MF……GODの継承者   作:紅乃 晴@小説アカ

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第七話「開幕戦に向けて」

 

 

MFG、第一戦の予選を10位という順位で終えた俺は、熱を帯びたR34をパドックへと帰還させる。

 

ピットロードへ入った瞬間、周囲から向けられる視線が少し増えたのがわかった。

 

無理もない。

 

旧世代のGT-R……しかもR34。

 

今のMFGでは、すでに“過去の車”として扱われることも少なくないマシンだ。それが初出場で神15入りを果たしたのだから、注目されないほうがおかしい。

 

エンジンを止め、静かになった車内で、小さく息を吐いた。

 

その直後だった。セコンドブースのある建物から、雫がずんずんと大股で歩いてくる。

 

「あああ、アンタねぇ!!」

 

開口一番、それだった。

 

「ああいう走り方するなら前もって話してなさいよ!! バカ!!」

 

「いや、前もって体験させてただろ。ナビシートで」

 

「全然違ったわよ!!」

 

雫は本気で腹が立っているらしく、肩を上下させながらこっちを指差してくる。

 

「もっとこう……流す感じだったじゃない!? あれ、全然レベル違ったんだけど!?」

 

「まぁ、あの時は実際流す程度だったからな」

 

言葉に詰まる雫。悔しいのか、呆れているのか、あるいはその両方なのか。

 

「すんごいムカつく……!」

 

そう言ったあと。

 

「……あと、神15入りおめでと」

 

と、そっぽを向いたまま小さく付け足した。怒っているのか祝っているのか、本当にわからない。その様子を後ろから見ていた黒木隆之が、苦笑しながら口を開く。

 

「まぁまぁ、雫」

 

「だって父さん、あんな走りするなんて聞いてない!」

 

「俺はなんとなく予想してたけどね」

 

「なんで!?」

 

黒木さんはそう言って笑う。

その言葉に、俺は少しだけ視線を逸らした。

 

「それにしても凄い走りだったよ、和也くん」

 

「ありがとうございます。黒木さんにそう言ってもらえると安心します」

 

憧れていた人。画面越しに見ていた存在。そんな人に真正面から褒められると、やはり少し照れ臭い。

 

誤魔化すように頭の後ろへ手を回していると、不意に別方向から声が飛んできた。

 

「ねぇ、ちょっと?」

 

「あ、すいません。ミカさん」

 

取材ブースの方から歩いてきたのは黒木ミカさんだった。そういえば、予選後に少し話を聞かせてほしいと言われていたのを思い出す。

 

だがミカさんは、怒るどころかどこか満足そうな顔をしていた。

 

「初めてのMFGで神15入り。貴方ならやれると思ってたわよ」

 

「今から取材しますか?」

 

そう聞くと、ミカさんはゆるく首を横に振る。

 

「今日は帰りましょ? 雫も疲れてるみたいだし」

 

そう言って娘を見る。さっきまで怒鳴っていた雫だが、言われてみれば確かに疲労の色が濃い。

 

予選中ずっとセコンドとしてモニタリングしてくれていたのだ。緊張もかなりあったはずである。

 

「アナタ、運転お願いできる?」

 

「ああ、任せてくれ」

 

自然に返す黒木さん。それを見たミカさんが、ふっと懐かしそうに笑った。

 

「ん? どうした?」

 

「ちょっと昔を思い出してね」

 

その顔は、本当に昔を懐かしむような表情だった。確か以前、ジュニアカートの選手権で優勝した時に聞いたことがある。

 

二人の出会いの話。

大学時代の合コン帰り。

 

勇気を出して「送ってほしい」と言ったミカさんに対し、若い頃の黒木さんは――。

 

(そういう車じゃないんで)

 

そう言って、自分の愛車へ乗り込み、そのまま湾岸へ走りに行ったらしい。

 

今の姿からは想像しづらい。家族を優先して、自然に気遣って、娘に呆れられるくらいには家庭的になっている。

 

人って変わるんだなと思う。

 

「ちょっと、娘の前でいちゃつくのやめて」

 

げんなりした顔で雫が言う。だがその声にも、どこか安心感が混じっていた。

 

そんな時だった。

 

ふと、周囲の空気が少し変わる。誰かがこちらへ歩いてきているのがわかった。

 

「あの人……」

 

雫が小さく呟いた。

 

