君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百三十二話 恩人との再会
内陸に位置する首都アストラハンの朝は寒かった。
夜明け前の冷え込みが、石畳にまだ残っている。路地の端には薄く霜が降り、吐く息が白く濁った。
この街では、路上で眠った者がそのまま朝を迎えられないことも珍しくないらしい。職と暖かな寝床を求めて西大陸最大の都市へ来た者たちが、冷たい路地の片隅で誰にも看取られずに消えていく。
そんな話を、宿の主人は当たり前のように言っていた。
この世界には、社会保障なんて言葉はほとんどない。
それを思うと、実家があり、帰る場所があるのに冒険者という危険な道を選んだ僕とミレーヌは、きっと恵まれた愚か者なのだろう。
そんなことを考えているうちに、僕たちはアストラハンの冒険者ギルドへ到着した。
『白磁の頂き亭』。
名前だけ聞けば優雅な建物を想像してしまうが、実際の外観はむしろ小さな砦に近かった。燃えにくいレンガ造りの六階建てで、壁は厚く、窓は少ない。上から見れば八角形になっているらしい。
アルスラン帝国では、八角形は天上の形を模したものだという。
冒険者ギルドが天国を意味する形をしているというのは、洒落なのか、皮肉なのか。僕には判断がつかなかった。
フレーベルにあった『黄金の獅子亭』とは、規模が二回りほど違う。
けれど、中へ入ると、そこには少し見慣れた空気もあった。依頼の張り出された掲示板。酒場を兼ねた広い一階。武器や革鎧の匂い。朝から仕事を探す冒険者たちのざわめき。
建物の中は、朝だというのに妙な熱気があった。
掲示板の前には、依頼書を睨む冒険者たちが集まっている。武器の手入れをする者、朝食代わりに硬いパンをかじる者、受付の順番を待ちながら仲間と小声で相談する者。誰もがこの街で生きるために、自分にできる仕事を探していた。
張り出された依頼書には、討伐、護衛、荷運び、下水掃除の護衛など、雑多な文字が並んでいる。やはり戦争の影響なのか、兵士がやるべき仕事まで冒険者に流れてきているように見えた。
僕は思わず、フレーベルの『黄金の獅子亭』を思い出した。
あそこにはマリアさんの明るい声があった。ロイド教官の厳しい視線があった。初めて依頼を受ける僕たちを、危なっかしい子供を見るように見守ってくれる空気があった。
けれど、ここは違う。
誰もが余裕なく、誰もが自分のことで精一杯だった。
マリアさんは、元気にしているだろうか。
ふとそんなことを思いながら、僕は冒険者章を出そうとした。
「ヒヒヒ、いらっしゃい」
受付に座っていたのは、受付嬢ではなかった。
白髪の老人だった。
身なりは整っている。だが、目は落ちくぼみ、皺は深く、顔色も悪い。まるで何日も眠らずに怪しい研究を続けていた老学者のようだった。
僕は思わず足を止める。
「あ、すみません。来るところを間違えました」
「ヒヒヒ、間違えておらんよ」
老人が楽しそうに笑った、その時だった。
「もう、ギルドマスター。またお客さんをからかって遊んでいるんですか?」
奥から、呆れたような声が聞こえた。
現れたのは、長い金髪と切れ長の目をしたエルフの女性だった。落ち着いた雰囲気の美女で、動きに無駄がない。
「はじめまして。受付のエレナよ」
エレナと名乗った女性は、老人を横へ押しのけるようにして受付の椅子に座った。
「この方はギルドマスターです。見た目は怪しいですけど、仕事はできますから安心してください」
「見た目は余計じゃぞ」
「余計じゃありません。初対面の冒険者を脅かさないでください」
軽いやり取りだった。
けれど、その空気が変わったのは、エレナさんの視線が僕たちの後ろに向いた瞬間だった。
エレナさんの目が、クヌートとフェリシアで止まる。
最初は、ただ珍しい客を見つけたのだと思った。
けれど、違った。
エレナさんの表情から、受付としての落ち着きが消えていく。目を見開き、唇が震え、何かを確かめるように一歩だけ前へ出る。
その顔から、みるみる血の気が引いていった。
クヌートも同じだった。
普段なら、初対面の相手には少し斜に構えた態度を取る。金の話になれば誰よりも早く反応するし、危険を感じればすぐにフェリシアの前へ出る。
そのクヌートが、動けなくなっていた。
フェリシアはもっと分かりやすかった。胸元で両手を握りしめ、今にも泣き出しそうな顔でエレナさんを見つめている。
この人は、ただの知り合いではない。
僕はその時、ようやく気づいた。
クヌートとフェリシアが、長い間ずっと会いたかった人なのだと。
「……クヌート?」
かすれた声だった。
フェリシアが息を呑む。
クヌートは、まるで昔の名前を呼ばれた子供のように、立ち尽くしていた。
「フェリシア……?」
エレナさんは両手で口元を押さえた。
その目に、みるみる涙が浮かぶ。
僕は慌ててクヌートたちを見た。
二人とも、僕が見たことのない顔をしていた。
「エレナ姉さん……」
クヌートの声が震えていた。
「エレナ姉さま……!」
フェリシアが叫ぶ。
その瞬間、エレナさんは受付カウンターに手をついた。魔法障壁で守られているはずの受付を、まるでそんなものがないかのように身軽に飛び越える。
「クヌート! フェリシア!」
エレナさんは二人に駆け寄り、そのまま強く抱きしめた。
「探したのよ……ずっと、ずっと探していたのよ!」
「エレナ姉さん……!」
「エレナ姉さま!」
三人は、互いに抱きしめ合ったまま動かなかった。
クヌートの顔から、いつもの皮肉めいた表情が消えている。フェリシアはエレナさんの胸に顔を埋め、声を殺すこともできずに泣いていた。
ギルドの中にいた冒険者たちも、最初は何事かとこちらを見ていた。
けれど、誰も茶化さなかった。
ギルドマスターの老人でさえ、さっきまでの怪しい笑みを消して、黙って三人を見守っている。
エレナさんは何度も二人の名前を呼んだ。
まるで、目の前にいることを確かめるように。
クヌートは何かを言おうとして、言葉にならないまま俯いた。フェリシアはエレナさんの服を握りしめ、離れようとしない。
誰かが小さく咳払いをした。
それでも、三人は離れなかった。
冒険者ギルドの一階は決して静かな場所ではない。依頼を探す声、食器の音、椅子を引く音、誰かの笑い声。いつもなら雑音にしか聞こえないものが、その時だけ遠くに退いていた。
フェリシアの肩が震えている。
エレナさんは何度もその背を撫で、クヌートの腕も離そうとしなかった。まるで、少しでも力を緩めたら、また二人がどこかへ消えてしまうと恐れているようだった。
クヌートは泣いていなかった。
けれど、唇を強く噛みしめている。その顔を見て、僕は何も言えなくなった。
彼はずっと、こういう顔を誰にも見せずに生きてきたのかもしれない。
僕たちは、その再会を見守ることしかできなかった。
クヌートとフェリシアにとって、エレナさんはただの親戚ではない。
きっと、二人が森で生き延びるために必要だった、数少ない光だったのだ。