君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百十二話 幽霊船
第百十二話 幽霊船
航海開始から十五日が経った。
行きの行程の半分を過ぎた頃、甲板から大きな鐘の音が鳴り響いた。
異常事態発生の合図だ。
船室にいた冒険者や傭兵達が、一斉に立ち上がる。さっきまで酒や賭け事で騒いでいた姿が嘘のように、誰もが素早く皮鎧を身に着け、武器を手に取って甲板へ続く扉へ向かった。
「ユキナ、出番だぞ」
シグレさんが手慣れた様子でブレストプレートを身に着ける。
僕達も急いで装備を整えた。
留め金を合わせるだけで着用できるその鎧は、フレーベルでも一、二を争うガルム武具店の逸品だ。こういう時には、そのありがたさがよく分かる。
僕は剣を腰に差し、ミレーヌの方を見た。
ミレーヌも剣を握り、緊張した顔で頷く。
僕達は甲板へ出た。
潮風が顔を打つ。
そこには、すでにただならぬ空気が広がっていた。
「右舷後方、四時の方向! 不明船! 距離二千マール!」
マストの上から船員が叫び、手旗を振る。
僕は示された方向を見た。
海の向こうに、黒い影があった。
船だ。
だが、様子がおかしい。
ザ・セント号は普通の高速帆船よりさらに速い。積み荷を銀や金に絞って軽くし、魔法の付与された帆で風を効率よく受けている。並の海賊船に追いつかれるはずがなかった。
それなのに、黒い船影は確実に近づいてくる。
「距離千八百マール!」
船員の声に、甲板がざわめいた。
船員達が大型の石弓――前世でいうバリスタに、長い矢を掛け始める。矢の先には油を含ませた布が巻き付けられていた。
「まだ撃つな。千マールまで引きつけろ!」
ジョルジュ船長が怒鳴る。
ザ・セント号は風を読み、帆を調整しながら必死に進んでいる。向かい風を受けても、帆の角度を変え、船体を斜めに走らせることで前へ進む。
船員達の動きに無駄はない。
なのに、不明船との距離は縮まっていく。
「おい……あの船、帆が動いてねえぞ」
誰かが呟いた。
僕も目を凝らした。
確かにそうだった。
こちらが必死に風を読み、帆を操っているのに、あの船の帆はだらりと垂れたまま、ほとんど動いていない。
それでも進んでくる。
まるで、風ではない何かに引かれているように。
船体も不気味だった。
黒ずんだ船腹。
破れた帆。
折れかけたマスト。
どう見ても、まともに航行できる船ではない。
幽霊船。
そんな言葉が、頭をよぎった。
「距離千マール!」
「撃て!」
ジョルジュ船長の合図と同時に、火が点けられた。
バリスタの矢が唸りを上げて飛ぶ。
何本もの火矢が不明船に突き刺さり、破れた帆に炎が燃え移った。
けれど、船は止まらない。
燃えながら、なおもこちらへ向かってくる。
「なんで……どうして」
隣にいた若い船員が青ざめた顔で呟いた。
その時だった。
不明船の下で、海面が大きく盛り上がった。
波ではない。
何かがいる。
巨大な何かが、船の下を押し上げるように泳いでいる。
「なんだありゃ……」
ジョルジュ船長の声から、余裕が消えた。
熟練の船乗りである彼にも分からない。
その事実が、甲板にいた全員の背筋を凍らせた。
黒い船体の下から、硬い鱗に覆われた巨体が姿を現す。
海面を割って、長い首が持ち上がった。
蛇だ。
だが、あまりにも大きい。
全長百メートルはあるのではないかと思うほどの、巨大な海蛇。
誰かが震える声で叫んだ。
「シーサーペント……!」
その背に、あの不明船が乗っていた。
いや、乗っていたのではない。
