君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百二十二話 イリヤル銀貨対クラン銀貨
セシルさんがジョルジュ船長との交渉に向かったのは、昼前のことだった。
僕とミレーヌも同行することになった。
こちらの当事者はミレーヌだし、僕も話を聞いておいた方がいい。シグレさんも見届け役としてついてきてくれた。
港は相変わらず騒がしかった。
船を失ったわけではないのに、仕事を失ったような顔をしている水夫達。
商機を探して走り回る商人達。
倉庫の前で値段をめぐって言い争う男達。
香辛料の匂いと潮風の匂いが混ざり合う中、セシルさんは迷わずザ・セント号へ向かった。
ジョルジュ船長は甲板で帳簿を確認していた。
僕達に気づくと、少し意外そうに眉を上げる。
「来たか。相談はまとまったのか?」
「その前に、条件の話さ」
セシルさんが一歩前に出る。
「勇者ミレーヌが陸にいると分かるように動いてほしい。そう頼んだのはそっちだよね?」
「ああ。頼んだ」
「なら、それは追加依頼だ。こっちはもう船を降ろされてる。元の護衛契約とは別の仕事になる」
ジョルジュ船長は苦笑した。
「やはり、そう来るか」
「当たり前だよ。勇者の名前を使うんだ。安くはない」
セシルさんの声は軽い。
けれど、目は笑っていなかった。
ジョルジュ船長も、それを分かっているようだった。
「いくら欲しい?」
「金額の話もするけど、その前に通貨だね。アルスランのイリヤル銀貨じゃなく、シリカのクラン銀貨で払ってもらう」
ジョルジュ船長の目が細くなった。
「ほう。そこに目をつけるか」
僕は意味が分からず、セシルさんを見る。
「銀貨なら、どちらでも同じではないんですか?」
「同じじゃないよ」
セシルさんは僕に向かって説明してくれた。
「イリヤル銀貨は、このアルスラン帝国の中なら額面通りに使える。帝国の銀貨だからね。でも、外へ持ち出すと両替で叩かれる」
「叩かれる?」
「安く見られるってことさ。最近、イリヤル銀貨は銀の含有量が落ちてるって噂がある。帝国内では皇帝の権威で通用するけど、外国の商人は中身を見る。銀の量が怪しい貨幣は、額面通りには受け取らない」
僕は手元の貨幣袋を思い出した。
銀貨は銀貨。
そう思っていたけれど、そんな単純なものではないらしい。
「じゃあ、クラン銀貨は?」
「シリカ国の銀貨だよ。東西の商人が信用してる。銀の質が安定していて、国をまたいでも目減りしにくい。旅を続けるなら、重いだけの銀貨より、信用のある銀貨を持つべきなのさ」
セシルさんの言葉に、ジョルジュ船長が小さく笑った。
「よく知ってるな」
「貧民街育ちはね、金の価値を知らないと生きていけないんだよ」
その一言に、僕は少しだけ息を呑んだ。
セシルさんは軽く言ったけれど、その知識は本物だった。
彼女はただ陽気で、喧嘩が強くて、場を回すのが上手いだけではない。
金の流れを見ている。
相手の都合を読み、こちらの利益に変える方法を知っている。
もし生まれと育ちが違えば、経済官僚や商会の主にもなれたのではないか。
そんなことを思ってしまった。
ジョルジュ船長は腕を組んだ。
「クラン銀貨は今、港でも取り合いだ。安くはないぞ」
「だから欲しいんだよ」
セシルさんは即答する。
「イリヤル銀貨で貰っても、いずれ帝国を出る時に目減りする。あたい達はこの国に住むわけじゃない。旅を続けるんだ。だったら、どこでも通る金がいる」
「理屈は分かる」
「それに、あんたにも得がある」
「俺に?」
ジョルジュ船長が片眉を上げる。
セシルさんは笑った。
