君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百三十三話 森に残った温もり
しばらくして、ようやく三人が落ち着いたあと、僕たちはギルド内にある喫茶室へ案内された。
ギルドの中とは思えないほど静かな部屋だった。壁際には観葉植物が置かれ、窓から入る朝の光が木製の机を照らしている。
さっきまでの冒険者たちのざわめきが、扉一枚向こうに遠ざかっていた。
エレナさんは、まだフェリシアの手を離さなかった。
フェリシアもまた、そこから離れようとしない。いつもの陰のある表情ではなく、迷子の子供がようやく家族を見つけたような顔をしていた。
クヌートも、普段よりずっと静かだった。
「エレナさんは、クヌートとフェリシアの叔母さんになるんですね」
僕がそう言うと、エレナさんはゆっくり頷いた。
「ええ。私の姉が、この子たちの母親です」
その言葉に、クヌートの肩がわずかに揺れた。
フェリシアは俯いたまま、エレナさんの手を握りしめる。
「森では……この子たちは、ずいぶん苦しい思いをしました」
エレナさんの声は穏やかだった。
けれど、その奥には、隠しきれない痛みがあった。
「ハーフエルフというだけで、周りの目は冷たかった。食べるものも、暮らし方も、他のエルフとは違う。森の掟に合わないものは、すぐに異物として見られてしまう」
「エレナ姉さまは、私たちに肉を焼いてくれました」
フェリシアが小さな声で言った。
「森では、それだけでも嫌な顔をされるのに……」
エレナさんは首を横に振った。
「あなたたちが生きるために必要だったもの。嫌な顔をされるからって、食べさせないわけにはいかないでしょう」
その言葉に、フェリシアの目からまた涙が落ちた。
「エレナ姉さまがいなかったら、私たちは生きていませんでした」
「そんなことを言わないで」
エレナさんは、フェリシアの手を両手で包んだ。
「私は、もっとできたはずなの。もっと強く言えたはずなのに……」
「いいえ、エレナ姉さん」
クヌートが静かに言った。
「それ以上庇っていたら、エレナ姉さんまで森にいられなくなっていた。俺たちは、それを望んでいなかった」
いつものクヌートなら、もっと皮肉っぽく言ったかもしれない。
けれど、今の声には棘がなかった。
ただ、エレナさんを気遣う優しさだけがあった。
エレナさんは苦しそうに目を伏せた。
「姉さんは……あなたたちを嫌っていたわけじゃない」
その言葉に、クヌートとフェリシアが揃って顔を上げた。
エレナさんは、何かを飲み込むように一度だけ唇を結ぶ。
「私も、姉さんのすべてを知っていたわけではないの。聞けなかったことも、聞いてはいけない気がしたこともある。でも、これだけは覚えているわ」
エレナさんは、フェリシアの髪をそっと撫でた。
「姉さんがあなたたちを見る目は、疎ましいものを見る目ではなかった。大切なものを見る目だった」
フェリシアが息を詰まらせる。
クヌートは何も言わなかった。
ただ、拳を膝の上で握っていた。
その表情から、何を思っているのかまでは分からない。けれど、今の言葉が簡単に受け止められるものではないことだけは分かった。
たとえ母親が二人を疎んでいなかったとしても。
森で浴びせられた視線も、言葉も、二人の傷から消えるわけではない。
「私があなたたちに優しくしたのは、立派な理由があったからじゃないの」
エレナさんは静かに続けた。
「姉さんが大切にしている子たちだったから。だから、私にとっても大切だった。それだけよ」
その言葉は、派手な慰めではなかった。
でも、だからこそ胸に残った。
エレナさんは差別をなくすために英雄のように立ち上がったわけではない。森の常識をすべて変えられたわけでもない。
それでも、目の前の二人を見捨てなかった。
