君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百十一話 フェウの実
「ユキナ、これを食べるといい」
部屋へ戻る途中、褐色の肌をしたクボハさんが、僕に小さな乾燥果実を一つくれた。
杏に似た、オレンジ色の実だった。
「これは何ですか?」
「わたしの故郷の果実で、フェウという。船旅で体調を崩さないように食べるんだ。口に入れておけば、酒を勧められた時の断り文句にもなる」
「断り文句?」
「『薬代わりに食べているから酒は飲めない』と言えばいい。酒の席で真面目に断ると角が立つが、体調のためと言えば引き下がる奴も多い」
なるほど。
それはありがたい。
僕はまだ酒を飲むつもりはないし、飲めと言われても困る。けれど、ただ断れば「付き合いが悪い」と絡まれるかもしれない。
フェウの実を口実にできるなら助かる。
「ありがとうございます」
僕が礼を言うと、クボハさんは豪快に笑った。
「いいってことさ。坊やはああいう連中に混ざるより、こっちで大人しくしていた方がいい」
「坊や……」
少し複雑だった。
周りの女性冒険者達がくすくすと笑う。
ミレーヌも笑っていたけれど、どこか安心したような顔をしていた。
「そこのハーフエルフの兄さんも食べるかい?」
クボハさんがクヌートにもフェウの実を差し出す。
クヌートは一瞬だけ果実を見て、それから首を横に振った。
「俺は酒も博打もやらない。必要ない」
「だから、それが絡まれる理由になるんだよ」
セシルさんが横から口を挟む。
「飲まないなら飲まないで、うまく断る言い訳を持っておきな。正しさだけで押し通そうとすると、余計な敵を作ることもある」
クヌートは不満そうに黙った。
フェリシアがそっと兄の袖を引く。
「兄様。いただいておきましょう。使うかどうかは別として」
「……分かった」
クヌートは渋々フェウの実を受け取った。
その様子を見て、クボハさんは満足そうに頷く。
「そうそう。海の上では、使えるものは何でも使うんだよ」
その言葉は、ロイド教官の教えにも少し似ていた。
僕はフェウの実を一口かじってみる。
甘酸っぱくて、少し薬草のような香りがした。美味しいかと聞かれると少し迷うけれど、体には良さそうだ。
クボハさん達は、僕達をからかいながらも、決して無理に輪の中へ引き込もうとはしなかった。
飲めないなら飲まなくていい。話したくなければ黙っていてもいい。そんな空気がそこにはあった。
荒くれた男達の酒盛りとは違い、ここには誰かを試すような視線がない。
クシャナさんが故郷の海の歌を小さく口ずさみ、パホさんが懐かしそうに目を細める。フェリシアは聞き取れない言葉を時々訳してくれて、クヌートは興味がないふりをしながらも、妹の声だけはちゃんと聞いていた。
船の外では、波が船体を叩いている。
僕達は危険地帯へ近づいている。
そのことを忘れたわけではない。
けれど、こんなふうに誰かの故郷の話を聞いていると、この船に乗っている全員が、ただの護衛や船員ではなく、それぞれ帰りたい場所を持つ人間なのだと思えた。
◆◆◆
怪物や海賊がいつ襲ってくるかは分からない。
だから本当なら、いつでも動けるようにしておくべきなのだろう。
けれど、船の上の時間は長い。
緊張し続けることもできない。
女性冒険者達は、暇を見つけて軽く酒を飲んだり、故郷の話をしたりしていた。昨日のような大きな慰労会ではない。あくまで、身内だけの小さな息抜きだ。
荒れた男達の酒盛りとは違って、そこには穏やかな空気があった。
僕は少し離れたベッドに腰を下ろし、その様子を見ていた。
酒盛りに混ざるのは気が引ける。
でも、一人でいると少し落ち着かない。
そう思っていると、ベッドが小さく軋んだ。
顔を上げると、ミレーヌが隣に座っていた。
「ユキナ。よかったら、ボクと話をしよ」
「もちろんいいよ」
僕は少し場所を空ける。
ミレーヌは嬉しそうに笑って、僕の隣に腰を下ろした。
船室の小さな窓から、夕暮れの光が差し込んでいる。海に反射した橙色の光が、壁や床にゆらゆらと揺れていた。遠くでは女性冒険者達の笑い声が聞こえ、船体を叩く波の音が、その声を柔らかく包んでいる。ミレーヌの緑の髪にも夕日が触れて、いつもより少し落ち着いた色に見えた。
「ボクね、ユキナにお礼が言いたかったんだ」
「お礼?」
「うん。ボクはユキナと一緒にいられて、とっても幸せなんだ。だから、ありがとうって言いたくて」
不意にそんなことを言われて、胸が温かくなった。
「そんなの、僕だって一緒だよ。いつも傍にいてくれてありがとう」
周りの女性達に気づかれないように、僕達はそっと手を繋いだ。
ただ手を触れ合わせるだけで、不思議なくらい安心する。
ミレーヌと一緒にいて、話をして、同じ時間を過ごす。
それだけで、僕には十分すぎるほど幸せだった。
「このクエストが終わったら、どうしようか」
ミレーヌが小さな声で言う。
「まずは無事に帰ることかな」
「それはもちろんだよ。でも、その後」
「ギルドに報告して、報酬を受け取って……それから、ミレーヌのお父さんに挨拶に行きたい」
「お父さん、きっと喜ぶよ」
ミレーヌはそう言って笑った。
僕達はそのまま、夕暮れまで話をした。
故郷のこと。
冒険者になりたての頃のこと。
この航海が無事に終わった後のこと。
窓の外では、海が夕日に染まっている。
船は静かに揺れながら、危険地帯へと近づいていた。
それでも、ミレーヌの手の温かさがそばにあるだけで、僕は少しだけ落ち着いていられた。