君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百話 僕とボクの決意
宿に到着するまで、ミレーヌは僕の腕を離さなかった。
宿に戻ると、ミレーヌは寝台の端に腰を下ろし、そのまま顔を伏せた。
僕達は、初めて大きく意見が分かれた。
僕は、これ以上犠牲者を出したくない。
ミレーヌは、僕を危険な依頼に向かわせたくない。
どちらも間違っていない。
だからこそ、苦しかった。
部屋の中には、僕達の沈黙だけが落ちていた。
窓の外からは、夜の街を行き交う馬車の音がかすかに聞こえる。
朝はあんなに楽しかった。
手を繋いで街を歩き、果物を食べ、笑い合っていた。
それなのに、今は同じ部屋にいるのに、ほんの少し手を伸ばすことさえ怖かった。
僕はため息をつき、寝台の端に腰かける。
顔を伏せたままのミレーヌに、どう声をかければいいのか分からなかった。
その時だった。
「抱きしめて」
ミレーヌが、小さく呟いた。
「ミレーヌ?」
「ボクを抱きしめて。ユキナが今、何を思ってるのか、ちゃんと教えて」
ミレーヌの声は震えていた。
「それでも決意が変わらなかったら、ボクもちゃんと考える。ユキナと一緒に、あの依頼を受けるかどうか」
「……ミレーヌ」
僕は何も言えなかった。
ミレーヌはゆっくりと顔を上げる。
そして、僕の胸に額を押しつけた。
その肩は、小さく震えている。
僕は、ミレーヌをぎゅっと抱きしめた。
愛しいミレーヌ。
僕だって、君を失いたくない。
僕の中で、ミレーヌがどれだけ大切か。
ミレーヌが僕を想っている以上に、僕もミレーヌを愛している。
でも同じくらい、僕はこんな理不尽を見過ごせない。
三百人。
その一人一人に、家族や友人や恋人がいたはずなんだ。
帰りを待っている人がいたはずなんだ。
朝になれば食卓に並ぶはずだった椅子。
港で船を待っていた誰か。
小さな土産を楽しみにしていた子供。
そんな当たり前の時間が、突然奪われた。
何も悪いことをしていないのに、突然奪われた命がある。
僕は、それをなかったことにはできない。
もしかしたら、痛いくらい強く抱きしめてしまったかもしれない。
でもミレーヌは何も言わず、僕の背中に手を回してくれた。
「僕も本当は怖いよ」
僕は、ミレーヌの髪に顔を埋めるようにして呟いた。
「海の上で巨大な魔物に襲われるなんて、怖くないわけがない。死ぬかもしれない。ミレーヌを悲しませるかもしれない。そう思うと、本当は足がすくむ」
ミレーヌの手が、僕の服を強く掴んだ。
「でも、それ以上に、こんな理不尽を許せないんだ……」
そう呟いて、僕はミレーヌにキスをした。
それは、慰めるためのキスだった。
僕の想いを伝えるためのキスだった。
ミレーヌも、きっと気持ちは同じなんだ。
勇者であるミレーヌは、僕よりもっと辛いはずなんだ。
助けを求める人達を見捨てたくない。
でも、それでも僕を行かせたくない。
その二つの気持ちに挟まれて、ミレーヌは泣いている。
「ボクにとって、ユキナ一人の命のほうが、三百人の命より大切なんだよ」
僕を見つめるミレーヌの瞳に、涙が浮かんでいた。
その言葉は、勇者としては間違っているのかもしれない。
けれど、恋人としては間違っていない。
僕はそう思った。
「それでも、ユキナは行きたいんだよね」
「……うん」
僕は頷いた。
「でも、もう一人では決めない。ミレーヌを置いていかない。行くなら、ミレーヌと一緒に考えて、一緒に決める」
ミレーヌは泣きそうな顔のまま、僕の胸にもう一度額を押しつけた。
「ずるいよ、ユキナ」
「ごめん」
「そんなふうに言われたら、ボクも逃げられないじゃないか」
ミレーヌの手が、僕の服をぎゅっと掴む。
「怖いよ。ユキナを失うのは怖い。でも、ユキナが一人で背負おうとするのは、もっと嫌だ」
僕は、ミレーヌの背中に腕を回した。
「ボクは、まだ嫌だよ。本当は行きたくない。ユキナを危険な場所になんて行かせたくない」
「うん」
「でも、ユキナがどうしても行くなら、ボクも一緒に考える。ボクも一緒に選ぶ」
ミレーヌは涙を拭いながら、僕を見上げた。
「だから、約束して」
「何を?」
「絶対に一人で背負わないで。ボクを置いていかないで。怖いことも、苦しいことも、ちゃんとボクに話して」
その言葉を聞いた時、僕はようやく分かった気がした。
ミレーヌは、危険から逃げたいだけじゃない。
僕が一人で怖さを隠し、一人で正しさを抱えて、勝手に遠くへ行ってしまうことが怖かったのだ。
守るつもりで、僕はミレーヌを置き去りにしようとしていた。
「約束する」
僕は、ミレーヌの手を握った。
「僕は一人で行かない。ミレーヌと一緒に考える。仲間達とも相談する。そのうえで、それでも行くと決めるなら、みんなで行く」
ミレーヌは、まだ泣いていた。
けれど、その目には少しだけ迷いとは違う光が戻っていた。
「……分かった」
小さな声だった。
でも、確かにミレーヌの意思だった。
「ボクも、ちゃんと考える。怖いけど、逃げない。ユキナが一人で背負おうとするのを止めるためにも、ボクはユキナの隣にいる」
僕は、ミレーヌをもう一度抱きしめた。
淡い魔法灯の光が、静かに部屋を照らしている。
僕達はしばらく、何も言わずに抱き合っていた。
恋人として。
そして、これから同じ危険を選ぶかもしれない相棒として。
この夜、僕達は答えを出したわけではない。
けれど、一つだけ決めた。
もう、どちらか一人だけで背負わない。
僕とボクは、これからの道を一緒に選ぶ。