その事実だけで、クヌートとフェリシアにとっては十分すぎるほど大きかったのだろう。
「俺たちは、もう冒険者として働ける」
クヌートが言った。
「だから、心配しないでくれ。エレナ姉さん」
エレナさんは悲しそうに笑った。
「心配しないなんて無理よ。あなたたちが何歳になっても、私は心配するわ」
「昔からそうだった」
クヌートが小さく笑う。
その笑顔を見て、僕は少し驚いた。
クヌートにも、こんな顔ができるのだ。
フェリシアはエレナさんの肩に寄り添ったまま、久しぶりに安心したような表情を浮かべている。
その横で、ロッテが少しだけ寂しそうにしていた。
いつもフェリシアの隣にいたのはロッテだったからだ。
けれど、フェリシアが笑っているのを見ると、ロッテはすぐに目元を緩めた。寂しさと安堵が混じったような、優しい表情だった。
シグレさんとセシルさんが、そんなロッテの両側に座る。
「寂しいかい?」
セシルさんが小声で聞く。
ロッテは少し迷ってから、こくりと頷いた。
「でも……フェリシアさんが嬉しそうなので、私も嬉しいです」
「いい子だね」
セシルさんはそう言って、ロッテの頭を軽く撫でた。
シグレさんも何も言わず、ロッテの前に温かい茶を置いてやる。
エレナさんは、僕たちの方へ向き直った。
そして、深く頭を下げる。
「皆さん。クヌートとフェリシアのことを、どうかよろしくお願いします」
エルフが、人間である僕たちに頭を下げている。
それがどれほど珍しいことなのか、僕にも少しは分かった。
「頭を上げてください」
僕は慌てて言った。
「二人は、僕たちの大切な仲間です」
「そうだよ。フェリシアもクヌートも、もうボクたちの仲間だから」
ミレーヌも力強く頷いた。
クヌートは照れたように視線を逸らし、フェリシアは小さく微笑んだ。
エレナさんはその様子を見て、少しだけ安心したようだった。
そのあと、エレナさんは森での二人のことを少しずつ話してくれた。
クヌートが幼い頃からフェリシアを守ろうとしていたこと。
フェリシアが、周囲の視線に怯えながらも、兄の後ろに隠れて必死に耐えていたこと。
そして二人が森を出たあとも、エレナさんがずっと消息を探していたこと。
ある時、二人が冒険者になったらしいという噂を耳にしたらしい。
確かな話ではなかった。
それでも、エレナさんはその噂にすがった。
冒険者として生きているなら、どこかのギルドに名前が残るかもしれない。受付として働いていれば、依頼や登録の記録から、いつか二人の消息に触れられるかもしれない。
そう思って、エレナさんはこの白磁の頂き亭で働きながら、ずっと二人を探していたのだという。
「まさか、本当にここへ来てくれるなんて思わなかったわ」
エレナさんは、フェリシアの手を握ったまま小さく笑った。
「でも、諦めなくてよかった」
その言葉に、フェリシアはまた目を潤ませた。
クヌートは、気まずそうに視線を逸らす。
「……心配かけたな」
「本当よ」
エレナさんは少しだけ怒ったように言った。
けれど、その声は優しかった。
フェリシアは、ほとんどエレナさんの手を離さなかった。
僕は、初めてクヌートに会った時のことを思い出していた。
お金にうるさく、損得に敏感で、どこか人を信用していないように見えた少年。
けれど、それはきっと、フェリシアを守るためだったのだ。
金があれば、食べ物を買える。
宿に泊まれる。
薬も、服も、明日の安全も、少しは手に入る。
信じられるものが少なかった二人にとって、お金はただの欲ではなかった。
生き延びるための盾だったのだ。
そう思うと、僕はこれまで見ていたクヌートの姿が、少し違って見えた。
白磁の頂き亭での再会は、ただ懐かしい人に会えたというだけではなかった。
クヌートとフェリシアが、どれほど傷つきながらここまで来たのか。
そして、それでも二人を大切に思ってくれた人がいたのだと知るための時間だった。