「勇者が陸にいるって噂が広まれば、海に魔王軍の目が向きにくくなる。あんたは海で商売を続けられる。これはただの護衛報酬じゃない。海上交易を守るための費用だよ」
ジョルジュ船長は黙った。
セシルさんはさらに続ける。
「それに、あんたが勇者に協力したって事実は悪くない。もし本当にミレーヌが魔王を倒したら、あんたは勇者に資金を出した船長になる。商人として、その看板は安くないだろ?」
ジョルジュ船長はしばらく無言だった。
やがて、低く笑った。
「まったく。お前さん、本当に冒険者か?」
「今のところはね」
「いいだろう。クラン銀貨で払う。ただし、相場通りにはいかん。こちらも両替商に手数料を取られる」
「もちろん。そこは交渉だね」
セシルさんはにやりと笑った。
そこからは、僕には半分も分からない話になった。
クラン銀貨とイリヤル銀貨の交換比率。
両替商の手数料。
港での相場。
香辛料の値崩れ。
旅費として持ち歩くなら、どの貨幣をどれだけ混ぜるべきか。
セシルさんとジョルジュ船長は、まるで剣で打ち合うように数字をぶつけ合っていた。
しばらくして、ジョルジュ船長が根負けしたように息を吐いた。
「分かった。その条件でいい。クラン銀貨を半分、残りは金貨と少量のイリヤル銀貨で払う。旅の途中で細かい支払いも必要だろうからな」
「悪くないね」
セシルさんは満足そうに頷いた。
「じゃあ、契約成立だ」
ジョルジュ船長は帳簿に短く書き込み、部下に指示を出した。
支払いの準備をするためだろう。
僕はセシルさんを見た。
「すごいですね、セシルさん」
「何が?」
「僕なら、銀貨は銀貨だと思ってました」
「そう思ってる人間から損をするのさ」
セシルさんは肩をすくめる。
「金ってのは、形だけじゃない。中身と信用と、どこで使うかで価値が変わる。剣と同じだよ。見た目が立派でも、折れる剣なら命は預けられないだろ?」
その例えは分かりやすかった。
貨幣も、ただ持っていればいいわけではない。
どこで、誰が、どれだけ信用しているか。
それが価値になる。
「覚えておきます」
僕がそう言うと、セシルさんは少しだけ優しく笑った。
「覚えときな。冒険者は魔物とだけ戦うわけじゃない。値切る商人、誤魔化す両替商、足元を見る宿屋。そういう連中とも戦うんだよ」
シグレさんが小さく頷く。
「確かに、旅を続けるなら必要な知識だな」
ミレーヌも真剣な顔で聞いていた。
勇者として魔王と戦うこと。
それだけでは旅はできない。
宿に泊まるにも、馬車を雇うにも、薬を買うにも、金がいる。
その金の価値を見誤れば、簡単に足元をすくわれる。
ジョルジュ船長の部下が、袋に入った貨幣を持ってきた。
セシルさんは中身を確認し、いくつかの銀貨を手に取って光にかざす。
縁の刻印。
重さ。
色。
僕にはほとんど違いが分からない。
けれど、セシルさんには分かるのだろう。
「うん。問題ないね」
セシルさんは袋を閉じた。
「これで、あたい達はしばらく動ける」
ジョルジュ船長は僕達を見る。
「勇者が陸にいると示す件、頼んだぞ」
「仲間と相談して決めます」
僕が答えると、セシルさんが小さく笑った。
「もう半分は決まったようなもんだけどね。金を受け取った以上、何もしないわけにはいかないさ」
その言葉に、僕は少しだけ苦笑した。
こうして僕達は、ジョルジュ船長から特別手当を受け取った。
イリヤル銀貨ではなく、クラン銀貨を中心に。
その時はまだ分からなかったけれど、この選択が後に大きな意味を持つことになる。
セシルさんの商才が、僕達の旅を救うことになるとは、この時の僕はまだ知らなかった。