「さて、芦ノ湖GT予選3日目!」
どんよりとした曇り空の下、芦ノ湖GT予選会場は慌ただしく人が行き来している。
前日までの爽やかな青空は姿を消し、箱根の山々には重たい雲が垂れ込めていた。
天気予報によれば、明日からは本格的な雨になるらしい。無観客で完全配信の姿勢をとるMFGでは、雨が降れば予選が中止となる。すべてのドライバーが同じ環境で走れるよう配慮しているのだ。
スタッフたちもどこか落ち着きがなく、パドック内には独特の緊張感が漂っている。
「予選2日目は9号車の相葉が余りある闘志が空回りして細かいミスを連発、暫定の6位に沈みます」
実況席から聞こえてくる田中さんの声。昨日は相葉先輩のR35が走っていたが、その前を走ったドライバーの動きに感化されたように感じる。
実況の田中さんが言うように、その運転にはいくつものミスが見受けられた。
ブレーキングポイントのズレや、立ち上がりでのアクセルの開け過ぎ……第一戦頃の相葉先輩ならやらないようなミスだ。
今頃、家で落ち込んでるかな……いや、悔しさはその日のうちに晴らすと言っていたから案外何事もなく過ごしてるのかもしれない。むしろ次の決勝へ向けて切り替えているだろう。そういう人だ。
話題は変わり、ただいま1日目に大石先輩が叩き出した数字を超え、新たなレコードタイムを樹立した沢渡の話へ移る。
「芦ノ湖GTから参戦することになった沢渡光輝は、なんと予選レコードタイムを更新。一位の大石を抜きポールポジションを獲得し、優勝候補へと躍り出ています!」
DFM5P型アルピーヌ・A110を操る沢渡光輝の運転は確かにすごかった。
ミッドシップの後輪駆動で最高出力は252馬力。MFG内では決して高出力な部類ではないし、むしろ神15クラスのスーパーカーと比較すれば非力とさえ言える。
それでもレコードタイムを叩き出してしまうのだから、MFGは面白い。
車両スペックでも、最高出力でもなく、ドライバーがどれだけ車を理解し、その性能を引き出せるか。沢渡の走りは、それを証明するような内容だった。
「樹立された驚異のコースレコードは、3日目から出場するドライバーたちに激しいプレッシャーとなって襲いかかるでしょう」
3日目以降から走るドライバーたちの空気感はやはりピリピリしている。
レコードタイム。その数字は単なる記録ではなく、超えなければならない壁だ。他のドライバーたちの顔つきは硬く、どんよりとした曇り空がその重い空気をさらに増長しているようだった。
パドックを歩く人間たちの表情もどこか険しい。
「さぁ、3日目は大谷、そして八潮が登場しますが、私が注目したいのは034号車、城島和也のR34です!」
そんな田中さんの実況をR34の隣で聞く。ドライバーシートには雫が座っていて、エンジンを轟かせながら最後のチェックをしていた。
ヴォォォン、とRB26の排気音が響く。アイドリング音だけでも調子の良さが伝わってくる。
そんな中、白いランボルギーニがパドックへ入ってくる。
「あ、こっちです大石先輩!」
手を振ると、ランボルギーニは俺の隣へ止まり、許可証をぶら下げた大石先輩が降りてくる。事前に申請していたので、関係者入口も難なく通れたそうだ。
「来てくれてありがとうございます」
頭を下げる俺だが、大石先輩はどこか釈然としない様子だった。
大石先輩の予選は1日目で終了していて、現在は暫定2位。予選突破はほぼ間違いない状況であり、ここへ来る理由など本来はない。
大石先輩をここへ呼んだのは俺自身だった。
「いや、別に構わないけど……なんで俺をセコンドブースに?」
当然の疑問である。俺は運転席でチェックしている雫を横目で見てから大石先輩へ説明する。
「雫の父が別件で外してまして」
雫の父である黒木隆之は、今頃は茨城県のJARI城里テストセンターへミカさんと一緒に出向いているはずだ。
今日は組み上げたR33の最高速アタック。
当然記録が出るだろうとミカさんも取材する気満々でついていっているらしい。
あと、前回のMFGの記事はミカさんが独占取材をしたということで、各出版社や電子媒体の情報誌から取材依頼が殺到しているようで、予選後もミカさんから取材を受ける予定となっていたりする。
事情を説明すると、大石先輩は少し呆れた顔になるが……俺の本題は別にあった。
「それと俺の走りを見て欲しくて呼びました」
そう告げると、大石先輩の目が真剣になる。
筑波山。
あの夜、助手席で見せたS2000の走り。
車との対話。タイヤの使い方。ラインの考え方。
それらを知った今だからこそ、大石先輩は俺の言葉の意味を理解していた。
「決勝だと俺とバトルするんだぜ?いいのかよ」
走りを見るということはR34のポテンシャルが丸裸になるということだ。
パープルシャドウの古参からは「レースには情報戦も必要」と、ただがむしゃらに走るだけじゃなく、車のスペックをうまく隠して相手の意表を突くという戦略面も教えてもらった。
だからこそ大石先輩はそう言う。
だが、俺としてはそこら辺はどうでも良かった。
「よくはないでしょうけど……大石先輩には見ておいてほしいんですよ。たぶん、役に立つと思うので」
S2000とR34の走らせ方は違う。
FRと4WD、車重も違うし、パワーの出し方も違う。だからこそ見えるものがある。
その違う点を俺は大石先輩に見てもらいたかった。
それを見れば――この人はもっと速くなって、もっと魅力的な、もっと危険で、もっと観客を熱狂させる……悪魔的なドライバーになるような気がしたから。