「相葉瞬だ。R35のドライバー。今回5位のリッチマンだよ」

 

そう説明されて、視線を向ける。

 

白と黒のR35 GT-R。そのオーナーである相葉瞬。派手さよりも、研ぎ澄まされた雰囲気を感じる男だった。

 

相葉さんは俺の前まで来ると、真っ直ぐ視線を向けてくる。

 

「お前、名前は?」

 

「城島和也です」

 

「……そうか」

 

小さく呟く。まるで、何かを確認するような目だった。

 

「R34には長く乗ってるのか?」

 

「知り合いに、俺は死ぬまでGT-Rだって言ってる人がいて……結構、色々教えてもらったり、乗せてもらったりしてきました」

 

「なんか釈然としない答えだな」

 

苦笑混じりに相葉が言う。

 

「でも走りを見る限り、かなり使い込んでる感じがあったぞ」

 

その言葉には雫も小さく頷いていた。乗り始めて数年程度の人間が、あそこまで自然にR34を振り回せるとは思えない。

 

GT-R特有の重さ。ATTESAの介入。前荷重の作り方。あの走りには、長年乗り続けた人間の感覚が滲んでいた。

 

少し頭の中を整理してから、俺は答える。

 

「基本は同じだと思ってるからです」

 

「基本?」

 

「荷重移動とタイヤの使い方……あとアクセルの感覚です」

 

そう答えると、相葉さんは一瞬だけ目を細めた。

 

そして次の瞬間。ふっと、気持ちのいい笑みを浮かべる。

 

「面白いやつだな」

 

そう言って右手を差し出してきた。

 

「俺は相葉瞬。MFGじゃ先輩だ。困ったことがあったら頼れよ」

 

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

握手を返す。だが、そこで相葉さんの目が少しだけ鋭くなった。

 

「ただレースになれば別だ」

 

GT-Rを愛する者同士。その感情が、言葉の端々から伝わってくる。

 

「GT-Rを駆る者同士……手加減はしない」

 

「望むところです」

 

そう返すと、相葉さんは満足そうに笑って、自分のR35へ戻っていった。

 

「ライバル出現だな」

 

黒木さんが面白そうに言う。

だが俺は苦笑する。

 

「無理に追いつこうとは思いませんよ。今回はMFGに出ることが目的でしたから」

 

「星野さんは満足してくれそうかな?」

 

「自慢話にはなってると思いますよ」

 

そう返すと、黒木さんも「違いない」と笑った。

 

「さ、じゃあ帰りましょ」

 

ミカさんが手を叩く。

 

「和也くんの祝勝会ってことで、何か食べて帰りましょう」

 

その一言で、張り詰めていた空気が少し緩んだ。

 

最初は「私が運転する」と言っていた雫だったが、結局ステアリングを握ったのは俺だった。

 

夜の高速道路。前を走る黒木さんたちの車を追いながら、一定の速度で流していく。

 

ふと助手席を見る。さっきまで怒っていた雫は、いつの間にか静かな寝息を立てていた。

 

緊張が解けたのだろう。

 

無防備なその寝顔を見て、俺は小さく笑った。

 

 

 

 

翌朝。

 

SPEED FACTORY FLAT RACINGでは、リフトに持ち上げられた純白のR34が、工場の照明を反射して鈍く輝いていた。

 

昨日の予選を終えたばかりだというのに、ガレージは朝から慌ただしい。エアツールの駆動音、工具を置く金属音、タイヤラックを動かすキャスターの音が工場内に響く。

 

その中心で、黒木雫はリフトアップされたR34の下へ潜り込み、タイヤとブレーキ周りを細かく確認していた。

 

グローブ越しにタイヤ表面をなぞる。表面温度のムラ。ショルダー部分の摩耗。高負荷時に生じた熱ダレの痕跡。

 

予選での激しい走りを、タイヤそのものが雄弁に物語っていた。

 

「どうだ?雫」

 

奥から歩いてきた父、黒木隆之が声を掛ける。作業着姿のまま近づいてきた父へ、雫は車体下から身体を起こし、小さく首を横に振った。

 

「うん。このタイヤはもうダメ。交換するし……それにブレーキにも大きな負担がかかってる。第一戦は、このままのブレーキで大丈夫だけど、二戦目は無理かな」

 

そう言って、近くにいたスタッフへ視線を向ける。

 