シーサーペントが、古びた船を背負うようにしてこちらへ近づいていたのだ。
幽霊船に見えたものは、怪物が獲物へ近づくための偽装だった。
巨大な蛇の瞳が、甲板の上をゆっくりとなぞる。
そして、ミレーヌを見つけた瞬間、そいつは笑った。
「ハハハハハッ! 見つけたぞ、勇者ミレーヌ!」
海鳴りのような声だった。
「お前を喰らい、その首を魔王様に献上してやるわ!」
ミレーヌの顔から血の気が引いた。
彼女の手が、僕の手を強く握る。
僕は反射的にその手を握り返した。
ミレーヌが勇者であることを、魔王軍はもう知っている。
そして、こいつは最初からザ・セント号を狙っていた。
僕達が乗っていたから。
ミレーヌが乗っていたから。
この船は襲われたのだ。
その事実が、胸に重くのしかかった。
「勇者ってどういうことだよ!?」
ジョルジュ船長が叫ぶ。
ミレーヌの体がびくりと震えた。
船長の視線が、一瞬だけミレーヌに向く。
責めるような目だった。
けれど、彼はすぐにシーサーペントへ向き直った。
「今はそいつを問い詰めてる場合じゃねえ! 撃て! 撃ち続けろ!」
バリスタが再び放たれる。
火矢が巨大な鱗に突き刺さり、炎が弾けた。
だが、効いていない。
シーサーペントはわずかに首を揺らしただけで、傷らしい傷も見えなかった。
「魔法使い! 援護しろ!」
クヌートとフェリシアが杖を構える。
他の魔法使い達も詠唱を始めた。
だが、シーサーペントの方が早かった。
巨大な口が開く。
水が集まる。
次の瞬間、圧縮された水流が甲板を薙ぎ払った。
「伏せろ!」
誰かが叫ぶ。
船員達はロープにしがみつき、冒険者達は必死に身を伏せた。
けれど、全員が避けられたわけではない。
数人の冒険者が水流に弾き飛ばされ、甲板の端から海へ落ちた。
悲鳴が波音に飲まれる。
シーサーペントの首が、海面へ向かって素早く伸びた。
落ちた一人が、巨大な顎に捕らえられる。
「た、助け――」
叫びは、途中で途切れた。
赤い飛沫が海風に散る。
それを見た船員達の顔から、一斉に血の気が引いた。
「ひっ……!」
誰かがバリスタから離れる。
一人が逃げ出すと、恐怖は一気に広がった。
甲板の上で船員達が逃げ惑う。耳を塞いでうずくまる者もいる。ロープを放り出し、壁際にへたり込む者もいた。
このままでは戦うどころか、操船すらできない。
「馬鹿野郎! 死にたくなかったら船を動かせ!」
ジョルジュ船長の怒声が響く。
「海に飛び込んで食われたいのか! 持ち場に戻れ!」
けれど、一度恐慌に陥った船員達は、すぐには落ち着かない。
シーサーペントの巨大な顔が、こちらへ向く。
まるで獲物を選ぶように。
その視線が、ミレーヌで止まった。
「勇者よ。恐れるがいい」
低い声が、海の上に響く。
ミレーヌは震えながらも、剣を握りしめていた。
戦おうとしている。
分かる。
でも、体が追いついていない。
指先が白くなるほど力を込めているのに、魔法の言葉が出てこない。
無理もない。
勇者だと言われても、ミレーヌはまだ冒険者として経験を積んでいる途中なのだ。
こんな怪物に、最初から平然と立ち向かえるはずがない。
シーサーペントの口元に、再び水が集まる。
「ミレーヌ!」
僕は彼女の前に飛び出した。
逃げなければいけない。
そう分かっている。
でも、ミレーヌは動けない。
なら、僕が守るしかない。
次の瞬間、ウォーターブレスが放たれた。
冷たい衝撃が全身を叩きつける。
息ができない。
体が宙に浮いたのか、甲板に叩きつけられたのかも分からなかった。
ミレーヌの叫び声が聞こえた気がした。
そして、僕の意識は闇に沈んだ。