君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百十五話 氷上の宴
凍らされた海面へ這い上がると、ザ・セント号の甲板から歓声が上がった。
「戻ったぞ!」
「勇者様だ!」
「生きてる! 二人とも生きてるぞ!」
船員達と冒険者達が、信じられないものを見るような顔でこちらを見ていた。
僕とミレーヌの背後では、シーサーペントの沈んだ海が赤く濁っている。
このままでは血の匂いで別の魔物を呼び寄せるかもしれない。
僕は青龍氷牙に頼み、氷を少しずつ広げて赤く染まった海面から離れる道を作った。
ジョルジュ船長が氷の上を駆けてくる。
途中で何度か足を滑らせそうになりながらも、こちらへ辿り着いた。
「あんたら……本当に何者だ?」
その声には、驚きと恐怖と安堵が混じっていた。
けれど、ジョルジュ船長はすぐに首を振る。
「いや、今はそれどころじゃねえな。船の修理が先だ。この氷はいつ溶ける?」
「僕が命じれば、すぐに溶かせます」
「助かる。だが、全部は溶かすな。船腹を見てくれ」
ジョルジュ船長に促され、僕はザ・セント号を見た。
ひどい有様だった。
船体の横に大きな穴が開いている。水面近くの板が砕け、応急修理だけではとても間に合いそうにない。
このまま航海を続ければ、間違いなく沈む。
「すまないが、この穴を氷で塞いでくれ。木材と布で内側から押さえる。その間だけでも持たせたい」
「分かりました」
僕は青龍氷牙を握り、船腹の穴へ意識を向けた。
海面の氷が形を変え、砕けた船腹に張り付いていく。
ただ塞ぐだけでは駄目だ。
波に揺られても剥がれないように、船体の板と板の隙間へ氷を食い込ませる。内側から船員達が木材と帆布で押さえ、外側から僕の氷が固める。
ジョルジュ船長が大声で指示を飛ばした。
「急げ! 板を持ってこい! 帆布もだ! ロープを回せ!」
船員達が動き出す。
さっきまで恐怖で動けなかった者達も、今は必死に持ち場へ戻っていた。
けれど、全員が戻ってきたわけではない。
海に落ちた冒険者達の姿は、もうどこにもなかった。
ジョルジュ船長は一度だけ帽子を脱ぎ、海へ向かって頭を下げた。
船員達も、冒険者達も、短く黙った。
波の音だけが聞こえる。
その沈黙のあと、ジョルジュ船長は帽子を被り直した。
「……生き残った奴は働け。沈んだ奴らに顔向けできねえぞ」
その声に、全員が再び動き出した。
死者を悼む時間は、長くは取れない。
ここはまだ海の上なのだ。
◆◆◆
応急修理が一段落した頃、甲板には重苦しい疲労が漂っていた。
潮と血と汗の匂いが混じり、誰もが青ざめた顔をしている。
生き残った。
けれど、恐怖はまだ体に残っている。
ミレーヌも濡れた髪を押さえ、寒そうに肩を震わせていた。
僕はふと、青龍氷牙を見た。
「青龍氷牙。真水は出せる?」
『無論だ』
頭の中に、落ち着いた声が響く。
僕はミレーヌを見る。
「ミレーヌ。赤龍雷牙で、お湯を作れないかな」
ミレーヌは一瞬きょとんとして、それからぱっと顔を明るくした。
「それ、すごくいいアイデアだよ♪」
空いた樽をいくつも集め、僕が青龍氷牙で真水を満たす。
ミレーヌが赤龍雷牙の熱で、その水をゆっくり温めた。
火を使うよりずっと安全で、船の上でも扱いやすい。
ジョルジュ船長は最初こそ呆れた顔をしていたけれど、湯気の立つ樽を見た瞬間、何も言わなくなった。
「……海の上で湯浴みなんざ、貴族でもそうそうできねえぞ」
「今日は特別です」
僕がそう言うと、ジョルジュ船長は短く笑った。
帆布で簡単な目隠しを作り、男女を分けて交代で体を洗うことになった。
湯と言っても、大きな樽に張った温水を手桶ですくうだけだ。
それでも、潮と血と汗にまみれた体を洗えるだけで、船員達は涙が出そうなほど喜んだ。
「温けえ……」
「生き返る……」
「まさか海の上で湯を浴びられるとはな」
船員達の声が、少しずつ明るくなっていく。
女性陣の方からも、安堵のため息が聞こえた。
ミレーヌも体を洗い終えると、少しだけ顔色が戻っていた。
「ユキナ、本当に助かったよ。体が冷えてたから」
「うん。僕も温まったら少し落ち着いた」
湯は傷を治すわけではない。
死んだ人を戻すこともできない。
それでも、冷えた体を温め、こびりついた恐怖を少しだけ洗い流してくれる。
それだけで、今は十分だった。
◆◆◆
その後、ジョルジュ船長は秘蔵のワインとハム、それに柔らかいパンを出した。
船員達と冒険者達に、少しずつだが行き渡るように分けられる。
それは宴というには、ささやかなものだった。
けれど、誰も文句は言わなかった。
むしろ、温かいスープと一切れのハムを受け取った船員達は、心底ありがたそうに食べていた。
「今日は飲みすぎるなよ」
ジョルジュ船長が低い声で釘を刺す。
「船はまだ直りきっちゃいねえ。見張りも立てる。浮かれるのは、生きて港に着いてからだ」
それでも、空気は少しだけ柔らかくなっていた。
誰かが小さく杯を掲げる。
「戻らなかった連中に」
その声に、皆が静かに杯を上げた。
騒がしい乾杯ではなかった。
笑い声も控えめだった。
けれど、その静かな杯の音には、生き残った者達の重みがあった。
僕とミレーヌも、果物水の入った杯を掲げる。
海風が吹き、凍った海面の上を白い霧が流れていく。
ザ・セント号の船腹には、僕の作った氷がまだ張り付いている。
いつまで持つかは分からない。
この先、無事に港まで辿り着ける保証もない。
それでも今だけは、みんなが少しだけ息をついていた。
温かい湯。
温かい食事。
そして、生きているという事実。
シーサーペントとの戦いで張り詰めていた恐怖と緊張は、完全には消えない。
それでも、少しだけ和らいだ。
こうして僕達と船員達は、海上ではありえない湯浴みと、ささやかな食事を共にした。
死者を悼みながら。
それでも、生き残った者として、明日へ進むために。