君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜   作:屠龍

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第百三十話 首都アストラハン

第百三十話 首都アストラハン

 

 夜の雲の切れ目から、三日月の弱い光が落ちていた。

 

 その光を受けて、白磁色の城が闇の中に浮かび上がっている。

 

 六層に積み上げられた城は、まるで夜そのものを見下ろすように高く、三重の外郭に守られていた。城壁の上では、金色の竜を描いた旗が風に揺れている。

 

 アルスラン帝国の首都、アストラハン。

 

 西大陸最大の都市と呼ばれるその街は、外から見れば息を呑むほど美しかった。

 

 けれど城門をくぐった瞬間、その印象は少し変わった。

 

 白い城と宮殿が並ぶ貴族街は遠くに見える。だが、僕たちが通された平民街の路地は狭く、湿った石畳には黒ずんだ水が溜まっていた。松明の明かりが揺れるたび、壁の染みや道端に落ちた馬糞が浮かび上がる。

 

 フレーベルだって、決して清潔な街ではなかった。

 

 それでも、この街の臭いは違った。

 

 高すぎる城壁が風を止めているのか、湿気と煙と生ごみの臭いが、路地の奥に沈んだまま逃げ場を失っているようだった。

 

 昼に到着した僕たちは、城門で念入りな検査を受けた。

 

 身分証である冒険者ギルドの証を見せても、門番たちはなかなか通そうとしない。特にロッテを見る目は、露骨だった。

 

 僕は思わず一歩前に出かけた。

 

 その腕を、セシルさんが軽く押さえる。

 

 「そんなに珍しいかい? だったら、これで一杯やって目を休めな」

 

 そう言って、セシルさんは慣れた手つきで銀貨の入った小袋を兵士に握らせた。

 

 門番の態度は、驚くほど簡単に変わった。

 

 さっきまでの疑い深い目は消え、僕たちは何事もなかったかのように通された。

 

 ロッテは何も言わなかった。

 

 それが、かえって僕には苦しかった。

 

 到着が夕方で、城門が閉まる寸前だったこともあり、僕たちは慌てて平民街の宿を取った。

 

 木造三階建ての宿で、一階は酒場になっている。部屋はいつもの大部屋だ。ただ、他の客はいなかった。貸し切りに近い状態なのは、むしろ好都合だった。

 

 夜の酒場は、松明の明かりと人の声で満ちていた。

 

 羊肉の串焼きが炙られる匂い。香辛料。古い木の床に染みついた酒の匂い。酔った男たちの笑い声。どれも初めての街に来たのだと感じさせるものばかりだった。

 

 僕たちは酒場の外れにある、無骨な木製の机に座った。

 

 食事を終えて一息ついていると、宿の主人がこちらに近づいてきた。温厚そうな中年の男で、僕たちの会話を聞いていたのか、流暢なフレーベル語で話しかけてくる。

 

 「お客さんたち、アルスラン帝国は初めてかい?」

 

 「ああ。初めてだよ」

 

 シグレさんが答えると、主人は嬉しそうに笑った。

 

 「そりゃそうだろうな。フレーベルの言葉を聞くのは久しぶりだ」

 

 人懐っこい笑顔だった。

 

 けれど、ただの親切とは思えない。宿屋には多くの旅人が出入りする。情報が集まる場所だ。こちらの懐具合や目的を探るくらいは、商売のうちなのだろう。

 

 ロッテは酒場の隅を見ていた。

 

 そこでは、小柄なフミン族の男が床を拭いていた。客に怒鳴られても顔を上げず、汚れた水の入った桶を抱えて奥へ消えていく。

 

 「この街では、フミン族の人たちも暮らしているんだね」

 

 僕が小声で言うと、ロッテは静かに頷いた。

 

 「はい。主に、汚れ仕事をして暮らしています」

 

 それだけだった。

 

 怒りも、驚きも、嘆きもない。

 

 まるで、それが当然だと言うような声だった。

 

 道の清掃。馬糞やごみの回収。下水や煙突の掃除。そういう仕事を、彼らが担っているのだとロッテは教えてくれた。

 

 僕は何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。

 

 酷い扱いだ。

 

