君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百二十八話 巨大帝国
アルスラン帝国は、西大陸最大の帝国である。
総人口は九千万人とも言われ、多少の誇張はあるとしても、膨大な人口を抱えていることに変わりはない。
首都アストラハンは百万人が住む西大陸最大の都市であり、帝国の心臓部と呼ばれている。
強大な軍を持つ軍事大国。
だが、度重なる戦争と国庫の浪費、そして深刻な腐敗によって、今では老いた大国とも言われていた。
「かつての栄光よ再び」
そう主張する軍人達を中心とした強硬派と、国家と経済の立て直しを図る穏健派が、宮廷の中でしのぎを削っているらしい。
前皇帝は穏健派だったという。
しかし先日病死し、新たに即位した皇帝は強硬派寄りだと噂されていた。
その皇帝は、実の兄と父親を暗殺したのではないかとも囁かれているが、真偽は分からない。
ただ、皇帝が代替わりしてから、帝国は対外侵略路線へ舵を切りつつあるようだった。
貧富の差も激しくなり、フミン族などの少数民族への迫害も強まっている。
そんな国を旅する僕達にとって、ロッテは表向き、僕達が身元を引き受けた従者という役柄を演じていないと怪しまれるし、検問通過も危うかった。
僕達は、アルスラン帝国の首都アストラハンへ向かっていた。
街道はよく整備されている。さすが巨大帝国と言うべきだろう。けれど領土が広いため、アストラハンまでは一か月ほどかかる旅程だった。
野宿を挟みながらも、馬を休ませるためには定期的に街道沿いの町へ入り、宿に泊まらなければならない。
そのたびに、腹が立つ。
その日も、夕暮れ前に街道沿いの町へ入った。
町の入口には石造りの門があり、槍を持った兵士が荷馬車を一台ずつ確認している。商人達は慣れた様子で通行証を見せ、荷台に積まれた木箱の中身を開いていた。
立派な石畳。
整えられた排水路。
通りの両側には日干し煉瓦の家が並び、遠くには兵舎らしい建物も見える。
帝国の力は、こういう地方の町にも行き届いているのだと思った。
けれど、その整った門の横で、ロッテだけは少し俯いていた。
兵士の視線が、彼女の顔と服に長く留まったからだ。
「そちらの娘は?」
兵士が短く尋ねる。
シグレさんが落ち着いた声で答えた。
「我々が身元を引き受けている従者だ」
兵士はしばらくロッテを見ていたが、やがて興味を失ったように手を振った。
通れ、ということらしい。
それだけのやり取りなのに、ロッテの指先は小さく震えていた。
そろそろ夕暮れだし、今夜は宿で休もう。
そう思って立ち寄った時、宿屋の主人はあからさまにロッテを見下す態度を取った。
「そりゃあ、泊めろと言われりゃ泊めますがね。あまり部屋を汚さないで欲しいものですな」
宿屋の主人は、僕達の荷物を見る時よりも、ロッテの足元を見る時間の方が長かった。
まるで彼女が床を汚すものだと、最初から決めつけているようだった。
「水場には近づけないでくださいよ。あと、台所にも」
何気ない口調だった。
けれど、その言葉は刃物のように聞こえた。
ロッテは何も言わない。
ただ、ミレーヌの後ろに半歩下がり、袖を握りしめていた。
その仕草が、これまで同じことを何度も言われてきたのだと物語っていた。
これでもう何度目だろう。
ロッテがフミンの民だと知った途端、どこの宿でも似たような顔をされる。
結局、宿屋の主人に余分な金を握らせて得た部屋は、装飾品がほとんどない大部屋だった。
盗賊や追剥、貧しい旅人を泊める時、装飾品を盗まれないようにするため、こういう部屋を用意している宿は多いらしい。
「ロッテは何も悪くないのに、この扱いは何だよ……!」
部屋に入った瞬間、僕は怒りを抑えきれずに呟いた。
何度経験しても慣れない。
いや、慣れたくなんてない。
そんな僕の手を、ロッテがそっと握ってくれた。
慣れているから、そんなに怒らないで。
ロッテの瞳は、そう言っているようだった。
「私のために怒ってくれるユキナは、とてもいい人。私は大丈夫」
何が大丈夫なものか。
ロッテの手は震えていた。
ロッテは笑っている。
でも、その笑顔は僕達を安心させるためのものだった。
「よくあることですから」
そう言いかけて、ロッテは途中で口を閉じた。
それを当たり前のこととして言ってしまう自分に、気づいたのかもしれない。
ミレーヌが黙ってロッテの手を握った。
フェリシアも何も言わず、ロッテの肩にそっと布を掛ける。
シグレさんは怒りを押し殺すように目を伏せ、セシルさんは舌打ちを飲み込んだ顔をしていた。
誰もすぐには言葉を出せなかった。
慰めの言葉が、簡単には見つからなかった。
僕がロッテの頭を優しく撫でると、彼女はにこっと笑ってくれる。
けれど、その笑顔を見るほど胸が痛んだ。
本当に悲しい時、人は涙すら流せないのかもしれない。
「お風呂、入りたいね」
ミレーヌが部屋を見回しながら言った。
「でも、この宿には無さそうだよね」
この国では水は貴重品らしく、ほとんどの人は身体を濡れ布や香油で拭く程度らしい。
そこで魔法の出番だった。
フェリシアが精霊魔法で水を生み出すと、部屋の隅に透明な水の浴槽が作られる。
そこへクヌートが水の精霊と火の精霊を同時に使い、程よく温められた湯を注いだ。
海の上では目立つのでできなかったが、宿の一室でまさか風呂に入っているとは誰も思わないだろう。
「それじゃ、入ろっか♪」
ミレーヌがそう言って、ロッテの手を取った。
ロッテは一瞬だけ戸惑ったあと、小さく頷く。
シグレさんも、セシルさんも、フェリシアも、ロッテを安心させるように微笑んでいた。
外では従者。
人前では一歩下がらなければならない。
けれど、この扉を閉めた後まで、そんな顔をさせたくなかった。
せめてこの部屋の中だけでも、ロッテが従者ではなく仲間でいられるように。
僕達は、そう願うしかなかった。