君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百三十八話 善良な人々の殺意
「いやあ、すまんね。すまんね。助かったよ」
追いついてきた店主は、何度も頭を下げた。
口ひげを生やした、見るからに善良そうな小太りの中年の男性だった。
店主は僕とミレーヌの手を取って、何度も礼を言う。
あまりに感謝されるので、こちらが困ってしまうくらいだった。
「いえ、大したことは……」
僕がそう言いかけた時だった。
店主の目が、石畳に転がる少年たちを見た。
石畳の上には、少年たちが落とした果物が転がっていた。
踏まれた果皮が潰れ、甘い匂いが土埃と混じって広がる。
ソーセージには砂がつき、先ほどまで賑わっていた大バザールの喧騒が、そこだけ急に遠ざかったように感じられた。
布張りの屋台の影が風に揺れ、香辛料の匂いだけが妙に強く鼻につく。
最初は、ただ盗人を見つけた商人の怒りだと思った。
けれど、違った。
少年たちの薄茶色の肌に気づいた瞬間、店主の顔から人の温度が抜け落ちた。
さっきまで僕たちの手を握って何度も礼を言っていた、あの柔らかい笑顔が消える。
残ったのは、怒りというより、壊れた道具を処分する時のような冷たさだった。
「フミンのガキか……」
店主の声が低くなる。
「覚悟はできてるだろうな」
そう言って、店主は腰に差していたダガーを引き抜いた。
先ほどまでの善良そうな表情とは違う。
明らかな蔑視と殺意が、その瞳に浮かんでいた。
誰かが棒を拾った。
別の店の男が、商品台の下から短い刃物を取り出す。
通りすがりの女が、子供の手を引いて少し離れた。けれど、止めようとはしない。
それどころか、当然そうなるものを見るような顔で、少年たちを見ていた。
店主一人が怒っているのではない。
この場にいる多くの人間が、フミンの子供ならそうされても仕方ないと思っている。
それが分かった瞬間、僕の背筋が冷えた。
皆じりじりと少年たちを取り囲み、逃がさないと意思表示している。
人の輪が少しずつ狭まっていく。
誰かの靴が石畳を擦る音。鞘から刃物が抜かれる小さな金属音。遠巻きに見ていた客たちが、荷物を抱えて一歩、また一歩と後ずさる。
けれど完全には離れない。
皆、この結末を知っているような顔をしていた。
「ま、待ってください! 何も殺すことはないでしょう!?」
「そうだよ! みんな変だよ!」
僕とミレーヌは、店主たちと少年たちの間に割って入った。
殺意を向けられた少年たちは、怯えながら肩を寄せ合ってうずくまる。
さっきまで僕に噛みつくような目を向けていたリーダー格の少年でさえ、もう強がっていなかった。
腕を押さえられたまま、必死に息を殺している。
仲間の一人は、落とした果物に手を伸ばそうとして、店主のダガーを見るなり手を引っ込めた。
もう一人は泣きそうな顔で、何度も首を横に振っている。
盗みをした子供たち。
それは間違いない。
でも、目の前にいるのは、死を覚悟した悪党ではなく、殺されるかもしれないと怯える子供たちだった。
この雰囲気は、ただ事じゃない。
善良そうな人たちを、ここまで残酷な目に変えてしまうほど、フミンの民は恨まれているのだろうか。
このままだと、少年たちは殺されてしまう。
「旅人さん、邪魔をしないで貰えないか?」
店主が、ダガーを手に近づいてくる。
「ここには、ここのルールってものがあるんだ」
その声は、あくまで静かだった。
静かだからこそ、怖かった。
邪魔をすれば、僕のことも刺しかねない。
だけど、僕はこの少年たちを見殺しにはできない。
僕は、誰かを助けるために、この世界で二度目の人生を歩んでいるのだから。
「くっ……」
僕は剣の柄に手をかけた。
ここでこの人たちを斬り倒して、少年たちを逃がすことはできる。
けれど、そんなことができるはずもない。
店主たちにも生活がある。
盗みを許せと言うのも違う。
でも、殺していいはずがない。
ミレーヌも、僕の隣で剣の柄を握りしめている。
僕たちと店主たちの間で、空気が張り詰める。
乾いた風が、屋台の布をぱたぱたと鳴らした。
さっきまであれほど騒がしかったバザールなのに、今は周囲の息遣いまで聞こえそうだった。
ミレーヌの手が、剣の柄を握る。僕の指先にも力が入る。
けれど、抜けば終わりだ。
誰かが倒れ、誰かが血を流し、この街で僕たちはただの旅人ではいられなくなる。
その予感だけが、喉の奥に重く詰まっていた。
その時だった。
「双方、剣をおさめてくれんか」
しわがれた声が、空気を割った。
人垣が、自然に割れた。
誰かが命じたわけではない。
けれど、その老人が歩いてくるだけで、商人たちは一歩ずつ道を空けていく。
そこに立っていたのは、冒険者ギルドのギルドマスターだった。
朝に見た時は、ただ怪しいだけの老人に見えた。
けれど今は違う。
あの奇妙な笑みは消え、落ちくぼんだ目の奥には鋭い光があった。
この街で長く生き、誰がどこまで踏み込めば止まるのかを知っている者の目だった。
「冒険者ギルドマスター……」
店主がその姿を見て、ダガーを鞘に収める。
周りの人たちも、渋々と武器を下げて道を開けた。
どうやら、彼はこの街の顔役のようだった。
「こいつらはうちの商品に手を出したんだ。殺されて当然だろう」
店主が少年たちを指差す。
少年たちはますます身を縮めた。
ギルドマスターは、それを見て平然と笑う。
そして、指を三本立てた。
「こやつらが盗もうとした品は、わしが三十倍の値段で買い取ろう。それでどうじゃ?」
「三十倍!?」
店主が目を見開く。
周りの人たちもざわついた。
どうやら、ギルドマスターは少年たちが盗んだ商品を、三十倍の値段で買い取るつもりらしい。
「フミンのガキなんぞ、いつでも殺せるじゃろ? 悪い取引ではないはずじゃ」
そう言って、ギルドマスターはヒヒヒと気味の悪い笑いを浮かべた。
その言葉に、僕は思わずギルドマスターを見た。
本気で言っているのか。
それとも、この場を収めるために、あえて店主たちの言葉で話しているのか。
僕には分からなかった。
店主はしばらく考えていたが、やがて頷いた。
「……わかった。三十倍の値段で手を打とう」
ギルドマスターは銀貨の入った袋を店主へ手渡した。
店主はそれを受け取ると、少年たちを一瞥する。
「次はないぞ」
低い声でそう言い残し、店の中へ戻っていった。
周囲の人たちも、少しずつ散っていく。
殺気が薄れていくにつれて、僕はようやく息を吐いた。
けれど、胸の奥の嫌な感覚は消えなかった。
盗みは悪い。
それは間違いない。
けれど、盗んだのがフミンの子供だと分かった瞬間、善良そうな人々は殺意を向けた。
この街には、そういうルールがある。
僕はその事実を、真正面から見せつけられていた。