「予備タイヤ、先に組み込んでおいてください。あとブレーキパッドも確認お願い」

 

「了解」

 

スタッフがすぐに動き出す。その様子を横目に見ながら、隆之はスマホへ視線を落としていた。画面には、昨夜MFG運営からオフィシャルリリースされた予選結果と、各車両のレポートが映っている。

 

「しかし驚いたな。レギュレーション違反のタイヤを使っていた選手もいたが……11号車の夏目慎太郎(なつめ しんたろう)のBMW M3がマシントラブルで棄権するとは」

 

「エンジンの異音からクランクシャフトに異常があったんでしょ?」

 

雫は工具を置きながら答える。その言葉に隆之も頷いた。

 

「ダメージを考えると、第一戦を棄権するのは賢明な判断だな」

 

MFGでは、一戦を無理して走り切ることでシーズン全体を失うこともある。特に欧州車勢は高出力化と電子制御の最適化が極限まで進んでいる分、一度バランスを崩すとダメージが深刻化しやすい。

 

隆之はスマホをスクロールしながら、スターティングポジション一覧へ目を通す。

 

その中で、ふと目に止まる一台。

 

15位へ繰り上がったトヨタ86。

 

(繰り上がりで86番が15位か……)

 

自然吸気エンジン。比較的小排気量。絶対的パワーでは、ポルシェやフェラーリ、ランボルギーニといった欧州勢には遠く及ばない。

 

それでも、その車はこの異常なステージへ立っている。ハイテクマシンと大排気量が支配するMFGにおいて、86という存在はどこか異質だった。

 

「他所より、うちのことだよ父さん」

 

雫にそう言われ、隆之は苦笑しながら意識を戻した。視線の先には、リフトへ持ち上げられた白いR34。

 

こちらもまた、別の意味で異質な存在だ。

 

出場車種の中でも圧倒的に古い世代の車。最新の電子制御も、洗練されたラグジュアリー機能もない。

 

だが、その代わりにあるのは、無骨なまでの頑強さと、RB26DETTという怪物じみたエンジンだった。

 

「第二戦でブレーキパッドは、もっと大型のものへ変えるか」

 

隆之は顎へ手を当てる。

 

「幸い、昨日のレースを見たことや、これまでの伝もあって、メーカーからチューニングパーツの提供要望が殺到してるからな」

 

「えぇー……メーカーの広告塔になれってこと?」

 

雫は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「嫌だよ、メーカーのステッカー貼るなんて。だっさいもん」

 

「それは丁重にお断りしてるよ」

 

隆之は肩をすくめる。

 

「MFGの出走車両も、目立ったステッカーは貼らない主義の人たちが多いみたいだからな」

 

その言葉に、雫はほっと息を吐いた。白いR34のボディラインを、安っぽい広告だらけにはしたくなかった。

 

「本戦まであと少し……今からセッティングを弄るとなると、CPUかシステム変更くらいしか無理だよね」

 

「メカチューンの方向変更には時間が足りなさすぎるからな」

 

隆之はそう言って、R34のフロント足回りへ視線を向けた。

 

第一戦仕様のこのGT-Rは、ATTESA E-TSを活かした四輪駆動寄りのセッティング。

 

だが予選で露呈した問題もある。

 

重量級4WD特有のフロント負荷や、タイヤ摩耗、そして高負荷時に出るであろうアンダーステア。もたらされる課題をいかにクリアするかが、この第一戦から問われる形となる。

 

「和也の要望って父さん聞いてる?」

 

「あぁ」

 

隆之は即答した。

 

「トラクションコントロールの無効化と、LSDの介入を弱くしてほしいという話だな」

 

雫は眉をひそめる。

 

「あのコースでトラクションコントロール切るって、かなりしんどいけど……大丈夫なのかな」

 

MFGのコースはサーキットではない。路面μの変化。きつい勾配に荒れた舗装。場所によっては、ほんの僅かな挙動変化が致命傷になる。

 

「まぁ、予選の走りを見る限り、あいつはそういうハイテク機器に気を使ってる印象はあったな」

 

隆之は昨日の映像を思い返す。

 

コーナー進入速度、荷重移動に、絶妙なアクセルワーク。R34という重量級4WDを、まるでFRのように向きを変えながら走らせていた。

 

「城島和也は、車を電子制御に任せて曲げていない。単なる直線でも、車は真っ直ぐ走らない。それを理解してる運転だった」

 

