月面都市グラナダ宙域――。
宇宙が、軋んでいた。
黒い裂け目。
空間そのものを引き裂くように現れた“それ”は、常識を超えていた。
通常のワープ現象ではない。
ミノフスキー粒子反応とも違う。
ましてサイコフレーム暴走でもない。
それは、まるで宇宙そのものへ空いた傷口だった。
裂け目の周囲では光が歪み、星々すら引き延ばされて見える。
基地全域へ警報が鳴り響く。
《重力異常増大》
《空間係数不安定》
《観測不能領域発生》
オペレーターたちが混乱する。
『な、なんですかこれ!?』
『こんな現象、データに存在しません!』
『ミノフスキー粒子が……消えてる!?』
その一言で空気が凍った。
ミノフスキー粒子が“消えている”。
あり得ない。
宇宙世紀において、それは空気が突然消えるのと同じだった。
格納庫で、
バナージ・リンクスは息を呑む。
「感応が……届かない……?」
普段なら感じ取れる人の気配。
感情。
意思。
それらが、裂け目の周囲だけ完全に消失していた。
まるで“無”そのもの。
その時。
ヤマト・シンラが低く呟く。
「……虚無だ」
リディが振り返る。
「虚無?」
シンラの表情は険しかった。
これまでの彼からは想像できないほど、強い警戒。
いや――恐怖。
「光の中で見たんです」
「人の意思が届かない場所を」
その言葉に、
アムロ・レイが目を細める。
「……あの時、お前は何を見た?」
シンラは静かに宇宙を見つめる。
「サイコフレームの光に飲まれた時、俺の意識は“境界”へ触れました」
「人の願いが集まる場所」
「その逆側」
彼は拳を握る。
「何もない場所です」
「感情も」
「意思も」
「命の意味すら存在しない」
バナージが震える。
「そんな……」
その瞬間。
黒い裂け目が脈動した。
宇宙が震える。
次の瞬間。
“それ”は現れた。
誰も言葉を発せなかった。
巨大。
あまりにも巨大。
全長はコロニーを超える。
人型に近い。
だが人間ではない。
黒い装甲。
全身へ走る紫黒色の亀裂。
頭部には瞳が存在せず、中央に巨大な空洞だけが開いている。
そして何より異常だったのは――。
存在感が“ない”。
見えているのに、感知できない。
そこにいるのに、“生命”として認識できない。
オペレーターが悲鳴を上げた。
『IFF反応なし!』
『熱源なし!』
『生体反応なし!』
『なのに……存在してる!?』
リディが吐き捨てる。
「なんだよ……あれ……」
その時。
黒き巨人の中央空洞が、ゆっくり発光した。
紫黒色の光。
次の瞬間。
空間が“消えた”。
「っ!?」
爆発ではない。
ビームでもない。
艦隊の一角が、文字通り消滅した。
残骸すら残らない。
存在そのものが削り取られたように。
誰も理解できない。
ただ恐怖だけが広がる。
グレイヴス准将が絶叫する。
『全艦回避!!』
だが遅い。
第二波。
空間消失。
艦隊が次々と消えていく。
バナージが叫ぶ。
『なんなんだよ!!』
『あれは兵器なのか!?』
シンラは首を振った。
「違う」
『え?』
「あれは……“否定”だ」
静かな声。
「命も」
「感情も」
「人の意思そのものを否定してる」
その瞬間。
ハイニューガンダム・レイの残骸が微かに発光した。
紫色の光。
まるで敵へ反応するように。
アムロが目を見開く。
「シンラ!」
シンラも気づいていた。
ハイニューガンダム・レイが、“恐怖”を感じている。
サイコフレームが拒絶しているのだ。
あの存在を。
その時。
黒き巨人から、声が響いた。
直接脳へ流れ込むような感覚。
『……観測完了』
全員が凍りつく。
感情がない。
抑揚もない。
まるで機械。
いや、それ以下。
『人類文明を確認』
『危険因子認定』
『消去を開始する』
リディが顔を歪める。
「はぁ!?」
バナージが怒鳴る。
『勝手に決めるな!!』
だが相手は反応しない。
ただ淡々と宣言する。
『感情は非効率』
『意思は争いを生む』
『ゆえに不要』
その言葉に、シンラの瞳が揺れた。
それは、かつてネメシスを作った者たちと同じ思想。
だが決定的に違う。
こいつには“理解”すらない。
ただ排除するだけ。
アムロが低く呟く。
「まるで……人類そのものの天敵だな」
その瞬間。
黒き巨人の周囲へ、無数の小型機が展開された。
黒い人型兵器。
感応波なし。
熱源なし。
まるで幽霊。
『迎撃部隊だと!?』
連邦軍が反応する。
だが敵機は速すぎた。
一瞬で艦隊へ侵入。
ビームも実弾も効かない。
触れた瞬間、機体が崩壊していく。
「物質分解……!?」
リディが驚愕する。
バンシィが敵機を殴り飛ばす。
だが接触した腕部装甲が崩壊を始めた。
『うおっ!?』
バナージも迎撃する。
だがユニコーンのサイコフィールドが削られていく。
『サイコフレームを……侵食してる!?』
アムロが叫ぶ。
『下がれ! 接触するな!』
だが敵は止まらない。
艦隊が次々と壊滅していく。
その時。
シンラは静かにハイニューガンダム・レイを見つめた。
半壊した機体。
失われたサイコフレーム。
本来、もう戦える状態ではない。
だが。
機体はまだ微かに光っていた。
「……お前も感じてるんだな」
シンラはゆっくり歩き出す。
バナージが止める。
『駄目です!』
『今の機体じゃ!』
「分かってる」
シンラは笑う。
「でも、行かなきゃいけない気がするんです」
リディが舌打ちする。
「ほんと無茶しかしねぇな」
アムロは静かに問う。
「勝てるのか」
シンラは少しだけ考えた。
そして。
「分かりません」
正直な答え。
「でも」
彼は黒い裂け目を見る。
「もしあれが“無”なら」
「俺たちは、“人の光”を見せるしかない」
その瞬間。
ハイニューガンダム・レイの残骸が強く発光した。
紫色の光。
まるで応えるように。
そして宇宙の彼方で。
黒き巨人が、ゆっくりこちらを見た。
空洞の奥で、紫黒色の光が揺れる。
『高次感応反応確認』
『排除優先度、最大』
宇宙が震える。
新たな戦いが、始まろうとしていた。