その俺の思惑を図り知らぬ大石先輩は、ただ黙って俺を見つめているのだった
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「さぁ、芦ノ湖GT予選!曇り空が広がりますが路面はドライ!問題なく予選は進みます!」
実況席から聞こえる田中の声。厚い雲が空を覆っているものの、路面状態は良好だ。
むしろ気温が下がっているぶん、エンジンにとっては好条件と言える。チェックを終えた雫からゴーサインが出たので出走準備に入る。すでに二人は車から離れてセコンドブースに向かっている。
そうして準備をしていると後ろから声をかけられた。
「よぉ、和也」
振り返ると、そこに立っていたのは八潮 翔だった。
ロータス・エキシージに乗る「ヤジキタ兄妹」の兄。小田原パイクスピーク戦後に行われた相葉先輩主催の打ち上げで色々と話をしたこともあり、顔を見つけて声を掛けてくれたらしい。
「八潮先輩。お疲れ様です。調子はどうですか?」
「ひとまず予選は突破できそうだが、足回りのセッティングが決まってなくてな……」
そう言って八潮先輩は複雑そうな表情を浮かべる。
芦ノ湖GTは小田原パイクスピークほどの高低差はない。その代わりテクニカルセクションが多く、ドライバーの技量やセッティングの差が色濃く出るコースだ。
代表的な高速区間は駅伝ストレートくらい。だからこそ、足回りの仕上がりがそのままタイムへ直結する。
「そうですか。確かにここのコースは足回りのセッティングは難しそうです」
「お前のR34は……いや、それを聞くのは野暮だな」
そう言って無粋なことを聞いたと口を閉ざす八潮先輩だが、俺は普通に答えた。
「雫が言うには、今回はコーナリング性能を伸ばしているそうです」
「……普通に答えるのかよ」
驚いた顔をする八潮先輩。その反応に苦笑しながら、俺はR34へ視線を向ける。白いボディは静かにそこに佇んでいた。
「アップダウンが少なくて、テクニカル。そしてスリッピートラップまであるコースなんで、パワーよりもコーナリング性能に重きを置いたセッティングにしてるそうです。もちろん、ストレートでも戦える戦闘力は最低限維持してますけど」
「潔いセッティングだな……だが、いいのか?俺は敵だぞ」
そう怪訝な顔で言ってくる八潮先輩。パープルシャドウの古参たちなら間違いなく怒るだろう。レースにおいて情報は武器だ。
「妹さんが言ってたじゃないですか。俺たちは全員でMFGを盛り上げるドライバーだって」
北原 望。相葉先輩や夏向に言っていたあの言葉は妙に印象に残っていた。
全員がライバルで、全員が主役、そして全員が最高のパフォーマンスを見せるからこそMFGは成立する。その考え方には共感できる部分があった。
「……」
八潮先輩が黙る。しばらくして。
「……お前、お兄ちゃんなのか?」
真顔でそう聞いてきた。思わず笑いそうになった。
「そうですよ」
ふと、妹のことを考える。
浜崎萌絵。MFGエンジェルスであり、そのパフォーマンスには兄として胃が痛くなることも多い。
だが、どこまでいっても可愛い妹だ。
「八潮先輩の気持ちは痛いほどわかりますから」
そう言った瞬間だった。
ガシッ、と力強く握手される。
「お前、いい奴だな……!」
目が熱い。なんだこの共感。
「予選頑張れよ!」
「あ、はい」
思わずそんな返事しかできなかった。
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八潮先輩と別れ、俺もR34へ乗り込む。
ドアを閉める。静寂。RB26の振動が伝わる。マシンの調子はすごくいい。セッティング後にテスト走行もしたが、第一戦のセッティングから俺好みのものへ変わっているのが分かった。
曲がり、向きが変わり、タイヤが仕事をする。その感覚が手に取るように分かる。
「さぁ、034号車……城島和也のR34がゲートへと入ってきます」
スタッフの案内に従い、スタート地点である芦ノ湖スカイライン箱根峠料金所へ入る。
「小田原パイクスピーク……10位からスタートした初のMFGで、彼はなんと5位にまで躍り出た実力を持っています!6日目に登場する片桐夏向とは別の注目度が集まるドライバーでもあります!」
田中の声にも自然と熱が入る。観客こそいないが配信の向こうでは何千万もの視聴者が見ている。
R34の前では、エンジェルス7番……西園寺 恋がボードを掲げていた。
(あの人……夏向と同じ初出場の人だよね……)
ふとR34のドライバーへ視線を向ける。片桐夏向に夢中なので、かっこいいだとかそういう感情はなかった。
けれど、恋にはその表情……雰囲気に心当たりがあった。
(なんだか顔は似てないけど……)
少し首を傾げる。
(黙ってる時の萌絵さんと雰囲気が似てる……)
特に更衣室でメイクを落とし、お客さんモードが完全にオフになった時の萌絵に。
不思議な感覚だった。
「さぁ、エンジェルス7番が掲げるカウントダウンボードがゼロになった!」
その瞬間。
ドンッ!、とR34が弾かれたように料金所を飛び出す。RB26が咆哮し、四輪が路面を掴む。白いGT-Rは力強く勾配を駆け上がり、そのままセクター1へ挑む。
「それと同時に上がるR34の咆哮!旧時代の怪物が挑む!芦ノ湖GTの始まりです!」
その白い背中を、大石も、雫も、そして多くの視聴者たちも見つめていた。