君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百十六話 海風
シーサーペントとの激闘から三日後の朝。
目が覚めた僕は、久しぶりに太陽の光を浴びて、ゆっくりと伸びをした。
身体の調子は、思ったより悪くない。
そう思ってベッドから起き上がった瞬間、全身に鈍い痛みが走った。
「……っ」
水中で無理に動いたせいだろう。
肩も腰も脚もこわばっていて、少し動かすだけで筋肉が悲鳴を上げる。体力は戻ってきているけれど、完全に治ったわけではないらしい。
それでも、護衛として雇われている以上、いつまでもベッドの上にいるわけにはいかない。
僕が寝台から降りようとすると、近くの寝台でミレーヌが目をこすっていた。
「ユキナ、おはよう♪」
「ミレーヌ、おはよう」
起きたばかりで少しぼんやりした顔。
手で目をこする仕草。
それが妙に可愛くて、僕は思わず笑みを浮かべた。
ミレーヌは僕の視線に気づくと、少し恥ずかしそうにしながらも、満面の笑顔を返してくれる。
僕達は自然に顔を近づけた。
おはようのキスをしようとして――。
「朝っぱらからお熱いのはいいけどさ。あたい達がいることを忘れないでくれよな」
セシルさんの呆れた声が飛んできた。
はっとして周囲を見ると、女性冒険者達がにやにやと笑っている。シグレさんとフェリシアは困ったように微笑み、クヌートは少し冷たい目で僕を見ていた。
僕とミレーヌは慌てて離れる。
「……甲板に出ようか」
「う、うん」
背中に好奇と呆れの視線を感じながら、僕達は船室を出た。
◆◆◆
甲板へ出ると、海風が頬を撫でた。
空は青く、海は穏やかに見える。
三日前、あの巨大なシーサーペントが暴れ回っていたことが嘘のようだった。
船員達が僕達の姿に気づき、手を休めて笑顔で手を振ってくれる。
「おう、起きられるようになったのか!」
「勇者様とその相棒のお出ましだ!」
「無理すんなよ!」
明るい声が飛ぶ。
シーサーペントから船を守った僕とミレーヌは、ちょっとした英雄扱いをされていた。
けれど、その声を聞くたびに、胸の奥が少し痛んだ。
全員を助けられたわけではない。
三日前の戦いで、海に落ちた冒険者達は戻らなかった。
そのうち何人かは遺体すら回収できず、形見だけが船長の手元に残された。
昨日の夕方、簡単な葬送が行われた。
ジョルジュ船長は全員の前で、死亡した冒険者の名を冒険者ギルドへ報告すること、約束されていた増額分の給金を家族へ送ることを宣言した。
その後、回収できた遺体と遺品は布に包まれた。
ジョルジュ船長が合図を送ると、船員達が静かにそれを海へ下ろしていく。
布が波に触れた瞬間、白く膨らんだ。
それから、ゆっくりと海の青へ沈んでいった。
誰も声を出さなかった。
風の音と、帆の軋む音だけが甲板に残っていた。
航海中に死んだ者は、海に葬られる。
それが船の習わしなのだと聞いた。
けれど、その光景を見た時、僕はどうしても思ってしまった。
もっと早くシーサーペントを倒していれば。
僕がもっと強ければ。
あの人達は、死ななくて済んだのではないか。
「ユキナ」
隣で海を見ていたミレーヌが、そっと僕の手を取った。
「自分がもっと強かったら、あの人達を助けられたのにって思ってるでしょ」
まるで心を見透かされたみたいだった。
幼馴染で、恋人だからだろうか。
僕は誤魔化せず、素直に頷いた。
「……うん」
「ユキナは頑張ったよ。あれ以上のことなんて、誰にもできなかったよ」
ミレーヌは優しく言ってくれる。
でも、僕は首を横に振った。
「でも、助けられなかった。そうだろ?」
ミレーヌの指が、僕の手を握ったまま小さく震えた。
彼女は笑おうとしていた。
けれど、唇の端がうまく上がっていない。
「そうだね。ボクもそう思うし、悔しいよ」
ミレーヌの声が震える。
「ボクがもっと勇者の力をうまく使えれば。もっと早く戦えていれば。そう思ってる」
ミレーヌだって辛いのだ。
勇者の力を思い通りに使えないこと。
自分が狙われたせいで船が襲われたのではないかということ。
その全部を抱えたまま、僕の前では明るくしようとしていた。
ミレーヌの瞳から涙が零れた。
我慢の限界だったのだろう。
僕は何も言わず、ミレーヌを抱きしめた。
腕で彼女の顔を隠す。
波と風の音が、ミレーヌの泣き声を包み込んでくれる。
誰にも聞こえない。
ミレーヌは僕の腕の中で、しばらく泣き続けた。
◆◆◆
「ごめんね。涙で濡らしちゃった」
小一時間ほど経った頃、ミレーヌはようやく顔を上げた。
目元は赤い。
でも、少しだけすっきりしたようにも見えた。
「大丈夫だよ」
僕がそう言うと、ミレーヌは空元気だと分かる笑顔を浮かべる。
僕は、それに騙されたふりをした。
多分、ミレーヌも僕が気づいていることに気づいている。
それでも、今はそれでよかった。
海風が、僕とミレーヌの間を吹き抜けていく。
ミレーヌの緑色の髪がふわりと広がり、風にたなびいた。
彼女は髪を押さえながら、僕を見る。
「ユキナは、海が好き?」
「うん。好きだよ」
「どうして?」
「とても懐かしい気持ちになるんだ」
前世の僕は、身体が弱くて入退院を繰り返していた。
体調が良くなった時、前世の父さんと母さんはよく海に連れて行ってくれた。
泳ぐことはできなかった。
長く歩くこともできなかった。
それでも、砂浜に座って打ち寄せる波を見ているだけで、心が落ち着いた。
海辺の旅館で、お刺身や焼き魚を食べた。
三人で枕を並べて眠った。
父さんも母さんも、僕の体調を気にしながら、それでも楽しそうに笑ってくれていた。
僕は、とても愛された子供だったと思う。
この世界の父さんと母さんも、僕を愛してくれている。
それでも時々、前世の両親のことを思い出す。
僕が死んだあと、二人はどうなったのだろう。
どれほど悲しませてしまったのだろう。
そう考えると、胸が痛む。
けれど同時に、海を見ると少しだけ思い出せる。
自分が確かに愛されていたことを。
僕は幸せな子供だった。
そして今も、ミレーヌと一緒に、この海風の中に立っている。
失った命の重さは消えない。
それでも僕達は、生きて進まなければならなかった。