ほんのわずかな路面のうねり。タイヤの潰れ。駆動配分。そういった車が暴れたがる要素を、先回りして抑えている。それはサーキット育ちの綺麗なドライビングとは、少し違う。

 

「和也って……サーキットより、ストリートをよく知ってる気がする」

 

「どうしてそう思う?」

 

「なんとなく」

 

雫はそう答えながら、リフトアップされたR34のフェンダーへそっと触れた。

 

「でも、あれだけの技量を引き出せるってことは……それに見合う労力を払ってる」

 

その言葉には、メカニックとしての実感があった。

 

車は嘘をつかない。触れればわかる。そして、城島和也が操ったR34の痕跡には、彼が積み重ねた時間が宿っていた。

 

「私ね」

 

雫は白いボディを優しく撫でる。

 

「和也の走りに、その労力の重さを感じたの」

 

その言葉を聞き、隆之は満足そうに目を細める。機械だけを見ていては辿り着けない感覚。ドライバーと車、その両方を理解し始めた証だった。

 

「合格だ、雫」

 

短く告げられたその言葉に、雫はきょとんと目を瞬かせ……少しだけ、嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

電話を耳に当てながら、俺は神奈川のアパートのベランダへ出た。夕方の空気は少し湿っていて、遠くを走る車の音がかすかに聞こえる。

 

ワンルームの室内には、机に放りっぱなしの講義資料と、持ち帰ったセッティングメモ。小さな二段仕様の冷蔵庫の上にはコンビニで買ったスポドリ。

 

大学生の一人暮らしらしい、生活感の薄い部屋だった。その静かな空間へ、スマホ越しに甲高い声が突き刺さる。

 

「昔っから、向こう見ずなところはあったけど……まさかここまでとは思ってなかったよ……!」

 

「悪いな、萌絵。好じいちゃんの頼みでさ」

 

電話の向こうで、これ見よがしな長いため息。

 

相手はMFGエンジェルスの一人、浜崎 萌絵。

 

母方の旧姓を使っている……まぁ芸名みたいなものだが、本名は城島 萌絵。

 

つまり、俺の妹である。

 

東京の専門学校へ通うため、現在は都内で一人暮らし中。だからこうして遠慮なく電話を飛ばしてこられるわけだ。

 

「配信見た時の萌絵の気持ち考えたことありますか!?思わず椅子から転げ落ちるところだったんだから!」

 

「そこまで?」

 

「そこまでだよ!全国配信で急に伝説のGT-R復活!とか煽られてさ!?映ったのが実の兄だった時の気持ちわかる!?」

 

「いやぁ」

 

「しかも実況ノリノリだったし!」

 

想像できる。MFGの実況は、盛り上がるネタを見つけると一気にアクセルを踏み込む。R34なんて格好の材料だ。

 

「悪い悪い。お前の本性を言わないから許しておくれ」

 

「今度それ言ったら口を縫い合わせるよ」

 

「うちの妹怖い」

 

「好造おじさんからはエンジェルスになってからずっと揶揄われてるんだから……」

 

電話の向こうで、むぅ……と唸る声。おそらく、自室でクッションでも抱えている。萌絵は一人の時、妙に感情表現が子供っぽくなる癖があった。

 

「萌絵ちゃん最近すごい人気だねぇ〜とか、サイン貰っとこうかな〜とか! 絶対楽しんでるもん!」

 

「好じいちゃん、そう言うの大好きだからな」

 

「なんでお兄ちゃん、好造おじさんのお願いをホイホイ聞いちゃうのかなぁ」

 

「まぁ俺も好じいちゃんのこと好きだからな」

 

すると、電話の向こうが一瞬静かになった。

 

「……そういうことをサラッと言えるお兄ちゃん、萌絵は好きだよ」

 

「お、おう」

 

「今の状況じゃなければ」

 

「結局怒ってんじゃねぇか」

 

「当たり前ですー!」

 

ぷんすか怒る声に、思わず笑ってしまう。

 

昔からこうだ。萌絵は怒っていても、最後まで本気で怒りきれない様子で、そう言ったところを揶揄われたりしていたのもよく覚えている。

 

「大丈夫、大丈夫。本戦で会っても知らんぷりするから」

 

「それはそれで悲しいの!萌絵の心が壊れちゃうの!」

 

