君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百六話 船出
「俺が船長のジョルジュだ。よろしく頼むぜ、冒険者さん」
今回出航するザ・セント号の船長、ジョルジュさんは四十代くらいの男だった。
禿げ上がった頭。日に焼けた肌。太い腕。潮風と荒波の中で生きてきたのだと、一目で分かる屈強な海の男だ。
口には、ヤニという葉巻タバコに似た嗜好品を咥えている。港町では貴重品らしいけど、ジョルジュ船長はそれを当然のようにくわえたまま、僕達を見回した。
今回、護衛として船に乗る冒険者は、僕達六人を含めて三十人ほど。
正直に言うと、面々はあまり良くなかった。
装備はばらばら。鎧の手入れも雑で、酒の臭いを漂わせている者もいる。高額の報酬に釣られた食い詰め者か、他に行き場のない連中なのだろう。
僕達を見る目にも、あまり友好的なものはない。
子供に見える僕とミレーヌ。女性であるシグレさんとセシルさん。そして、ハーフエルフであるクヌートとフェリシア。
鋼級冒険者のペンダントを下げていなければ、きっと最初から侮られていたと思う。
「今回の航海は往復で六十日だ。途中で何か所か港に立ち寄るが、護衛連中は下船できねえ。逃げられたら困るからな」
ジョルジュ船長は、がははははと大声で笑った。
冗談めかしているけど、目は笑っていない。
実際、これまで何度か寄港地で護衛に逃げられたことがあるらしい。海の魔物が出る航路を進むと分かっていれば、怖くなるのも無理はない。
けれど、それでは船を守れない。
船に乗った以上、途中で逃げることは許されない。
「それじゃ、船室に案内するぜ」
ジョルジュ船長に連れられて、僕達は船尾側にある船室へ向かった。
与えられた部屋は、甲板に近い場所にあった。
一見すると待遇がいいようにも見える。けれど、理由は簡単だ。
魔物が現れた時、真っ先に甲板へ出て戦うためだ。
「ここがお前さん達の寝床だ。荷物は適当に置いとけ。盗まれて困るもんは肌身離さず持ってろよ」
「それ、船長が言っていいんですか?」
僕が思わず聞くと、ジョルジュ船長は愉快そうに笑った。
「海の上じゃ綺麗事だけじゃやっていけねえ。盗られて困るもんを置きっぱなしにする方が悪い。もっとも、船員がやったら海に蹴り落とすがな」
冗談なのか本気なのか分からない。
でも、船員達の様子を見る限り、ジョルジュ船長の言葉は軽くないのだろう。
甲板では、船員達が出航準備に追われていた。
太い綱を引く者。帆の具合を見る者。積み荷を固定する者。声が飛び交い、木の床が軋み、港の匂いに潮の匂いが混じる。
僕はその様子を、少しだけ見入ってしまった。
前世でゲームの中では何度も見た光景だ。
だけど、本物はまるで違う。
人がいて、音があって、匂いがあって、足元が揺れる。
画面越しに眺めていた船とは、何もかもが違っていた。
「ユキナ、嬉しそうだね」
ミレーヌが僕の顔を覗き込む。
「うん。船って、こんなふうに動かすんだね」
「ボクはちょっと緊張してるかな。海の魔物が出るんでしょ?」
「うん。でも、僕達が守るんだ」
そう言うと、ミレーヌは少しだけ目を丸くして、それから笑った。
「そうだね。ボク達が守るんだよね」
その笑顔を見て、僕の胸の奥にあった不安が少しだけ軽くなる。
出航前の港は、不思議な空気に包まれていた。
見送りに来た商人達は不安そうな顔でザ・セント号を見上げている。水夫の家族らしき人達もいる。小さな子供が手を振り、船員の一人が照れたように手を振り返していた。
シャムド男爵の姿もあった。
港の一角で、数人の護衛に囲まれながらこちらを見ている。
遠目にも、顔色が悪いのが分かった。
あの人にとって、この船は最後の希望なのだ。
ただの商売ではない。
家も、商会も、信用も、人生そのものも、この船の帰還にかかっている。
「あんた達を雇ったことが、ただの杞憂で終わるといいんだがな」
ジョルジュ船長が、低くそう言った。
そして、ヤニを口の端に寄せると、大きく息を吸った。
「出航だ! 舫いを解け!」
甲板の上で、船員達の怒号が飛び交った。
係留していた太い綱が外される。
帆が広げられ、白い布が風を受けて大きく膨らんだ。
船体が、ゆっくりと揺れる。
一瞬、足元が地面ではなくなったのだと、体が遅れて理解した。
ザ・セント号は港を離れ始めた。
桟橋が少しずつ遠ざかっていく。
手を振る人達の姿が小さくなり、倉庫の並ぶ港町が海の向こうへ後退していく。
フレーベル国最大の港、シュマーゼル港。
その喧騒も、重苦しい空気も、今は少しずつ波音に飲まれていった。
◆◆◆
ザザァ――ザパァ……。
船体が波をかき分ける音が、耳に届く。
僕はしばらく、甲板から海を眺めていた。
青い海がどこまでも広がっている。
空も広い。
街にいた時よりも、ずっと広く感じた。
海の上では、遮るものが何もない。
風が髪を揺らし、潮の匂いが胸の奥まで入り込んでくる。
前世の父さんと母さんのことを思い出した。
僕の体調がいい日、二人はよく海に連れて行ってくれた。
遠くまで歩けるわけでも、長く遊べるわけでもない。砂浜に長く立っていれば疲れてしまうし、少し冷たい風に当たるだけで体調を崩すこともあった。
それでも、二人は僕を外へ連れ出してくれた。
父さんは僕の歩幅に合わせてゆっくり歩き、母さんはすぐ座れるように折り畳みの椅子を持ってくれていた。
海を見ている間だけ、僕は病人ではなく、ただの子供でいられた気がした。
波の音。
潮の匂い。
遠くを行く船。
あの時、僕は海の向こうに行くことなんて、一度も想像できなかった。
ただ眺めるだけだった。
病室の窓からも、ゲームの画面越しにも、僕はいつも世界の外側から見ているだけだった。
でも今は違う。
今、僕はその海の上にいる。
病室の窓から眺めるだけだった世界の中を、本物の帆船に乗って進んでいる。
ザ・セント号は、風を受けて海原を走っていた。
この季節は追い風らしく、帆は大きく膨らんでいる。魔法と船大工の技術で風を効率よく受けるよう設計されているらしく、普通の船よりずっと速いそうだ。
大型船なのに、動きが重くない。
波に乗って滑るように進む姿は、見ているだけで胸が高鳴った。
「ユキナ、寒くない?」
ミレーヌが隣に来て、僕の顔を覗き込んだ。
「大丈夫。ちょっと昔のことを思い出してただけ」
「昔のこと?」
「うん。海を見に行ったことがあってね」
前世の話だ。
でも、それをそのまま言うことはできない。
ミレーヌは少し考えてから、優しく笑った。
「じゃあ、今度は見るだけじゃなくて、ちゃんと旅するんだね」
その言葉に、僕は息を呑んだ。
ミレーヌは、何も知らない。
僕の前世のことも、病室のことも、海を眺めるしかできなかった僕のことも。
それでも、まるで一番欲しかった言葉をくれる。
「うん」
僕は頷いた。
「今度は、ちゃんと旅する」
港はもう遠い。
ザ・セント号は、追い風を受けて青い海原へ滑り出していた。