君とボクの二度目の冒険 〜転生した少年と幼馴染の勇者が、魔王の孤独を救うまで〜 作:屠龍
第百四十九話 フミン族の歴史
僕とミレーヌとロッテは、その足で大図書館へ向かった。
大図書館は、貴族街の外れにあるなだらかな丘の上に建っていた。
六階建ての白い建物は、遠目にもよく目立つ。壁は隅々まで磨かれ、周囲は高い塀で囲まれている。火災を防ぐためなのか、建物の周りには余計な露店や木造の小屋は見当たらなかった。
入り口には兵士が立ち、近くには駐在所まである。
ただ本を読むための場所というより、貴重な知識を守る砦のように見えた。
「すごいね……」
ミレーヌが小さく呟く。
僕も頷いた。
フレーベルにも図書館はある。けれど、この規模は比べものにならない。大帝国というものが、ただ領土や兵士の数だけで成り立っているわけではないのだと、改めて思い知らされる。
僕たちは入り口の衛兵に、エバンスさんから受け取った認識番号を見せた。
衛兵は一度、ロッテを見た。
ロッテは緊張したように僕の後ろで身を縮める。
けれど衛兵は、書類を確認するとすぐに通してくれた。どうやら、エバンスさんがあらかじめ同行者についても書いてくれていたらしい。
中へ入ると、天井の高さに圧倒された。
一階と二階が吹き抜けになっていて、壁一面に本棚が並んでいる。古い紙と革の匂いが、静かな空気に溶けていた。
机には多くの人が座り、積み上げた本を黙々と読んでいる。
貴族らしい服装の者もいれば、役人らしい者もいる。学者だろうか、分厚い本に書き込みをしながら読み進めている老人もいた。
受付には、いかにも頑固そうな老人が座っていた。
司書さんだろう。
僕はエバンスさんから受け取った紙を差し出した。
司書さんは紙を受け取り、じろりと僕を見る。
それから、ミレーヌ、ロッテへと視線を動かした。
「ふむ。エバンスの紹介なら問題なかろう」
そう言って、司書さんは赤い認識札を渡してくれた。
「これを見せれば、今日中は出入りできる。書物を傷めるでないぞ」
「ありがとうございます」
「良い知識の旅路を」
その言葉に、僕は少しだけ微笑んだ。
知識の旅路。
この場所には、たしかにそう呼ぶにふさわしい重みがあった。
僕たちは本棚を見て回る。
歴史、宗教、戦争、地理、民族誌。
見慣れない題名の本がいくつも並んでいる。どれも気になったが、今の目的ははっきりしていた。
フミン族。
そして、マナジ教。
しばらく探していると、ロッテが小さく手を上げた。
「ユキナさん、これ……」
彼女が見つけたのは、『フミン族の歴史』という本だった。
厚さは十センチほどもある。表紙は古く、角は擦り切れていた。丁寧に扱わなければ、ページがばらばらになりそうだ。
「ここで魔法を使うと、警備の人が来るかもしれません」
ロッテが小声で言う。
「私が読みますね」
「お願い」
僕たちは閲覧席に座った。
ロッテはそっと本を開く。
最初のうち、彼女の声は落ち着いていた。
けれど、読み進めるうちに、その声は少しずつ細くなっていった。
かつて、世界には四つの大きな勢力があったという。
フミン族。
人間族。
妖精族。
魔族。
それぞれが高度な文明を築き、争うことはあっても、世界の均衡は保たれていた。
だが魔族の中から、異質な力を持つ少女が現れた。
その少女は魔王を名乗り、古代の魔法文明を滅ぼし始めた。
「本には、魔族の変異種と書かれています」
ロッテが小さく言った。
僕はその言葉に引っかかる。
変異種。
けれど、オットーさんの話を聞いた今なら、別の可能性も考えられた。
その少女こそ、転生者だったのかもしれない。
魔王に対抗するため、妖精族、フミン族、人間族は手を結んだ。
妖精族は武器を作り、フミン族と人間族の戦士は魔王の軍勢を打ち倒した。
そして妖精族は、世界樹から授かったマナの実をフミン族へ渡した。
その力を得たフミン族の勇者が、魔王を退けた。
「フミン族が……勇者だったの?」
ミレーヌが息を呑む。
ロッテの指が、ページの端を強く押さえた。
「そう、書かれています」
その声は震えていた。
僕も何も言えなかった。
勇者の力。
それは今、ミレーヌに宿っているものだ。
けれど、かつてその力を受け取ったのはフミン族だった。
ロッテはさらに読み進める。
魔王を退けた後、人間族はフミン族の豊かな土地と神殿を欲した。
フミン族の首長たちが集まった会合を襲撃し、その多くを殺した。
指導者を失ったフミン族は追い詰められ、土地を奪われ、神殿を破壊され、その上にアルスラン帝国の礎が築かれた。
フミン族の国家と文明は、そこで事実上滅びた。
「……私たちは」
ロッテの声が止まった。
しばらくして、彼女は絞り出すように続ける。
「私たちは、そんな昔から、ここにいたんですね」
その一言が、胸に刺さった。
フミン族は、ただ街の隅で汚れ仕事をしている民ではなかった。
かつてはこの地に根を張り、文明を築き、魔王と戦った人々だった。
それが今では、臭い、汚い、盗むと罵られている。
僕は隣に座るロッテを見ることができなかった。
僕自身がその虐殺をしたわけではない。
フレーベルで生まれた僕が、アルスラン帝国の建国に関わったわけでもない。
それでも、人間族という大きなくくりの中に自分もいる。
そう思った瞬間、ロッテの隣に座っていることが少し苦しくなった。
ミレーヌは黙っていた。
けれど、膝の上で拳を握っている。
勇者の力が、かつてフミン族に与えられていた。
そしてその民が、人間族に裏切られた。
その事実を、どう受け止めればいいのか分からないのだろう。
「……ロッテ」
ミレーヌが小さく声をかける。
ロッテは泣いてはいなかった。
けれど、目は赤い。
「大丈夫です」
ロッテはそう言った。
けれど、大丈夫なはずがなかった。
僕たちはしばらく、その本の前で言葉を失っていた。
古い紙の匂いがする。
遠くで誰かがページをめくる音がした。
この静かな図書館の中で、僕たちは何百年も前に踏みにじられた人々の声を、ようやく聞いたような気がした。
それは、知識というには重すぎるものだった。