「めんどくせぇな、この妹」

 

「萌絵はプライベートについては伏せてるの! エンジェルスは人気高いし……」

 

少しだけトーンが落ちる。

 

東京での一人暮らし。萌絵は今専門学校に通っていて、その傍らでエンジェルス活動をしている。

ファンサービスや、SNSの更新やイベント対応まで含めれば、かなり忙しいはずだ。

 

兄としては、あまり無茶はしてほしくないとも思う。

 

「投票も一位だったもんな。お兄ちゃんも萌絵に一票入れたぞ」

 

「えへへー、ありがと!」

 

一瞬で機嫌が戻る。

我が妹ながら単純である。

 

「あと父さんが、そろそろ精神衛生的に娘の際どい格好を見るのはしんどいから別の仕事も考えてくれって泣いてお願いしてた」

 

「それは聞きたくなかったなぁ!?」

 

絶叫。思わずスマホを耳から離した。

 

「全国放送でうちの娘が……ってめちゃくちゃ落ち込んでたぞ」

 

「やめて!お父さんの情緒を想像すると罪悪感が!」

 

「母さんは?」

 

「かわいいからいいじゃないだって」

 

「強ぇ」

 

「私たちの母さんだしね。最強だよあの人……」

 

心底疲れた声だった。たぶん実家でもその話題で挟まれたのだろう。

 

「と、とにかく!エンジェルスの時の萌絵にはあんまり話しかけないでね!」

 

「わかってますよ」

 

「絶対だよ!?兄妹バレたら絶対面倒くさいから!」

 

「はいはい」

 

「あと他のエンジェルスに、あ、こいつはうちの妹ですとか言ったら……」

 

「口縫われるんだろ?」

 

「そう!」

 

「脅しが物理的なんだよなぁ……」

 

ふふっと、電話越しに笑い声が漏れる。なんだかんだで、萌絵も少し嬉しいのかもしれない。こうやってゆっくり話すのも久々な気がした。

 

「あと、夏休みは茨城帰ってこいよ」

 

「わかってるよー」

 

電話の向こう。東京の小さな部屋で、萌絵がベッドに寝転がって天井でも見ている姿がなんとなく浮かんだ。

 

「父さんも母さんも会いたがってたし」

 

「……うん」

 

少しだけ優しい声。実家を離れて一人暮らししていると、そういう言葉が妙に沁みるのは俺も同じだった。

 

「じゃあ切るぞ。仕事頑張れよ、人気者」

 

「お兄ちゃんもね。死なない程度に」

 

「MFGでそれは難しい注文だな」

 

「R34で暴れてる人が言っても説得力ゼロだからね?」

 

「違いない」

 

通話が切れる。静かになったベランダで、俺は小さく息を吐いた。スマホをポケットへしまい、部屋へ戻る。

 

散らかった机の上には、セッティングメモ。そしてテレビには、録画されたMFGのダイジェスト映像が映っていて、画面の中では、エンジェルス姿の萌絵が笑顔で手を振っていた。

 

「……ちゃんとやってんだな」

 

兄として少し安心しながら、俺は部屋の中へと戻るのだった。

 

 

 

 

その頃、東京。

 

専門学校近くのワンルームで、ベッドへ転がりながらスマホを抱えた萌絵は、ふぅ……と長く息を吐いていた。

 

室内には学校課題の資料、メイク道具、MFG関連のパンフレット。忙しい一人暮らし女子の部屋そのものだ。

 

(真美ちゃんが片桐くんとお兄ちゃんを気にしてたけど……)

 

脳裏に浮かぶのは、エンジェルス仲間の顔。

特に佐藤 真美は妙に勘が鋭い。

 

「あのR34の人、萌絵ちゃんとちょっと雰囲気似てない?」

 

予選が終わった後、更衣室でそう言われた時は、本気で心臓が止まりかけた。なんて鋭い……はみけつの真美とか言われてるのに、その裏にあるのは知性を持った凛々しい女性である。

 

(……うん!あまり深く関わらないほうがいいかな!)

 

兄妹バレ。それだけは避けたい。絶対に面倒くさい。

 

でも、テレビ越しに見た、白いR34。

 

誰より楽しそうに走っていた兄の姿を思い出し、萌絵は小さく笑った。

 

「……ちょっとだけ、カッコよかったんだよなぁ」

 

 

 

 

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