君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百四十五話 母の願い
「二人の父親は、おそらく人間の戦士じゃ」
オットーさんは、ゆっくりと話し始めた。
「名は残っておらぬ。だが、少なくとも母親を傷つけた男ではない。二人の母は、その男を憎んではおらなんだ」
「それって……」
ミレーヌが小さく呟く。
オットーさんは、あえてそれ以上をはっきりとは言わなかった。
けれど、言いたいことは分かった。
クヌートとフェリシアは、憎しみの中で生まれた子ではない。
母親が望まないまま産んだ子でもない。
二人は、少なくとも母親にとって、大切な子供だったのだ。
「母親は二人を疎んでなどおらん。むしろ、必死に守ろうとした」
オットーさんは続ける。
「じゃが、エルフの里は二人を受け入れなかった」
「ハーフエルフだからですか?」
僕が尋ねると、オットーさんは頷いた。
「それもある。人間の血を引く子。人間との関わりを示す子。そして、魔王との戦いの火種になりかねぬ子。エルフたちにとっては、里に災いを呼ぶ異物に見えたのじゃろう」
「そんな……」
ミレーヌが拳を握る。
「子供なのに」
「子供だからこそ、排除しようとする者もおる。愚かなことじゃがな」
オットーさんは苦々しく言った。
「二人を庇ったのは、母親と、エレナだけじゃった」
エレナさん。
あの時、クヌートとフェリシアを抱きしめて泣いていたエルフの女性。
二人があれほど懐いていた理由が、ようやく分かった気がした。
「エレナは、姉が二人を大切にしていることを知っておった。だから自分も二人を守ろうとした。だが、里の空気は簡単には変えられん」
「それでも、お母さんとエレナさんがいたなら……」
僕は言いかけて、言葉を止めた。
それなら、なぜ二人は森を出なければならなかったのか。
なぜ、乞食同然の暮らしをすることになったのか。
その疑問が、胸の奥で膨らんでいく。
オットーさんは、その疑問を分かっていたようだった。
「二人の母親もまた、魔王の呪いを受けていた」
部屋の空気が、重く沈んだ。
「魔王の呪い……」
ミレーヌが震える声で繰り返す。
マリータさんと同じ言葉だった。
「なぜ、クヌートとフェリシアのお母さんまで……」
「彼女もまた、かつて魔王との戦いに関わった一人だったからじゃ。深くは語れぬ。だが、あやつは無関係な女ではなかった」
オットーさんはそこで一度、目を伏せた。
「呪いは身体を蝕んでおった。長くは生きられぬ状態だった。それだけではない。呪いを受けた者がそばにいれば、魔王の手の者に居場所を悟られる危険があった」
「だから……一緒に森を出られなかった?」
僕の声は、自分でも分かるほど硬かった。
オットーさんは頷く。
「死に瀕した自分では、二人を守れぬ。自分がそばにいれば、魔王に見つかる。だが、自分が死ねば、里の者たちが二人をどう扱うかも分かっておった」
あまりにも残酷だった。
そばにいれば危険にさらす。
離せば、誰にも守られない場所へ送り出すことになる。
どちらを選んでも、母親にとっては地獄だったはずだ。
「だから、あやつは二人を森から逃がした」
オットーさんの声が、かすかに低くなる。
「エレナにも詳しいことを知らせぬままにな。知らせれば、エレナは止めただろう。自分も一緒に行くと言っただろう。だが、そうなればエレナまで里を追われる。二人を守る者が、完全にいなくなる」
「そんな……」
ミレーヌの目に涙が浮かんだ。
「そんなの、酷すぎるよ」
僕も同じ気持ちだった。
でも、母親を責めることはできなかった。
彼女は二人を捨てたのではない。
生き延びる可能性が少しでも高い方へ、泣きながら送り出したのだ。
「クヌートとフェリシアのお母さんは……」
僕が尋ねると、オットーさんは静かに答えた。
「死んだ。二人を逃がした後、長くは持たなかった」
ミレーヌが僕の袖を握る。
「エレナは、姉を看取ったあと、二人の行方を追った。じゃが、間に合わなかった。二人はすでに森を離れ、人間界で行方をくらませておった」
オットーさんは悔しそうに息を吐く。
「あの時、もっと早く儂らが知っていれば。魔術師が動けていれば。何度そう思ったか分からん」
その言葉には、長い後悔が滲んでいた。
オットーさんはいつも人をからかうように笑う。
けれど、その笑みの奥には、こういう痛みが積み重なっているのかもしれない。
「見つけた時、クヌートはフェリシアを守っておった」
オットーさんが続ける。
「痩せて、汚れて、金に執着し、誰も信用せぬ目をしておった。じゃが、それでも妹だけは必死に守っておった」
僕は初めて会った頃のクヌートを思い出す。
金の話になるとすぐに反応し、損得に敏感で、人を簡単に信用しない少年。
あれは欲深さではなかった。
生きるためだった。
フェリシアを守るためだった。
「フェリシアも、辛かったじゃろう。兄に守られていたとはいえ、幼い身で故郷を失い、母を失い、誰にも頼れぬ人間界をさまよったのじゃ」
ミレーヌはもう、涙をこらえきれないようだった。
「そんなの……そんなの酷いよ。二人は、自分で選ぶ前から戦いに巻き込まれて、エルフにも人間にも居場所を奪われて……」
「まったく、その通りじゃ」
オットーさんは否定しなかった。
「じゃが、だからこそ二人は生き延びた。母親が命を削って逃がし、エレナが探し続け、魔術師が救った。そして今、お主らの仲間としてここにいる」
その言葉に、僕は胸の奥が熱くなるのを感じた。
クヌートとフェリシアは、ただ可哀想な過去を持つ兄妹ではない。
母親の願い。
エレナの祈り。
魔術師の教え。
そして何より、二人自身の意志でここまで来た。
「二人には、帰る場所がないんだね」
ミレーヌが小さく言った。
僕も頷いた。
僕とミレーヌには、故郷がある。
帰れば家族がいる。
けれど、クヌートとフェリシアには、帰ることのできる森がない。
だから二人は、自分たちでハーフエルフが戻れる家を作ろうとしているのだ。
それは、ただの夢ではなかった。
失ったものを取り戻すための、二人なりの戦いだったのだ。
「魔王との戦いが終わったら……」
僕は呟いた。
「僕たちも手伝おう。クヌートとフェリシアが、帰れる場所を作る手伝いを」
ミレーヌは涙を拭いながら、力強く頷いた。
「うん。ボクも手伝う。二人だけに背負わせたくない」
オットーさんは、そんな僕たちを見て、ほんの少しだけ優しく笑った。
「それを本人たちに押しつけるでないぞ」
「分かっています」
僕は頷く。
「二人が望むなら、です」
「ならばよい」
オットーさんは紅茶を啜った。
クヌートとフェリシアの過去は、あまりにも重かった。
けれど、その中には確かに愛があった。
母が二人を守ろうとした愛。
エレナが探し続けた愛。
兄が妹を守り続けた愛。
そのすべてが、二人をここまで連れてきたのだ。
僕たちは、その重さを忘れてはいけないと思った。