君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百十九話 下船
それから十日余りの航海を経て、僕達の乗ったザ・セント号は、目的地であるアルスラン帝国のファジア港に到着した。
普通の商船なら五十日はかかる航路らしい。
それを一月足らずで走り抜けたのだから、ザ・セント号はやはり相当な快速船なのだろう。
ファジア港は、東方交易の玄関口と呼ばれる大きな港だった。
アルスラン帝国は大陸の西側に広がる大国で、宝石や香料の産地として知られている。さらに東方のシリカ国、その先にある大国ショウ帝国とも陸路で繋がっており、絹や工芸品、白磁、南方から運ばれる香辛料や香料も、この港に集まってくるのだという。
本来なら、港は商船で埋め尽くされているはずだった。
けれど今は、海の怪物や海賊の被害で航行する船が減っているらしい。倉庫の前には、見慣れない文字の書かれた木箱や陶器の壺、布で包まれた荷が山のように積まれている。
潮風に混じって、香辛料の強い匂いが鼻をくすぐった。
品はある。
けれど、それを運ぶ船が足りない。
そんな港だった。
ザ・セント号が桟橋へ着くと、荷下ろしの人夫達が集まってきた。船員達は積み荷の確認に追われ、ジョルジュ船長も険しい顔で指示を飛ばしている。
ようやく目的地に着いた。
そう思った矢先、僕達六人は船長室へ呼ばれた。
◆◆◆
船長室には、ジョルジュ船長と僕達だけがいた。
しばらくの沈黙のあと、ジョルジュ船長は言いにくそうに口を開いた。
「あんた達には、この港で船を降りてもらう」
ミレーヌの肩が小さく揺れた。
僕はすぐには返事ができなかった。
「あんた達と、ミレーヌお嬢ちゃんが伝説の勇者として魔王と戦っていることはよく分かった。だが、あんな化け物に付け狙われたら、俺達も船も無事にフレーベルへ戻れるか分からない」
ジョルジュ船長の声は重かった。
「俺には、積み荷とこの船を守る責任がある。冒険者ギルドには俺から報告を入れる。あんた達が任務を放棄したわけじゃないとな。片道分にはなるが、正当な報酬も払う」
一見、筋は通っている。
けれど、僕にはその判断が甘くも見えた。
「でも、僕達がもうこの船に乗っていないと、魔王軍が知っているとは限りません」
僕は食い下がる。
「その場合、海の魔物はこの船を襲うかもしれません。僕とミレーヌがいない状態で襲われたら、この船が無事で済む保証はありません」
ジョルジュ船長は黙って聞いていた。
「それに、僕は犠牲者を出さないためにこの船に乗ったんです。途中で投げ出すわけにはいきません」
「ユキナ……」
ミレーヌが不安そうに僕を見る。
それでも、僕は引けなかった。
「僕もミレーヌも、船を降りる気はありません」
ジョルジュ船長は苦渋の表情を浮かべた。
長い沈黙のあと、彼は静かに言った。
「船の上では、船長の命令は絶対だ」
その声に、僕は息を呑んだ。
「悪いが、降りてくれ。帰り道は、もっと海賊に襲われるかもしれない。魔王軍がまた来るかもしれない。そんな船に、世界の希望である勇者を乗せたまま戻るわけにはいかない」
ジョルジュ船長はミレーヌを見た。
その目に、責める色はなかった。
「俺は、こんなところで勇者を失いたくないんだよ」
その言葉で、ようやく分かった。
ジョルジュ船長は、僕達をただ厄介払いしようとしているのではない。
自分達が帰路で沈むかもしれないと分かっている。
それでも、その船にミレーヌを乗せたまま帰るわけにはいかないと思っているのだ。
たとえ自分達が海の藻屑になったとしても、勇者を道連れにはできない。
彼はそう言っている。
僕は何も言えなくなった。
そして、ジョルジュ船長に深々と頭を下げた。
「……分かりました」
「すまない」
ジョルジュ船長はそれだけ言うと、すぐに表情を引き締めた。
「俺は荷の確認に行く。買付用の銀貨や金貨、香辛料の中身、そういうものを見なきゃならん。船長の仕事ってのは、海の上だけじゃないんでな」
そう言い残し、ジョルジュ船長は船長室を出ていった。
◆◆◆
僕達は船長室を出て、空いている食堂の隅で今後の相談をすることになった。
「ボク、迷惑なのかな」
ミレーヌが小さく呟いた。
その瞳に涙が浮かんでいる。
僕は彼女の手をそっと握った。
「そんなことはないよ。船長は、ミレーヌを危険に晒したくないから、ああ言ったんだ」
「でも……ボクがいると、怪物が来るかもしれないんでしょ」
「それはミレーヌのせいじゃない。悪いのは魔王軍だ」
ミレーヌはすぐには答えなかった。
その横顔は、まだ苦しそうだった。
セシルさんが椅子の背にもたれ、頭の後ろで手を組む。
「ま、要するにだ。あたい達の役目は終わったってことさ。いいんじゃない? あたいも船の生活には飽き飽きしてたしさ」
軽い口調だった。
けれど、その声はどこかミレーヌを気遣っているようにも聞こえた。
シグレさんは何かを言いかけて、口を閉じる。
船長が決めたことなら従う。
その瞳を見れば、そう考えているのが分かった。
「まったく、人間というのは勝手なものだ」
クヌートが低く吐き捨てる。
「助けろと言ったり、もう降りろと言ったり。理解に苦しむ」
「兄様」
フェリシアが困ったように兄を見る。
クヌートは不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
シグレさんが立ち上がる。
「下船しろというなら、従うしかない。各自、荷物をまとめよう」
その言葉で、僕達も動き出した。
◆◆◆
冒険者の荷物は少ない。
リュック一つに、毛皮、食器、薬草、着替え。水筒と飯盒。野外で使うナイフ。
それだけをまとめれば、いつでも旅人に戻れる。
僕達は荷物を背負い、長く過ごした船室を振り返った。
狭くて、落ち着かなくて、荒くれ者も多かった船室。
それでもここで、僕達は異国の冒険者達と出会った。
フェウの実をもらった。
ミレーヌと夕暮れまで話した。
海の怪物と戦い、生き残った。
ザ・セント号は、僕達をここまで運んでくれた船だった。
そして今、僕達を乗せてはくれない船になった。
甲板に出ると、ファジア港の乾いた風が吹いていた。
潮の匂いに、香辛料の匂いが混じっている。
船員達の何人かが、僕達に気づいて手を振った。
気まずそうに目を逸らす者もいた。
僕はその全員に、軽く頭を下げる。
ミレーヌも、小さく頭を下げた。
桟橋へ降りる板の前で、僕はもう一度ザ・セント号を振り返った。
船腹には、まだ僕の氷で応急修理した跡が残っている。
この船は本当に帰れるのだろうか。
その不安は消えない。
でも、今の僕達にできることは限られている。
「行こう、ミレーヌ」
「……うん」
僕達は荷物を背負い、ザ・セント号を降りた。
足元の木の板が、船の揺れとは違う硬さを返してくる。
久しぶりの陸地だった。
けれど、その一歩は、思っていたほど軽くはなかった。