へはめてあげる。さらに、赤いマントも外した。

 

ふわり、とルナの肩へかける。マントは左右の留め具が留められるようになっているので(まるでお母さんがこんな事があると予想して用意していたかのように)首元で留めてあげた

 

暖かな布に包まれ、ルナは目を丸くする。

 

ルナ 「え……でも……」

虎之助 「ヒーローだから!」

 

虎之助は胸の“S”マークを小さく叩く。けれど。

 

マントを外した瞬間――ふわりと浮いていた体が、地面へ降りた。

 

虎之助 「……あ」

 

どうやら虎之助は、まだマント込みで飛行バランスを取っていたらしい。マントがないと、うまく飛べない。ルナが慌てる。

 

ルナ 「だ、大丈夫なの!?」

 

虎之助は少し寒そうにしながらも、ちゃんと笑った。

 

虎之助 「だいじょうぶ!」

 

そして歩き出す。しっぽをふくらませながら、一歩一歩帰っていく。

 

 一方ルナも、赤いマントへくるまりながら歩いていた。手袋も暖かい。ふとマントを見る。それはまるで、本当にヒーローのマントみたいだった。ルナは小さく呟く。

 

ルナ 「……スーパーマンだ」

 

その頃。

 

八雲邸へ戻った虎之助は、少し鼻を赤くしながら縁側へ辿り着く。紫はすぐ状況を察した。

 

紫 「……誰かに貸したのね」

 

 虎之助はこくりと頷く。寒そうに震えていたが、顔はどこか誇らしげだった。紫はそんな小さなヒーローを優しく抱き上げる。

 

紫 「よく頑張ったわ」

 

すると虎之助は、安心したように紫へ抱きつく。赤いマントは今、人里の少女を温めている。

 

それを思うと、虎之助の胸は少しだけ誇らしかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。