君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百四十話 謎の老人
「ついてきなさい」
オットーさんはそう言って、僕たちを手招きした。
僕とミレーヌは顔を見合わせる。
勇者ミレーヌ。
その言葉が、耳の奥に残っていた。
ただの勘で言ったわけではない。
オットーさんは、明らかに何かを知っている。
それが僕たちにとって助けになるものなのか、それとも危険なのか。
まだ判断できなかった。
ミレーヌも、いつものように笑ってはいなかった。
僕の隣を歩きながら、無意識に剣の柄に近い位置へ手を下ろしている。
その仕草だけで、彼女も警戒しているのだと分かった。
僕たちは、胡散臭さしかない老人の後をついていく。
案内されたのは、白磁の頂き亭の奥にあるギルドマスターの部屋だった。
部屋の前には、ブレストプレートアーマーを着込んだ屈強な男が二人立っている。
見張りの冒険者だろうか。
彼らは僕とミレーヌを油断なく見つめていた。
下手な動きを見せれば、即座に襲いかかってくる。そんな空気がある。
「これこれ。この二人は客人じゃ」
オットーさんがそう言うと、見張りの二人は姿勢を戻した。
片方がドアノブを回し、ギルドマスターの部屋の扉を開く。
オットーさんは軽く手を振って、僕たちを中へ招いた。
部屋に入った瞬間、空気が変わった。
耳の奥が少し詰まるような、魔法特有の張り詰めた感覚がある。
おそらく、沈黙の呪文がかけられているのだろう。
部屋の中の会話は、外に漏れないようになっている。
「ヒヒヒ。取って食いやせぬ。座りなさい」
オットーさんが手を振る。
すると、白磁の高価なティーセットと、皿に乗った焼き菓子が空中に現れた。
金塊のような台形の形をした、前世で見たフィナンシェに似た菓子だ。
ティーセットはふわふわと浮かび、僕とミレーヌの前のテーブルへ静かに降りる。
紅茶が注がれた。
香りだけで、高価な茶葉だと分かる。
「儂は人間を信用せぬのでな。給仕はこやつらに任せておる」
オットーさんがそう言う。
目には見えないが、魔法生物のようなものを使役しているのだろう。
「いただきます」
ミレーヌがお菓子に手を伸ばそうとしたので、僕はそっと手で制した。
先に僕が、紅茶とフィナンシェに口をつける。
毒見だ。
何も異常はない。
僕が頷くと、ミレーヌも少しだけ緊張を解いて紅茶を飲んだ。
フィナンシェは、薄く切ったアーモンドのような豆が散らされていて、甘く上品な味だった。
「ヒヒヒ……美しく育ったのう、ミレーヌ。儂のことは覚えておらぬじゃろうな」
「ボクを知ってるんですか?」
ミレーヌが戸惑ったように尋ねる。
オットーさんは、懐かしそうに目を細めた。
「よく知っておるとも。勇者マリータの娘。わしらの大切な親友が産んだ子供じゃからな。小さい頃には、何度も抱き上げさせてもらったものじゃ」
「お母さんの……親友?」
ミレーヌの声が揺れた。
マリータさん。
ミレーヌの母親であり、かつての勇者。
その名を、この老人は懐かしそうに口にした。
僕は改めてオットーさんを見る。
胡散臭い老人。
けれど、ただの老人ではない。
この人は、ミレーヌの母を知っている。
そして、ミレーヌが勇者であることも知っている。
「で、ミレーヌ。お前さんたち、恋人なんじゃろう?」
「え、あ、その……」
「いえ……まあ、その……」
いきなり何を聞いてくるんだ、この人は。
僕とミレーヌは、揃って言葉に詰まった。
オットーさんは、人をからかうように喉を鳴らす。
「ヒヒヒ。若いのう」
恥ずかしくて視線を逸らした僕に、オットーさんの目が向いた。
そうして楽しそうに笑った後、今度は懐かしそうに語りだす。
それは、悲しい過去を思い出す顔というより、楽しかった頃を思い出す表情だった。
大切な人を亡くした者だけが見せる、懐かしさと痛みが混じった表情。
そういうものが、そこには浮かんでいた。
「マリータは、よく笑う女じゃった」
懐かしむ声に、先ほどの軽口はない。
「よく笑い、よく食べ、よく飲み……よく泣く女じゃった。わしらは何度マリータの笑顔に助けられたか分からん」
オットーさんの言葉に、僕とミレーヌは聞き入る。
ミレーヌにとって、それは幼い頃に失った母親の記憶だった。
「勇者などと言われておったが、本人にそんな自覚はまるでなかったじゃろうな。ただ、誰かの涙を放っておけぬ女。そして娘を誰よりも愛していた女じゃったよ」
「お母さんは……ボクを愛してくれていたの?」
「あれが愛でないなら、儂は神など信じぬよ」
その言葉に、ミレーヌは何も言えなかった。
オットーさんの笑みが、少しだけ変わる。
彼はしばらく黙って、今度は僕を見ていた。
紅茶の湯気が、白磁のカップから細く立ち上っている。
部屋の外の音は聞こえない。
沈黙の魔法のせいで、ここだけが世界から切り離されたようだった。
その静けさの中で、オットーさんの目だけが妙にはっきりしていた。
「……お主、ずっと自分のことを疑っておるな」
僕の指が止まった。
「何の、ことですか」
「とぼけんでよい」
オットーさんは、笑わなかった。
「お主も転生者じゃろう?」
心臓が跳ねた。
胸が苦しくなる。
どうして、この老人はそんなことを言うのか。
そもそも、どうしてその事を知っているのか。
「ユキナ?」
ミレーヌが、僕の顔を覗き込む。
ミレーヌは何かを聞きたそうにしていた。
けれど、僕が目を逸らしたせいか、それ以上は踏み込んでこない。
その優しさが、かえって胸に痛かった。
いつか話さなければならない。
そう思っていた。
でも、今ではなかった。
少なくとも、こんな胡散臭い老人の前で暴かれる形ではなかった。
別に、悪いことをしているわけじゃない。
悪いことをしているわけじゃないのに。
ずっと考えていた。
僕がこの世界に転生した時、本来この身体の持ち主だったユキナという少年は、どこへ行ったのだろう。
僕が前世の記憶を思い出したのは、四歳の頃だった。
四歳より前の記憶は、確かにある。
父に抱き上げられたこと。
母に熱を測られたこと。
ヤオたちと友達になって。
ミレーヌと初めて会った日の光。
けれど、それは本当に僕の記憶なのだろうか。
僕がそう思い込んでいるだけで、本当は別の誰かの場所に、後から入り込んだだけなのではないか。
僕が、ユキナ君の身体を乗っ取ってしまったのではないか。
そう考えるたび、胸の奥が冷たくなった。
誰にも言えなかった。
ミレーヌにさえ、言えなかった。
「……どうして、そのことを?」
僕は震える声で尋ねた。
オットーさんは紅茶を啜り、ゆっくりとカップを置く。
そして、いたずらっ子のように笑った。
「ヒヒ……儂も転生者じゃからな」
その言葉に、僕は息を呑んだ。
ミレーヌも、驚いたように目を見開く。
部屋の中の空気が、音もなく変わった。
僕は、目の前の老人が急に遠い存在に見えた。
この世界で初めて出会った、僕と同じ秘密を持つ人間。
その事実を、すぐには受け止めきれなかった。
そんな僕たちを見て、オットーさんはいたずらっ子のように笑っていた。