 けれど、そう言うだけなら簡単だった。

 

 ここで暮らしている人たちにとっては、それが毎日なのだ。

 

 「この国じゃ、皇帝陛下が絶対でな」

 

 宿の主人が、ジョッキにビールを注ぎながら言った。

 

 「皇帝の勅令には逆らえない。金が欲しけりゃ、官僚か兵隊になるのが一番だ。商売人には、なかなか厳しい国だよ」

 

 そう言って差し出されたビールを、僕は一口飲んだ。

 

 思わず顔がしかめる。

 

 不味い。

 

 苦いというより、味が濁っている。麦の香りも薄く、喉を通ったあとに嫌な酸味が残った。

 

 「このビールも、麦から作っているのですか?」

 

 「ああ、そうだよ。知らないのかい?」

 

 「いえ……知っているから、少し驚きました」

 

 僕の父は、故郷で酒造を営んでいる。

 

 だから、酒の味には多少覚えがある。もちろん、僕はまだ大人ではないから詳しく飲み比べてきたわけではない。それでも、これは分かる。

 

 このビールは、管理が悪い。

 

 「発酵が足りないと思います。それに、輸送中か保存中にかなり味が落ちていますね。温度も安定していなかったのでは?」

 

 主人の目が変わった。

 

 酔客を見る目ではない。商売人を見る目だった。

 

 「兄ちゃん、ビールの味が分かるのかい?」

 

 「父と一緒に、酒造を手伝っていましたから」

 

 「そうか……」

 

 主人は苦笑して、自分のジョッキを揺らした。

 

 「これでも、前よりはましになったんだ。有志を募って、少しずつ改良してな。だが、良い麦は軍に持っていかれる。保管場所も、今は武器庫と食糧庫だ。残った材料で酒を作って、狭い倉庫で寝かせるしかない」

 

 主人は笑っていた。

 

 けれどその笑い方は、自分の酒を笑っているというより、この国そのものを諦めているように見えた。

 

 「高くすりゃ客は買えない。安くすりゃ、こんな味になる。まったく、商売人には泣ける国だよ」

 

 僕はもう一度、ジョッキの中身を見た。

 

 白い城。巨大な城壁。金色の竜の旗。

 

 外から見たアストラハンは、とても強そうに見えた。

 

 けれど、その足元では、働く人の努力が踏みつけられている。良い物を作ろうとしても、軍や役人に場所も材料も取られてしまう。街をきれいにしている人たちは、感謝されるどころか見下されている。

 

 この国は、本当に強いのだろうか。

 

 ふと、そんな疑問が胸をよぎった。

 

 「それで、兄ちゃんたちは何しにここへ来たんだい?」

 

 主人が笑顔のまま聞いてきた。

 

 その笑顔は柔らかい。だが、目は笑っていない。

 

 やっぱり探りを入れてきた。

 

 酒を勧めたのも、僕たちの口を軽くするためだったのだろう。

 

 僕が答える前に、セシルさんが軽く肩をすくめた。

 

 「あたい達はフレーベルの商売人、ジョルジュって人に雇われててね。アストラハンの相場を調べに来たのさ」

 

 嘘ではない。

 

 少なくとも、完全な嘘ではなかった。

 

 主人は少しだけ目を細めた。

 

 「フレーベルから来た商人か。海の怪物が暴れてるって聞いたが、よく来られたもんだ」

 

 「そこはそれさ。さっき言ったジョルジュって船長のおかげだよ。今のうちに仲良くなっておいた方がいいかもしれないよ」

 

 セシルさんはそう言って、わざとらしく笑った。

 

 そして、机に銀貨を置く。

 

 「あたい達は部屋で飲むよ。酒と食い物を頼む。香辛料のきいた肉と、チーズもつけておくれ」

 

 「毎度あり」

 

 主人は機嫌よく銀貨を受け取った。

 

 その背中を見送りながら、僕たちは視線を交わした。

 

 この街では、迂闊なことは言えない。

 

 白く美しい城の下にあるのは、汚れた路地と、不味いビールと、笑顔で探りを入れてくる宿屋だった。

 

 僕たちは酒と食事を持って、部屋で作戦会議をすることにした。

 

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