君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百三十五話 ロッテの魔法
「ロッテ、本当に読めるの?」
ミレーヌがもう一度尋ねる。
疑っているというより、純粋に驚いている声だった。
壁一面の書棚には、フレーベル国の書物だけではなく、アルスラン帝国、シリカ国、ショウ帝国の本まで並んでいる。
表紙の文字を見ただけでも、僕には読めないものが多かった。
ロッテは書棚の前に立ち、少し緊張したように背筋を伸ばしていた。
「はい。全部読めるわけではありませんけど、読むための魔法なら使えます」
「読むための魔法?」
ミレーヌが首を傾げる。
ロッテは一冊の本を取り出した。
東方のショウ帝国で出版されたものらしい。表紙に書かれている文字は、僕にはまったく読めない。フレーベル文字とも、アルスラン帝国の文字とも違う。
「これは、ショウ帝国の本です」
ロッテはそう言って、机の上に本を置いた。
「普通なら、私は読めません」
「普通なら?」
「はい」
ロッテは本を開き、手のひらをそっとページに添わせた。
その横顔は真剣だった。
さっきまでシャルルさんを見て戸惑っていた少女とは違う。自分にできることを、きちんと見せようとしている顔だった。
小さく息を吸い、ロッテは静かに呪文を唱える。
すると、彼女の瞳が淡い金色に輝いた。
同じ色の光が、本のページを薄く包み込む。
派手な魔法ではなかった。
爆音も、炎も、雷もない。
けれど、その光は紙の上を水のように広がり、見慣れない文字の上でゆっくりと揺れた。
「これで読めるはずです。ユキナさん、読んでください」
ロッテはそう言って、僕に本を手渡した。
当然、僕は東方文字なんて知らない。
半信半疑でページを覗き込む。
そこに書かれていたのは、僕の慣れ親しんだフレーベル国の文字だった。
「えええ!? なんでこうなってるの!?」
思わず声が出た。
「ユキナ、ボクにも見せて」
隣に座っていたミレーヌに本を渡すと、ミレーヌも目を丸くした。
「本当だ……ボクの知ってるフレーベル文字だよ」
ミレーヌは本とロッテを交互に見つめ、首を傾げる。
「これ、さっきまで東方の文字だったよね?」
「うん。少なくとも僕には、そう見えていた」
僕はもう一度、本を覗き込んだ。
やっぱり、フレーベル文字だった。
ロッテは少し恥ずかしそうに笑った。
自慢するというより、今まで地味だと思っていたものを、恐る恐る差し出すような顔だった。
「リードランゲージという呪文です。知らない言語で書かれた単語や文章、記号などを、読み手に分かる形で解読する魔法です」
「本そのものを書き換えてるわけじゃないの?」
ミレーヌが尋ねる。
「はい。文字そのものを変えているわけではありません。読む人の目に、分かる言葉として見えるようにしているんです。効果は一時間くらいなので、読めなくなったら言ってください」
僕たちは顔を見合わせた。
攻撃魔法ではない。
敵を吹き飛ばすわけでも、防御壁を作るわけでもない。
けれど、これはとんでもなく便利な魔法だ。
「凄いな、ロッテは」
僕が言うと、ロッテはぱっと顔を明るくした。
「えへへ……それほどでもありませんよ」
照れるロッテの頭を軽く撫でると、彼女は嬉しそうに肩をすくめた。
その仕草が、実家の妹たちを少し思い出させた。
「いや、本当に凄い」
そう言ったのは、クヌートだった。
ロッテは驚いたようにクヌートを見る。
クヌートは腕を組み、少しだけ視線を逸らした。褒め慣れていないのが丸分かりだった。
「俺やフェリシアも、似た系統の魔法を少しは使える。だが、こういう魔法は自分自身にしか効果がないものが多い。他人にも使える時点で、かなり珍しい」
「そ、そうなんですか?」
ロッテが目を瞬かせる。
「そうだ」
クヌートは短く答えた。
それだけで終わりかと思ったが、彼は少しだけ眉間に皺を寄せたあと、言葉を続けた。
「それに、こういう魔法を地味だと思うな。知らない文字が読めるというのは、それだけで命に関わる。依頼書、地図、警告文、古い記録。読めるか読めないかで、死ぬか生きるかが変わることもある」
ロッテは、ぽかんとクヌートを見ていた。
クヌートは居心地悪そうに視線を逸らす。
「だから……その、何だ。役に立つ魔法だ。胸を張っていい」
不器用な褒め方だった。
けれど、ロッテには十分すぎたらしい。
彼女の頬が、みるみる赤くなる。
「えへへへ……クヌートさんに褒められると、なんだか変な感じです」
「変とは何だ」
クヌートが少しむっとする。
「だって、クヌートさん、あまり人を褒めませんから」
「事実を言っただけだ」
「それでも嬉しいです」
ロッテはそう言って、照れくさそうに笑った。
その笑顔を見て、フェリシアが小さく微笑む。
「兄さんは、褒めるのが下手ですから」
「余計なことを言うな」
クヌートはますます視線を逸らした。
そのやり取りに、部屋の空気が少し柔らかくなる。
ロッテは本を胸に抱えるようにしていた。
守られるだけではない。
自分もみんなの役に立てる。
そう思えたことが、彼女には何より嬉しかったのかもしれない。
「折角だし、一通り読んでおこう」
シグレさんが書棚を見た。
「知識は多い方がいい。特に、これから知らない土地へ向かうならな」
その言葉に、僕たちは頷いた。
情報は冒険者にとって死活問題だ。
たとえば東方を旅していて、見知らぬモンスターに遭遇したとする。
その魔物は人間に敵対的なのか。
単独で動くのか、群れを作るのか。
毒を使うのか、魔法を使うのか。
知能は高いのか、低いのか。
それを知っているかどうかで、生き残れる可能性は大きく変わる。
相手が人間でも同じだ。
言葉が通じない。風習が違う。何が侮辱で、何が礼儀なのかも分からない。
それだけで、争いは起きる。
ここは冒険者ギルドだ。
そして、この部屋の本棚には、各地の情報が集められている。
寝泊まりさせてもらえる間に、一冊でも多く読んでおきたい。
「ロッテ、頼めるかな?」
僕がそう言うと、ロッテは嬉しそうに頷いた。
「はい。任せてください」
その声には、さっきよりも少し自信があった。
ロッテは再び本に手を添えた。
淡い金色の光が、ページの上に広がっていく。
それは戦場で敵を倒す魔法ではない。
誰かを驚かせる派手な魔法でもない。
けれど、知らない国の文字を読み、知らない土地の危険を知り、仲間を先へ進ませるための力だった。
翻訳魔法が使えるロッテとパーティを組めたことを、僕たちはこの時ほどありがたいと思ったことはなかった。